400ページを超える大作ですが、その割には読みやすい本です。
日本人の集団知が衰退しているという話は、私も普段から何となく感じていたことで、
この郵政選挙で指摘されたのが「B層」と言われる人々の存在だった。これは自民党の言葉で説明すると「具体的なことは何もわからないが、人気やムードだけで行動する人々」である。
となると、このB層という ”考えない人々” が増え続けていることが、日本人の「集団知」を大きくおとしめているのではないだろうかと考えたくなる。
官製不況に関して言えば、じつは、私たち国民の側にも大いに問題がある。それは、少しでも頭を働かせれば、「お上にまかせるとロクなことはない」とわかるのに、それをしてこなかったからだ。
国民の多くは何も考えず、ただ「どうにかしろ!」とメディアと一緒に騒ぎ立て、結局はお上に委ねる選択をくり返してきたにすぎない。
(中略)
こうしたことを考え合わせると、日本の消費者は ”自分で考える” ということを放棄し、安全をすべて他人任せにしているということである。さらに言えば完全に「お上頼み」にしてしまい、その政府は「規制は任せろ」とばかりに、消費者庁の設置まで突き進んでしまうのだ。これは消費者団体と弁護士を喜ばせるだけの組織である。
しかしそれが、どんなに「コスト高」を招くか考えたことがあるのだろうか?
(中略)
日本にはそういうことに思い至る全体的な視点を持つ人が、役人にも政治家にもマスコミにも圧倒的に不足している。これではますます「官製不況」「官製失業」は悪化する。
「知の衰退」の中で、このまま官が不況とコスト増要因をつくり続けていくとしたら、この国はいったいどうなるのか?
ハッキリ言って、いまの(集合名詞としての)日本人はバカである。集団としてこれほど知恵のない人々はいない。
というのは、メディアと有権者が好むのは「あの人ならやってくれそうだ」というイメージだけだからだ。政策を掲げ、それをどのようにやるかと言い出すと ”理屈っぽい” となり、単に「やる」と言っているだけの人間のほうが評価が高くなるのだ。
性懲りもなく国民の税金をばらまくことしかできない。このケインズ方式の経済対策は、日本でも1990年代に何回やっても効果がないことが証明されたにもかかわらず、政治家たちはまだやめようとしないのだから、彼らの「低IQ」ぶりには、もはやつけるクスリがないと言うしかない。
とにかく、わが国の政治家のほとんどが、地盤・看板・カバンの ”三種の神器” を身につけているだけで、私が大学生の ”三種の神器” としたIT・英語・ファイナンスの3つはさっぱり身につけていないのである。
これらの現状分析はまさにその通りだと思います。
ただ、昔は ”考えない人々” の割合が今より少なかったかといえば、そうでもないような気がします。経済的に順風満帆だった昔の状況においては、考えない人々によって選ばれた政治家でも問題がなかなか表面化せず、何とかなっていたという面もあるのかなと。
第3章の資産運用の話には少し変なところもあります。
たとえば、私なら日本で金利が安いときにおカネを借り、金利が倍以上のオーストラリアで家を造る。造り終わったらそれを売って、それで借金を全部返してしまう。だからタダで家が建ったというような、そういう投資ができる。
現在の日本の超低金利を利用しておカネを運用するなら、ほとんどのものをタダで買えると言っても過言ではない。
いえ、過言です。(笑)
タダで家が建ったのは、あくまでも結果論です。リスクを取った結果として運がよければそうなることもあり、運が悪ければ(円高や不動産バブル崩壊で)大損することもあるという話にすぎません。このような書き方だと、ノーリスクで儲かる美味しい投資先が存在するかのような誤解を与えると思います。
私が講演でよく言うのは、「日本人は死ぬ瞬間がいちばん金持ちである」ということだ。どういうことかと言うと、年金さえも3割を貯金に回して貯蓄に励み、死ぬ瞬間に1人平均3500万円を残して死んでいくということである。
(中略)
あの世におカネを持っていけるわけがないのに、自分が死ぬ瞬間までお金を使わないのが日本人なのだ。こんな国民は世界中で日本人だけだろう。
私はこういう死に方はしたくありませんが、考え方は人それぞれなので好きにすればいいと思います。
それより、1人平均3500万円という数字を見てどう思います?
私は「やっぱり最近の高齢者は裕福だなあ」という感想です。相対的に貧乏な現役世代から年金という仕送りをする意味がますますわからなくなりますし、最近の若者がお金を使わないことを問題視している場合じゃない気がします。
ともかく、日本人は ”考えない”。考えようとしなくなり、すべてを丸投げする傾向が強くなった。
資産運用はプロに丸投げ。子供の教育は学校に丸投げ。政治は政治家に丸投げ。食の安全は企業と官庁に丸投げ。ようするに「丸投げをする」という意思決定だけをする。これが、現在の日本人の共通したメンタリティではないだろうか?
同感です。
ネット社会については、著者は非常に肯定的に捉えているようです。
ネットの弊害を主張する人は多いが、そういう人には、「むしろ宗教のほうが、人間の脳を怠惰にしているのではないか」と言いたい。
ようするに、すべては使う側の私たち人間の問題なのである。「匿名性が人間の負の部分を引き出す」といった指摘について言えば、「プラス」を引き出すも「マイナス」を引き出すも、すべてはそれを使う人間次第だということである。
賛成です。
じつは私は、10年ほど前から新聞を購読していない。
同じく。いまだに金を払ってあんなものを読んでいる人の気が知れません。
ネット上の記事はすべて均等の大きさで並んでいる。つまり、私にとってのトップ記事は自分自身で決められる。このことがとても重要で、かつ意義のあることなのだ。
つまり、情報に対して受け身であってはならない。自ら意識して必要と思われるものを選択してこそ、その情報を活用する道が開けるのである。
こうしてブログを購読しているような人たちには、今更言うまでもないことですね。
インターネットが日常レベルのものになってからすでに10年以上がたつのだから、私たちはそろそろ次の段階にステップアップすべきである。
「次の段階」━━━それは人々が学び、情報武装して賢明な市民となり、マスメディアのバイアスから解放されること。また、政治家や官僚のウソを見抜き、1人の独立した個人としてすべての物事を判断し、その結果として健康で文化的な生活を手に入れることだ。
ますます進行する低IQ社会とサヨナラするために、どんどんネットを利用してもらいたい。それが、あなたを豊かにする道であり、日本の衰退を食い止める道でもある。
著者はこの「低IQ社会」を脱し、明日を変えたいと願っているようです。
日本の一部には「スモールハッピネスでいいじゃないか。このまま貧しくなって経済大国の看板を下ろしてもいい。スモールハッピネスさえ守れればいいのだ」という意見がある。
読者のみなさんはどう思われるだろうか? はたしてそれで、私たちは幸せなのであろうか?
これを「ポルトガル現象」と呼ぶそうですが、私は「どちらでもでいい」派です。スモールハピネスでも幸せな人は幸せだし、不幸な人は不幸です。幸福の基準は人それぞれなので一般化はできません。豊かさの基準にしても、国別のGDPで世界第何位とかいう数字や「経済大国」という看板が、必ずしも個人個人の幸福につながるとは限りません。
シンガポールに一人当たりGDPで抜かれたら抜き返す計画を立てるべきなのだ。日本企業は世界競争の中で必ずそうやってきた。中国にGDPで抜かれそうになったら、ここでダッシュする方法をみんなで立案すべきなのだ。それが日本という国のそれこそ「古きよき伝統」であったはずだ。
こういう国別対抗戦に躍起になる人の気持ちがわかりません。このグローバル化時代には、もはやどうでもよいことではないでしょうか。野球にたとえるなら、オリンピックやWBCという国別対抗戦よりも、国籍関係なしにトップレベルの選手がしのぎを削るメジャーリーグの方が断然面白いと思います。
日本という国の経済力が相対的に衰退していっても、世界が全体として経済成長を続けているのなら、その恩恵にあずかるチャンスは日本人である私たちにも開かれています。
勝ち組として伍していこうとするのなら、まず自分から行動を起こすしかない。集団IQがここまで下がってしまった日本政府や社会に期待しても、ムダである。
このことに気がついたあなたには、「知の衰退」から脱出して、自分なりに納得のいく ”ユニークな生き方” を始めてもらいたい。
「勝ち組」という言葉は好きではありませんが、国や社会に頼らずに自立すべきという考え方には共感します。私はこれからも今の ”ユニークな生き方” を続けながら、いろいろなことを考え続けていこうと思います。