図書館で予約してから数ヶ月待ちでやっと回ってきました。
「はじめに」から引用。
資産運用は金儲けの手段ではなく、人生における経済的なリスクを管理するためにある。その通りです。
ネット上でも時々「結果的に儲かればどんな手法で資産運用しても構わない」みたいな乱暴な意見が見られるのは、資産運用の「金儲け」という側面にしか着目していないからでしょう。上記のような本来の目的に照らせば、これは非常に危うい考え方です。ただの結果オーライでしかないものを、手法の正しさと勘違いするほど恐ろしいことはありません。
p.19
資産とは収入の多寡によって決まるのではなく、収入と支出の差額から生み出されるものなのだ。これもその通り。
リタイア志向の人にとっては常識中の常識ですね。
p.29
私たちはみな1億円を超える人的資本を持って働きはじめるが、労働市場から退出すると、その価値はゼロになる。大学を卒業して数年間働き、結婚して専業主婦になると1億円を超える人的資本をドブに捨てることになる。これは経済学的にはきわめて不利な選択だが、それにもかかわらず日本では専業主婦に憧れる若い女性が多いのは驚くべきことだ。この橘氏の考え方に倣えば、早期リタイアする場合も同様に多額の人的資本を「ドブに捨てる」ことになるようです。
ですが、私は以前から人的資本は明らかに金融資本とは質の異なるものだと指摘しています。
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「労働市場に人的資本を投入する」とまるで経済学者のように言ってみたところで、実際にやっていることは要するに自分の人生の時間を切り売りしてお金に換えているだけです。
労働に消費される時間的損失を正しく計上すれば、労働市場から早期退出することが「経済学的にはきわめて不利な選択だ」なんて、とても言えるものではないと思います。
p.31
私たちは金融資本の運用よりも先に、人的資本の運用を真剣に考えなければならない。これが「資産運用」の第一の原則だ。ということで、ここは不同意。
両者は並び立つ原則ではなく質的にまったく別の事柄であり、資産運用について考える時に「人的資本」を持ち出すのはむしろ有害であると私は考えます。
特に第1章の締めの言葉:
これからは「可能なかぎり長く働く(社会に参画する)」という生き方が人生の新しい価値になるのだ。これは酷い。
これが「年金問題をもっとも簡単に解決する方法」だそうで。
とは言え、本書で明らかに変だと思ったのはここだけでした。時間がなければ第1章だけ読み飛ばせばいいでしょう。
(つづく)
私も「年金問題~方法」に引っかかりましたが、
返信削除計画的資産形成がうまくできなかった人たちには
慰めの言葉となるのではないかと思いました。
また労働力不足の解消の一助にも。