調布飛行場の墜落事故(2015.7.26)の原因は分かっている|Bokensdorfのブログ:
ですから「飛行場の危険性」をあげつらうのは的が外れている。この事故の原因は飛行場ではないからです。納得しました。
たいへん説得力のある良記事だと思います。
マスメディアの「珍しい事故ほど熱心に報道する」バイアスにやられて日頃から飛行機のリスクを過大評価しがちな人には、ぜひ一読をお勧めします。
Bokensdorfさんの過去記事をざっと拝見したところ、他にも面白い記事がたくさんあって、宝の山を見つけた気分です。
特に面白かったのがアウトバーンシリーズ。
13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン|Bokensdorfのブログ:
アウトバーンは先進国で唯一速度制限のない高速自動車専用道路である。なるほど。すごく合理的というか、洗練された大人の社会だなと思います。
しかし実際に走ってみると、
色んなところで速度制限標識が出ている。
(中略)
アウトバーンでは追い越し車線と走行車線が完全に守られている。
(中略)
これが保証される事は自分を含めて全体の利益になることだから全員がよく守る。
このことと関連して、高速道路の出口は必ず右にある。
(中略)
このように見てくると、
アウトバーンというのは、
速度制限のない無法地帯というのとは対極の、
あらゆる規則を徹底的に配置した上で初めて成立している場所であることが分かる。
規律の上での自由であり、
東名高速道路から速度標識を取り除いたらアウトバーンになるなどというものではない。
必要最小限の規則を守る不自由を受け入れてこそ、速度無制限という自由が守られているわけです。
その点でアウトバーンと自由主義って似ているかも。中身を知らない人からイメージだけで「無法地帯」と誤解されるところとか、そっくりじゃないでしょうか。
13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン-3|Bokensdorfのブログ:
日本ではスピード=危険=悪という単純図式である。確かに両国の道路や交通ルールの違いに着目すると、リスクとコストのトレードオフや、個人の自由をどこまで制限すべきかという点で、価値観が根本的に違うことがわかります。
世の中にはまったく違う価値観で成立している場所があるという事を日本人に知らせるには、アウトバーンは良い見本である。
(中略)
急ぐ車には先に行ってもらう。
全体の流れも良くなる。
ドライバーの高い安全意識と道路交通システムと車の安全性能がそれを支える。
何も早く行きたい人の足を引っ張る必要は無い。
アウトバーンは国際結婚と関係無さそうなのにここまで長々と書いたのは、実は「個人」というものの成り立ちが日本とドイツではおおもとから違うのでは無いかという事をこの頃考え始めたからである。
トレードオフの観点で言えば、日本の交通行政って、たとえば交通量の少ないT字路などにもすぐに信号機を設置するなど、とにかく事故のリスクを減らす方向しか考えていないこと、その代償として失われる信号待ちの時間とか燃料のコストをほぼ無視しているか、空気のように軽いものとみなしているのが特徴だと思います。
信号機と言えば、日本の十字路は両方赤の時間が異常に長いと思いませんか。赤に変わってから突っ込んでくる無法者があとをたたないから安全マージンを長めにしたつもりなんでしょうけど、青に変わるまでの時間が長いと見るや、ますます赤で突っ込んでくる車が増えるという悪循環。結局安全マージンは変わらず、正直者の待ち時間が増えただけで何の改善にもなっていません。
他にも制限速度をやたら低めに設定しておいて、実際はそれより緩い基準で取り締まりを行う慣習も、合法と違法の境界線をわざと曖昧にして行政の裁量権を拡大する、いかにも日本的なやり方です。アウトバーンのように、すべての人が必要最小限のルールを厳守することによって安全と効率の最適化を目指す価値観とは程遠いと思います。
個人の自由という観点でも、ドイツでは自由の制限を最小限に留める意識が常にあり、その最小限のルールがよく練られている印象です。自由を制限するケースはあくまでも例外的な扱いになっていると思われます。
それに対し、日本では公共の安全という錦の御旗さえ振りかざせば、個人の自由なんてものはいくらでも気軽に制限してよい、という全体主義思想が透けて見えます。どちらかと言えば、原則禁止だが例外的に個人の自由をお上が「認める」という扱いになっている物事が多い。調布飛行場の事故で言えば、実質的には遊覧飛行だったのに誰がそんなものを「認めた」のだ? みたいな批判が自然に口をついて出てくるのは、自由軽視の思想が骨の髄まで染み付いている証拠だと思います。
なぜ日本に自由主義が根付かないのかと考えたとき、こんな風に価値観が完全に反転している人が圧倒的多数派であることが根本原因ではないかと思えます。ガメさんのツイート参照。
ベビーカー(←どうしても馴染めない日本語)の電車への持ち込み、アベノミクス、戦争法案、...日本で争われていることは、すべて個人の自由から社会をみる「自由人」と社会の側から個人をみる強い習慣を持った天然全体主義者との対立だと思う。
70年経って、遂に日本にも「自由人」が生まれた
— 十全外人大庭亀夫 (@gamayauber01) 2015, 7月 18