2014年6月23日

早期リタイアと孤独

ブログ開設6周年にコメント下さったretire2kさん、mushoku2006さん、mikeさんありがとうございます。

mikeさんのコメントに次のような質問がありましたので、お答えしたいと思います。
はじめまして。
ブログ楽しく読んでます。
以前はセミリタイアしてて、今は正社員してます。

セミリタイアしていた頃は自由でしたが、将来がどことなく不安でした。
ですが、ストレスはほぼ0でした。
ただ、大学の同級生などと飲み会があるとセミリタイアしていることを悪く言われることが多く、自然と疎遠になってしまいました。

今は正社員で安定していますが、自由はありません。
ストレスフルで出費も多くなりがちです。
会社の同僚との飲み会はストレスフルです。

質問なのですが、遊民さんがリアルに親しくしている人は同じ価値観の人なのでしょうか?
セミリタイア時に感じた寂しさの一つは、居場所のなさ(同じ目線で話し合える人がいない)ということだからです。
孤独に耐えられるスキルがある人がアーリーリタイア向きだということですかね・・・

私もたまに高校や大学の同窓会に出て二十数年ぶりに同窓生と顔を合わせることがありますが、悪く言われたことは無いですね。いや、私が鈍くて気付いていないだけかもしれませんけど。
もちろん、たとえ親しい同窓生と言えども、
「お金が十分あるから早期リタイアして毎日ぶらぶらしているんだよ」
などと正直に告白したりはしません。そんなことを言おうものなら、いくらあるんだとか根掘り葉掘り訊かれてややこしいことになりますから。

ご質問への回答ですが、私がリアルに親しくしている人の中に、私と同じ価値観の人はいないと思われます。そのこと自体には何の問題もありません。
なぜなら私は、価値観は人それぞれ違っていて当たり前という前提を受け入れているからです。リアルで親しい人間という非常に狭い範囲の中に自分と同じ価値観の人間が存在するとしたら、それは奇跡的なことだと思います。

問題があるとすれば、そのような価値観の多様性を認めず、多数派への同調圧力をかけてくるような輩ですね。mikeさんの生き方を悪く言う人はそういう人間なのではありませんか?
幸い、私の回りにはそのような輩は存在しません。いや、私が鈍くて気付いていないだけかもしれませんけど。もしかすると、そのような輩に出くわしたとしても、敏感に匂いを嗅ぎ分けて無意識にスルーして関わらないようにしているのかもしれません。

いずれにせよ、毎日忙しく旧来のライフスタイルを続けている多くの同窓生たちとはそもそも時間が合わないので、だんだん疎遠になるのはやむをえないでしょう。

私のような性格だと、居場所がない寂しさというのを正直まったく感じないのです。「孤独」というのも全然ネガティブな言葉ではなく、むしろ積極的に孤独になることを求めるタイプです。孤独でいるほうが自由だし、下らないおしゃべりに邪魔されずに好きなだけ沈思黙考できるじゃないですか。私にとって人付き合いはちょっとしたスパイスに過ぎません。適度に振りかければ料理が少し美味しくなるけれども、まったく振りかけなかったとしても普通に食べられます。こういう性格の方が早期リタイアに向いていることは間違いないと思います。

2014年6月20日

『未来の働き方を考えよう』 ちきりん(著) その2



『未来の働き方を考えよう』 ちきりん(著) その1の続きです。

■ミニマムに暮らすという選択
まったく別の形で、従来型の働き方に疑問を抱き、これまでの常識とはかけ離れた生き方を選ぶ若者もいます。それは、生きることにかかる費用を最小化することにより、人生において働かなければならない時間も、最小化しようという生き方です。
(中略)
こういう生活でいいのなら、正社員である必要もフルタイムで働く必要もありません。数年働いて数年遊んでいるといった生活さえ可能になり、しかもシェアハウスに暮らしているので、孤独でも寂しい毎日でもないのです。
節約系リタイアブログ界隈では最早こちらの生き方のほうが「常識」になりつつありますが、有名なちきりんさんの本で紹介されたことで広く一般に知られるようになりそうです。非正規労働者=経済的弱者=可哀想みたいな(NHKが好きそうな)刷り込みが少しでも無くなればいいなと思います。

1ヶ月8万円のアルバイト料で暮らすなんてありえないと思われるかもしれませんが、シェアハウスに住み、ネットで仲間とつながる彼らは、貨幣経済を介在させずに、様々な便益を交換しています。
(中略)
たくさん稼いでたくさん使うと、稼ぐ方にも使う方にも税金がかかりますが、仲間で助けあっている分には、税制は介入してこないのです。
今のように高所得者に厳しく低所得者に優しい日本で徹底して経済合理性を追求していくと、やっぱりこうなりますよね。実に効率的な暮らし方だと思います。何しろお金を稼いでも使っても罰を与えるのですから、できるだけお金を稼がない、使わない方向に向かうのは当然の流れかと。

不動産も子どもも要らない
私は、日本人の半分がミニマムな生活を選ぶだろうと言っているわけではありません。ただ、100人に数人が「不動産も子どもも要らない。その代わり、あまり長い期間、働きたくない」と言い出す社会を、不健全だとも思わないのです。そういう人が一定数、現れることはごく自然だし、それを望む人がそう生きられる社会は、豊かな社会だとさえ感じます。
同感です。

戦中に日本政府は、「産めよ増やせよ」と多くの子どもをもつことを国民に勧めました。その目的は、生まれた子どもを兵隊にするためでした。「少子化が続けば年金制度が破綻する」という意見も、それと全く同じです。私たちは兵隊にするために子どもを生むのでも、年金制度を支えるために働くのでもありません。
完全に同意します。
子どもを増やす目的は兵隊を増やすためだった、というのは恐ろしい話だと、誰もが感じることと思います。
しかしそれが「年金制度を支える」というような一見高尚な、社会福祉の目的に置き換わったとたんに、多くの人はなぜか子どもを増やすことが正しく、税金つぎ込んででも少子化を止めないといけないなどと言い出したりします。
どちらの目的でも、滅私奉公という点ではまったく同じだと思うのですが。

消費税増税のとき、全額を社会保障制度の維持にあてるという耳障りの良い言葉に釣られて、賛成に回ってしまった国民と同じような匂いがします。社会福祉や社会保障というのは政治家にとって非常に使い勝手の良い、魔法のような言葉なんですね。

そういう言葉に惑わされないようにしたいものです。
止めなければならないのは、少子化になると破綻するような出来損ないの年金制度の方です。少子化そのものは善でも悪でもありません。

支出マネジメントが引退可能年齢を決める!
私たちに必要なのは、お金に関する根本的な発想の転換です。実は早期引退の可否を左右するのは、収入ではなく支出の多寡なのです。
そうです。その通りなんです。
いやはや、生活レベルが高そうなちきりんさんとも意見が完全に一致してしまったのでちょっと驚きました。

早期リタイア志向の人にもお勧めの一冊です。

2014年6月14日

『未来の働き方を考えよう』 ちきりん(著) その1



これは「働き方」の本だから無職の私にはもう関係なさそうかな、と想像してましたが、読んでみたら共感できるところがたくさんありました。働き方も含む「生き方」を考えるための本だと思います。

人生の有限感
ジョブズ氏だけでなく起業家には、この「人生は有限だ」という感覚を強くもっている人がたくさんいます。
(中略)
普通の人はいろんなことが不安で、人生にやたらと保険をかけます。「こんなことをしたら収入が減るのではないか」、「こんなことをしたら友だちに嫌われるのではないか」などと考え、思い切った決断ができません。
それが「普通」なのかどうかはわかりませんが、たしかにそういう慎重なタイプの人はどこにでもいますね。行動経済学的に言えば現状維持バイアスが強い人かな。

普通の人がそういう不安に怯えるのは、本当の不安を知らないからでしょう。本当の不安とは、人生が終わるという瞬間が、明日にもやってくるかもしれない、ということです。それにくらべれば、その他の不安など質的に全く及ばないところにあります。だから死の意識や人生の有限感をもつ人は、それ以外の細かい不安に怯えません。最も大事なのは何なのかが、わかってくるからです。
その通りだと思います。名付けてちきりん博士の「不安相対性理論」。

もちろん私にとっても、最も起こってほしくない不幸なことは今すぐに人生が終わることです。たとえば今晩床についたあとに心臓発作で死ぬとか、不治の病にかかって余命宣告を受けたりする不安を、どうあがいても拭い去ることができません。

でもなぜか多くの人は、自分が死ぬのはまだ当分先のことで、自分の身にそんな不幸は訪れないだろうと、根拠のない自信を持っているようなのです。10年前の私もそうでした。うちの親なんか70過ぎてもまだそう思っているフシがありました。
そんな自信家たちでも、老後のお金や健康のことになるとけっこう悲観的で、何重にも保険をかける上述の慎重なタイプの人だったりします。見ていてバランスがおかしいなと思います。

「いつか」ではなく「今」やろう
多くの人は若い時にお金がなく、休みが取れないため、定年してから12時間も飛行機に乗って欧州や南米の遺跡を訪ねます。でもそれは、誰にでも可能なことではありません。たとえ可能であっても、若い時と同じように楽しめるかどうかは誰にもわかりません。
今は健康に自信のある人でも、年を取るということを甘く見ないほうがいいということです。
(中略)
だから絶対やりたいことは、「いつか」ではなく「今」やっておくべきなのです。
同感です。
老化するということは、ただそれだけで人生の自由度が下がります。もちろん自分自身に老化現象が現れるとわかることなんで、大体40歳を過ぎれば嫌でも体感することになるはずですが、30年後までの老化を明確にイメージするには、最も身近にいる人生の先輩、親やその兄妹というサンプルを観察するのが一番わかりやすいでしょう。

私の親は概ね健康ですが、最近は旅行に誘っても乗ってこなくなりました。金銭的には問題ないのに気力、体力の衰えは隠しきれず、彼らの人生の自由度はとても低くなったように見えます。

前述したとおり、長生きリスクに対して経済的に完璧に備えるのは不可能です。自分が100歳を超えるまで生きても、自費でやっていけるほどの資産形成ができる人など、ほとんど存在しません。心配してもどうしようもないリスクなんです。
それなのに多くの人が、今やりたいことを我慢してまで、とめどなく長生きの経済リスクに備えようとします。しかしどんなに頑張っても、その不安が解消されることはありません。
仰るとおりです。
長生きしすぎてお金が足りなくなる不安が解消されるのは、自分が死ぬとき以外にないと思います。
経済リスクに限らず、健康や食の安全の分野でもこの手の「ゼロリスク症候群」を患っている人をよく見かけますが、合理的ではありません。
そういう思考様式の問題点をわかりやすく指摘する記事があります。生き方にも応用できる良記事だと思います。
参考記事: ゼロリスク症候群 : がんと向き合う ~腫瘍内科医・高野利実の診察室~ コラム : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)

時々、「あと2年働くと退職金が○○万円増えるから、そこまでは我慢する」という人がいます。
(中略)
本当にその額が、「2年間の自由」、「2年分の人生」より、自分にとって大きな価値があるのかと。
そうですね。
60歳を目前にしてまだ時間よりお金が欲しい人の気持ちが、私にはよくわかりません。

(つづく)

2014年6月3日

ブログ開設6周年

当ブログ6歳の誕生日を迎えました。
6年間の総PVは80万。アクセスは増えもせず減りもせず、今までと同じペースです。

無職生活8年目に入りますがまったく飽きる気配すらありません。
時間はたっぷりあるものの、その時間を使う対象(本、ネット、ゲーム、旅行、ツーリング、等々)も無尽蔵にあるので、今までもこれからも暇を持て余すなどということは考えられません。たっぷりあったはずの時間もいずれは枯渇するときがやってくるでしょう。人生の有限感をひしひしと感じています。

最近の活動傾向としては、読書の量が少し減ったように思います。
代わりにもう一つの地球、ネットの世界にどっぷり浸かっている時間が年々増えています。ふとした好奇心や知識欲がきっかけでWikipediaサーフィンが始まると一日中とまらないこともありますし、もう一つの地球をぶらぶら旅していると面白いブログが次から次へと見つかるので、私のフィードリーダーはどんどん肥大化しています。日本国政府の肥大化を批判する前にお前のフィードリーダーを何とかしろと言われそうです。