昨日の記事で紹介した『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』では、安定した給与収入を生み出す自分自身という人的資本を、1億円程度の現在価値をもつ「サラリーマン債券」とみなす考え方が出てきます。
確かに面白い考え方だとは思いますが、一晩考えた結果、私はこれは誤りであるとの結論に至りました。
なぜなら、金融資産としての債券の場合、保有して寝ているだけで、元本を消費することなくリターンを生み続ける(お金が働いてくれる)という性質があるのに対し、「サラリーマン債券」がリターンを生むためには、自分自身の労働力を消費することが必要不可欠だからです。当然、一度消費した労働力を返還してもらうことはできません。
さらに、「サラリーマン債券」は、定年を迎えると同時に元本の価値が消滅するという特異な性質をもっています。
結局のところサラリーマンは、自身が持っている労働力や時間という有限のリソースを、会社のために消費するのと引き換えに給与収入を得ているだけであって、これは債券がリターンを生む仕組みとは根本的に異なります。サラリーマンに限らず、すべての労働者について同じことが言えます。
以上の理由から、人的資本を債券とみなすことは不適切だと思った次第です。不適切な前提から導き出された「貧乏投資家の法則」が極端すぎて受け入れがたいのも頷けます。
追記。参考記事。
労働を債券とみなせるかとは別に「生涯年収が3億円だから3億円の人的資本がある」との橘氏の主張は、人的資本の過剰評価だと思います。企業の価値は売上ではなく利益で評価するように、人的資本も生涯年収から生涯生活コストを引いた値を現在価値に割り引いて考えるべきと考えます。
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