何となく共感できないところも少なくない本でしたが、いくつか印象に残る部分もありましたのでメモしておきます。
どれだけお金持ちになっても、お金のことをあれこれ心配したり、考えなくてはいけないようでは、経済的に自由とは言えないでしょう。これは相当ハードルが高い目標ですね。私には越えられそうにありません。
このような意味の「経済的自由」が手に入るなら、確かに幸福度が大幅に向上するとは思うのですが、何かを失うリスクを取ってまで無理に目指すものでもないかなと思います。
今、十分な資産や収入がないと感じているのなら、それは、あなたのお金を稼ぐ金額が少なかったか、お金を使いすぎたかのどちらかです。同意します。
身の丈に合ったお金の使い方をしましょう。
自分が死ぬときに、「ああ、もっと仕事をして、お金を儲けておけばよかったな」と後悔する人は、稀でしょう。それよりも、「ああ、仕事ばかりしていないで、もっと、家族と一緒にいたり、楽しいことをやればよかった」と思う方が多いのではないでしょうか。できればどちらの後悔もしたくないので、どのタイミングでリタイアするかは難しい判断になるわけですね。
朝の5分、10分をどう使うかをいくら考えても、人生全体でたくさんの時間を生み出すことはできません。私から見ると、朝の5分、10分をどう使うかを考えないといけない生き方について見直すことの方が、よほど大事だと思います。同感です。
ただ、どんなに楽しいことでも、「~するべき」という義務になったとたん、楽しくなくなってしまいます。完全に同意します。
どこかで見たような表現だと思ったら、私もほぼ同じことを書いていましたね。
『空気を読むな、本を読め。 小飼弾の頭が強くなる読書法』:
私も学生時代に面白いと思っていたことを仕事に選んだつもりでしたが、それが「義務」になったとたんにつまらないものに変わるという経験をしました。これほど同じ感性の持ち主がいることに驚きました。
喜んで自発的にやるのか、義務でやることを期待されているのかでは、天と地ほどに違ってきます。逆に言うと、義務だと感じていることを手放していくと、より自由になれます。はい。
私は「経済的自由」よりもまず、こちらの意味の自由を追求しています。
今、テレビの影響力はだいぶ少なくなったでしょうが、パーソナルメディアに振り回されている人はたくさんいます。それでは、朝起きてから、夜寝るまで、あたかも、自分の人生を不特定多数の人に公開するために生きているような感じになります。パーソナルメディアとは、この文脈ではブログやツイッターなどを指していると思われます。
(中略)
自分と、メディアとの境界線を大事にしましょう。
知らないうちにこういったメディアに「支配」され、本末転倒した生活をしないように気をつけたいと思います。
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まず著者による「自由」の定義から。 自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由...
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