そして彼らはこうも言います。「欲しいものがないなんて嘘だ、お金がない、稼ぐ手段がないからやせ我慢してるだけで、お金があれば欲しいものはいくらだってあるはずだ」お金がないからやせ我慢…ですか。
この問いかけはなかなか真相を突いてると思います。
これは違うと思います。
お金があれば欲しいものはいくらだってある…。
こちらは確かに正しいかも。ただ、「もしお金があれば」という仮定はお金を手に入れるためのトレードオフを無視しているので、天からお金が降ってくるような――たとえば親から遺産を相続するなどの――お金の入手方法の場合にのみ言えることでしょう。
「お金がないからやせ我慢」の方がおかしいと感じる理由を説明してみます。
人間の食欲や性欲にも大きな個体差があるように、後天的に形成された物欲の強さなんか本当に人それぞれで、同じ人でも人生のステージによって違うでしょう。世の中にはいろいろな欲が強い人の方がまだまだ多いのはわかりますし、資本主義経済が成長を続けているのも彼らのおかげです。でもいくら物質的に豊かになりたいと言っても地球の資源もエネルギーも有限だし、それ以前に人生の時間そのものが有限だから、無限の欲求を満たすことは不可能です。そうするとどこかに必ず線を引いてその向こう側にある欲求は切り捨てるしかありません。弱欲な人はその線をかなり手前に引いているだけのことで、強欲な人の場合でも必ずどこかに線があるのは同じです。
自分の欲の強さに応じた線を引くことを「お金がないからやせ我慢」と表現するならば、お金があって欲が強い成金・セレブ系の人たちも同じように、自らの線の向こう側にあるものが手に入らない状態をやせ我慢していることなりますが、果たしてこれは正しい表現でしょうか?
資本主義社会においてお金があることが選択肢を広げるのは間違いのないことで、逆に言えば、お金がないと選択肢は狭まらざるを得ません。無限に選択肢を広げようとすると多額のお金を稼がねばならず、どこかで我慢を強いられることになります。それが嫌だから必死に働くという人は、たしかにいるんですよ。まさにその通りです。
ただ、ここでも欲が弱い人にとっては「我慢を強いられる」と言うほど大層なことではなくて、お金を稼ぐ代償として失うはずだったものを失わない代わりに、それ以上選択肢を広げることを諦めるだけのことなんです。
選択肢が広がらない不自由と、働く不自由を天秤にかけて、前者が重たいと思えば働けばいいし、後者が重たいと思えば早期リタイアすればいいのです。
結局はトレードオフの話ではありますが、外こもりを目指すという人は、実際のところ自分という人間がどういう性格なのか、よく考えておいたほうがいいと思います。同意します。
早期リタイアを目指す人も同じですね。
早期リタイアまで無事辿り着きリタイアに成功したとしても、その後のこともちゃんと考えたほうがいい。想定してる生活レベルがずっと続くことに耐えられますか? もっと豊かな生活を送るためにお金を増やすチャンスをちらつかされたら、そこに飛びつきたいと思ってしまいませんか?私は想定している生活レベルがずっと(7年)続いていますが全く問題ありません。必要以上にお金を増やしたいとは思わないし、リスク資産を保有しているのはもっと豊かな生活を送るためではなく、長期にわたって資産の購買力を維持するためです。
たとえばリタイア後の生活レベルを現役時代よりも大きく下げることを想定している人は、落差が大きすぎて耐えられなくなるかもしれませんね。そういう意味でも、そしてお金を貯めるスピードを上げるためにも、現役時代に一度、目標とする生活レベルまで落としてみることが重要だと思います。実験の結果問題があるとわかったら、目標金額を上方修正してリタイアを遅らせるという手が使えます。
本人がこれ以上下げたら苦しいと感じる生活レベルの限界点を知らないままリタイアしてしまったら、そりゃ確かに危ういと思いますよ。リタイアした後になってからお金を増やすチャンスが気になってしまうようでは、そのあたりの計画性がまだ足りなかったということでしょう。