2012年10月10日

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』 ちきりん (著)  その2



昨日の記事の続きです。

第10章「豊かであるという実感」
チップとは異なりますが、貧しい国では、より直接的に「施し」を迫られることがあります。昔、インドの田舎を旅した時、(中略)
彼らは、しつこくつきまとう彼らを無視する私に悪態をつき、「なんでたった少しの小銭をくれないのか?」となじるのです。
(中略)
しかしむこうは、海外からの旅行客がインドの貧しい人にお金を施すのを当然と考えています。
噂には聞いていましたが、インドって本当にこんな国だったんですね…。今でも変わってないのでしょうか。

インドは一度ぐらいは行ってみてもいいかなと思ってましたけど、金持ちにたかることを当然と考え、施しを強要する人々がまとわりつくような国なら、私とは価値観があまりにも違いすぎて、行っても不快になるだけかもしれませんね。

(当時のインドでは富の再配分制度が機能していなかったことから、)
「インドでは、個人から個人への直接的な施しが、そういった社会制度の代替制度なのだ」と言うのであれば、施しを避ける私を罵倒した人達の理屈も理解できます。
施しが拘束力のない慣習でしかない以上、それは理屈と言うより感情ですよね。みんながやってる慣習に倣わない人がたまに現れて、その自由な振る舞いが自分の不利益になるとしたら、罵倒したくなる気持ちは分からなくもないかな、ってレベルです。

しかし旅行者を罵倒して不愉快にさせたところで、気が変わって施しをしてくれるはずもなく、こんな場所は二度と来ないぞと決意させるのがオチでしょう。そして嫌な体験はこうして本やブログを通じて共有され、未来の旅行者を確実に減らすことでしょう。貧乏人がネガティブな感情をむき出しにしても、彼ら自身を含めて誰もハッピーにはなりません。

そこ(アメリカ)では、世界的な企業を興して財をなした大資産家が、自分の名前を冠した基金を立ち上げ、貧しい国や困っている人に多額の寄付をします。アメリカ社会はそういった行為を高く評価する一方で、税率を上げ、それを原資として充実した福祉制度や医療保険制度を政府が提供するという政策には大反対します。
現にそのような政策を掲げたオバマ大統領が選挙に勝ったりしていますし、アメリカ社会にもそこまで明確な小さな政府支持の傾向はないように見えます。

ただ、日本の場合、小さな政府を支持する国民があまりにも少なく、その偏った傾向に迎合した大きな政府路線の政党だらけの選挙なので、それと比較すれば、小さな政府と大きな政府が世論を二分しているというだけでも、アメリカは実に羨ましい国だと思います。

ちきりんは、貧しい人が富める人から直接的に寄付を受けるのではなく、国の制度を通して、当然の権利として福祉を享受できる仕組みを整備することを悪い選択肢だとは思いません。
日本は国を挙げてそれを実現してみた結果、現行の年金、健康保険、生活保護のように欠陥だらけの福祉制度が出来上がり、それらを維持するための国家予算がとんでもない規模に肥大化してしまったことは、皆さんご存知の通りです。

なぜそうなったかというと、政府が公金を使って福祉を提供するという仕組み自体が、特に増税によらず国債によって財源を確保している間は、まるで福祉の享受がフリーランチであるかのような錯覚を生み、人々が「当然の権利」として何でもかんでも政府に要求する癖がついてしまったからです。

つまり、自分が当然の権利として享受している福祉のコストは、どこかの誰かが払ってくれていて、その誰かとは自分自身かもしれないし自分の子や孫かもしれない、とは決して考えない。そんな奇妙な錯覚に陥った国民が、盛大なバラマキをやってくれる政治家を選挙で選んでしまうのです。この傾向は日本に限らず、民主主義の先進国でよく見られるもので、民主主義のシステムそのものに内在する欠陥の一つではないかと思います。

グアテマラでネックレスの盗難にあった友人エバさんの話。
私はアメリカで盗難保険に入っているから、ネックレスの代金は全額返ってくるわ。つまり私は、アメリカの保険会社からグアテマラの貧しい人への寄付を仲介したようなもんよね?
エバさんに支払われた保険金は自分自身を含む保険加入者が広く薄く保険料として負担していますから、フリーランチではありません。保険会社=政府、保険料=税金、と置き換えると、エバさんの錯覚は公的福祉の場合とまったく同じ構造であることがわかります。

1980年代にビルマのお金持ちの家に招待されたときの話。
「何を持っているか、ということが、これほどまでに豊かさとは無関係なのだ」と気がついた瞬間でした。
(中略)
「家や車やお金なんて持っていても、私の生活は決して豊かとは言えない。豊かな人生というのは、あなたのように希望や自由や選択肢のある人生なんだ」と、彼は言いたかったのです。
お金持ちのはずのこのビルマ人がなぜ豊かでないかというと、彼が持っていた大量のお金がビルマ国内でしか通用しないローカル通貨だったからなんですね。

第1章「お金から見える世界」にもこんなことが書かれていました。
国際市場で自由に両替可能な「ハードカレンシー」を持っている国はそんなに多くはないのです。普通に働くだけでそういった通貨が得られる国で生活していることの有利さは、普段は意識もしないけれども、実はものすごく恵まれたことなのです。
日本人がいざとなれば外こもりのような生き方を選択できるのも、どこでも通用するパスポートとお金を持っているからこそです。たまたま生まれた国が違うだけで、こんなにもスタートラインの位置が違うという冷徹な事実を、ちきりんさんの体験を通じて知ることができて良かったです。

参考記事: 
新刊、本日発売です! - Chikirinの日記
社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう! 活かす読書
見るべきポイントはガイドブックの他にも存在する。:社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!:本読みの記録:So-netブログ

2012年10月9日

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』 ちきりん (著)  その1



ちきりんさんが世界各地を旅行しながら感じたこと、考えたことが書いてある本です。
冒頭のエピソード、セブ島のレストランで「リプトンのティーバッグ」が出てくる理由さえ知らなかった私にとっては、なるほどと思えることがたくさんありました。

訪れた場所が多彩なのはもちろん、時間(時代)の幅も広く、今となっては誰も経験することの出来ない共産主義経済下のモスクワにも行っていたり、旅人としての経験値がかなり高い人だと再認識しました。「Chikirinの日記」の面白さは、このような貴重な経験の積み重ねから生まれてきたんだろうなと。

1986年と2007年にモスクワを訪れたちきりんさん曰く。
「資本主義国になるとはどういうことなのか」、共産主義陣営のトップにあった国の変化を実際に見ることができ、とても貴重な旅となりました。
第4章「共産主義国への旅」では、国民みんなで平等に貧しくなる共産主義経済の実態がよく伝わってきます。あんな時代にあんな国に生まれなくて本当に良かったと思えます。

第9章「変貌するアジア」では、ロシアと同様、共産主義経済から脱却した中国での労働者の変貌ぶりに納得。
「動機付けのシステムが変われば、人の行動は短期間にここまで大きく変わる」という非常に興味深い事例だと思います。
経済的なインセンティブをうまく与えることによって、強制しなくても人は自発的にやる気を出すということがよくわかります。それとは逆に、格差を否定して平等主義的なシステムを採用すれば、やる気を出すインセンティブが失われます。

第7章「古代遺跡の旅」
人間なんて、いずれ露と消え、後世まで残るのは石と砂でできた無機質な建造物だけです。
そう思うと、日々のあれこれに一喜一憂することがなんだかバカらしく感じられます。どんなにじたばたしても、一人の人間が生きられるのはたかだか百年です。反対に、数千年残るものは「生きていなかったもの」ばかりです。「命ある者」は、生きているその時をこそ、目一杯楽しんですごすべきということなのでしょう。
遺跡のような建造物ではありませんが、私も山歩きをしていて巨大な岩の上で休憩しているときなどにふと、同じようなことを感じます。この大きな岩は千年前からここにあり、千年後も変わらずここにあるんだろうなと。それなのに私は千年前にここに座った人を誰も知らないし、千年後の人たちは誰も私がここに座っていたことを知らないのだと。

時間軸をそういうスケールで眺めたとき、人の一生に与えられた時間の短さ、人の存在の小ささに愕然とします。

(つづく)