『日本はなぜ貧しい人が多いのか 「意外な事実」の経済学』 原田 泰 (著) その1 の続きです。
第3章「人口減少は恐いのか」
結論を先取りすれば、人口減少は恐くないが、高齢化は恐い。しかし、それは高齢者が少ない時代に作った高齢者を優遇する制度を、高齢者が多くなっていく社会でも維持しようとしているからだ。そんなことをすれば若者の負担が高まり、日本が活力のない社会になっていくのは当然だ。高齢者優遇の制度を改めなければならない。すごくシンプルで当たり前の事実なんですが、マスメディアは相変わらず「かわいそうな高齢者」というイメージを刷り込むのが大好きなようですし、いつになったら改まるんでしょうか。
現在の年金は、過去の高度成長期の惰性により、きわめて高いものになっている。日本人は気がついていないようだが、日本の年金制度は世界一気前の良いものだ。支給額3割カットしてもまだ世界トップレベルだとか。
少子化の原因について。
子育てコストには
母親が子供を育てるためにあきらめなければならない所得が含まれる。直接負担する養育費が大卒までで2千万円とか聞きますが、実は母親の逸失所得のほうがはるかに大きく、割り出された数字はなんと2億3719万円。(下図参照)
女性でこれだけ稼げる人は一握りかもしれませんが、この半分としても1億ですからね。
これはあまりにも高いコストである。日本の子供が減少するのも驚くべきことではない。という感想以外、何も出てこないです。
以上のような議論に対し、「子供が生まれるか生まれないか(親からすれば「子供を産むか産まないか」)は子供への愛情が一番重要だ。すべてを金銭評価する風潮はいかがか」という意見もあるだろう。本当にありがちな意見ですが、著者は個人としては賛同すると前置きした上で、
「エコノミスト」という立場からは、愛情について意識的に書かないようにしている。と切り返しているところにプロ意識を感じました。その理由が秀逸なので、長くなりますが引用させてもらいます。
なぜかと言えば、通常、エコノミストの主張は政策提言に結びついているからだ。政策とは、権力を持つ国家が行うことである。私は、国家が個人の問題である愛情について語ることは、遠慮した方がいいと考えている。その通りですね。
もうひとつ、もっと子供を産むべきだという国家は、本当に子供を愛しているのだろうかという疑問もある。昨今かまびすしい少子化で大変なことになるという議論のポイントは、高齢化社会の国民負担が大変なことになるからということにある。そこには、たくさん子供が生まれて、皆で負担を分担してくれという意図が見える。これは、本当に子供を愛していることになるのだろうか。ほんと、ここに書かれているような国家の「意図」は既にミエミエですから、この分析は「愛情」論の矛盾を的確に突いています。
愛が無償のものなら、高齢者の負担なんかしなくてもいいから、どんどん生まれてきて下さいというのが正しい国家のあり方だ。下手に生まれてくると何をさせられるか分からないから(自分の子供を愛している親からすれば、子供を産むと、その子がどんな重い負担を背負わされるかわからないから)子供は生まれてこないのではないか。子供を愛する国家とは、まず子供の将来負担を減らす国家ではないか。現在の年金給付額を減らして将来の負担が重くならないようにする国家が、子供を愛している国家ではないだろうか。
愛情とは多義的で、様々な意味に使われる言葉である。子供たちに、彼らには責任のない負担を押し付けることを、政府は、子供への愛情と言いかねない。エコノミストは、多義的な言葉は扱わない方が良い。
皮肉なことに、生まれてくる子供たちに幸せになってほしいという気持ち(愛情)が強ければ強いほど、この不遇な時代には子供を産まないという選択をすることになり、コストの問題とはまた別の少子化の原因になっているのではないかと思います。
人口が減るだけなら問題ない。(中略)はい、国力とかどうでもいいです。
人口が減れば国力は低下するだろう。(中略)
また、そもそも国力が重要だろうか。私たちがあこがれる国は、人口の多い国ではなくて、一人一人が豊かな国、そして、その豊かさを魅力的に使っている国ではないだろうか。
日本の都市部に住んでいると、人口が多すぎて不快に感じることがどうしても多くなります。リタイアしてからは開放されましたけど、満員電車や交通渋滞にはもうウンザリです。
このまま順調に人口が減って、少しでも快適な社会になることを望みます。