2009年10月25日

『脱「ひとり勝ち」文明論』



ここで言う「ひとり勝ち」は、「豊かさや、経済力などが、先進国の、世界全体から見たらごくごくわずかな人たちに集中していること」を示す言葉
だそうです。そして、
「化石燃料をエネルギーにした一回目の工業化の時代」のあとには、「太陽電池をエネルギーにした二回目の工業化の時代」がくる
そのことによって、
 世界中の約70億人の人たちも、「20世紀のアメリカ人と同じように裕福な生活」を実現できる。
という、一見夢のようなお話です。

しかし本書によれば、現時点の太陽電池の発電効率のままでも、大量生産によって価格が現在の1/4に下がりさえすれば、従来の発電コストよりも安くなるところまで来ているそうです。価格を1/4にするには生産量を100倍にする必要があり、決して低いハードルとは言えませんが、そこを乗り越えれば爆発的に普及が進み、さらに価格が下がる好循環が加速して、最終的にはエネルギーコストがタダ同然にまで下がっていく・・・というところまで想像が膨らみます。そうすると、前述のような世界も決して夢物語ではないように思えてきます。

数ある自然エネルギーの中で太陽電池(太陽光発電)が主流になる理由は次の通りです。
①世界中のどこでも使える(公平性)。
②未来にわたって使うことができる(持続性)。
③太陽電池だけで世界のエネルギーを全てまかなえる(最大効果量)。
④資源が無限にある(資源制約)。
⑤普及しても新たな問題が発生する心配がない(新たな問題)。
⑥他のエネルギーを得る方法に比べて、電気代がものすごく安い(限界コスト)。
⑦使うのにむずかしい技術がいらない(利用の容易性)。
バイオ燃料は風力発電や水力発電に比べても劣っている点が多いので、太陽電池の比ではありません。いずれ消えてゆく運命にありそうです。

地球温暖化については、次のように述べています。
高い経済成長のせいで、あるいは進みすぎた科学技術のために、また、過度に裕福な生活のせいで、温暖化が起きているというわけではないのです。
(中略)
問題は、せっかく、20世紀なかばからいまにかけて、量子力学を基盤として、本当の意味で新しい技術が生まれているのに、それを使わないまま、100年以上も前の科学的知識にたよった技術を使い続けていることが問題なんだ、ということなのです。
しかも、むしろ、新しい技術を使ったら、温暖化はなくなるどころか、さらに、エネルギーが行きわたって、人類は裕福になる、世界中でアメリカ人と同じようにエネルギーを使えるようになる……。
そんな脱「ひとり勝ち」の文明が、すぐそこにあるんだということでもあります。
二酸化炭素は地球温暖化の犯人ではない、という野暮な話は置いといて、環境問題を解決するのに、経済成長を抑制したり科学技術を忌み嫌ったりするのは完全に方向性を誤っているということです。

全体を通じてとにかく明るい未来像が描かれており、わくわくしながら読みました。以前、『宇宙旅行はエレベーターで』を読んだときと同じような気持ちです。どうやら私は、SFの世界が現実になるシナリオに弱いようです。

2009年10月23日

『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』



幸せのハードルが高めの人、マイナス思考をしがちな人、成功法則本が大好きな人にとっては、考え方を変えるきっかけになる本かもしれません。

10のルールのうち、私が共感した部分を挙げてみます。

第1章 恋愛にすべてを捧げない
たとえ恋愛がうまくいかなくても、それで「ほかのことはすべて意味がない」とか「私は無価値な人間だ」と考えてしまうような思考のスタイルから、自分を解放することだ。
ここは「恋愛」を仕事など他の言葉に置き換えても同じで、対象が何であれ「すべてを捧げる」という行為自体がとても危険なものだと思います。

第3章 すぐに白黒つけない
「まあ、いまのところはそう思っているのだけれど、もうちょっと様子を見てみないと何とも言えないね」といったあいまいさを認めるゆとりが、社会にも人々にも必要なのではないだろうか。そしてこの「あいまいなまま様子を見る」という姿勢はまた、自分と違う考え方、生き方をしている人を排除せずに受け入れるゆとりにも、どこかでつながるものだと思われる。
同感です。

第6章 仕事に夢をもとめない
「私は何のために働いているのか」と深く意味をつきつめないほうがよい。どうしても意味がほしければ、「生きるため、パンのために働いている」というのでも、十分なのではないだろうか。
完全に同意します。

第8章 お金にしがみつかない
たとえば本の場合、本当に『売れればよい」のだろうか。また、「売れる本が必ず良い本」なのだろうか。
ここは、書くことより売ることに重きを置く勝間氏への痛烈な批判に聞こえました。確かに最近の勝間本は内容の割には売れすぎている傾向が顕著だと思います。

第9章 生まれた意味を問わない
どう考えても「なぜ生まれたか」などという問いにはあまり深く立ち入らないほうが身のためだ
(中略)
「本当に答えが出ることはない。逆に、これだ、という答えが出たときは危険なのだ」ということは、頭の片隅にとどめながら悩むべきだ
これは本当に意味のない問いだといつも思っています。悩むことさえ時間の無駄でしょう。もし真剣にこれを問いたいのであれば哲学の道を志すべきじゃないのかなと。

第10章 <勝間和代>を目指さない
努力したくても、そもそもそうできない状況の人がいる。あるいは、努力をしても、すべての人が思った通りの結果にたどり着くわけではない。これはとても素朴でシンプルな事実であるはずなのだが、まわりを見わたしてみるととくに最近、そのことを気にかける人がどんどん減っているように思える。
いくら成功者でも、というより成功者であればあるほど、「私がいまあるのは幸運と偶然の結果であって、一歩間違えれば、私も病気になったり家族に虐待されたりしていま頃孤独な失敗者だったかもしれない」と思えなくなるのだ。
普通の人から見れば香山氏だって十分に成功者だという意見がありますが、成功者自身がこのような事実を直視し、努力主義を否定する例は珍しく、貴重なことだと思います。

2009年10月15日

『人生、しょせん気晴らし』



タイトルの意味するところは、著者が「岩盤のように硬い」とする次の前提さえ理解できれば、自然に導けるものだと思います。
私が死んだあとでも、世界は「ある」という前提。あるいは、もっと簡単に言うと、未来は「ある」という前提。その理由を書くと何百枚になるから控えて、とにかくこれを私は断じて認めない(後略)
これだけだと一見わかりにくいですが、続いて
このすべてを、単なる偏屈と片付けられても困る。私はこう考える自分を、目を輝かせてあれを伝えたいこれを伝えたいと語る評論家たちよりもずっと「まとも」だと信じている。彼らは、自分が死ぬことの意味、自分の存在が無に帰しもう二度と有に戻ることのない凄まじさに対して真面目に向き合っていないのだ。この不真面目さは、やがて自分の子供たちも孫たちも、そして人類も地球も太陽系もなくなって灰燼に帰するという凄まじさを直視しないという不真面目さとリンクしている。未来はない。
ここまで読めばわかるのではないでしょうか。まあ、そもそも直感的に信じられていることと違いすぎる前提なので、わからないと言われればそれまでですが。
さらに、
 じつに不思議なことだ。こういう考え方をする人がきわめて少ないということは。彼らは、大真面目な顔つきで「未来社会の倫理」とか「地球温暖化問題」とか議論している。あと50年したら海面は数メートル上昇して東京は水没する!と警告を発する。しかし、そのとき自分はいないのだよ! そのほうがよっぽど差し迫った「問題」ではないかと思うのだが。そのことに全力で取り組むべきだと思うのだが。どうも思考回路がそういう具合にでき上がっていないようである。
と畳み掛けられ、私は、確かにおっしゃる通りだと納得してしまいました。
いままで、放置自転車をけり倒したり、駅員のマイクを奪って線路に投げ捨てたり、酒屋のスピーカーを引き抜いて民家の池に捨てたり……この程度の軟弱な抵抗に留めておいたが、
それ軟弱じゃないです…。さすがは戦う哲学者。
スピーカーは結局3万円で弁償したそうですが。(笑)
 では、気晴らしでないものとは何か? それはただ一つ、各人が自分の投げ込まれている「たまたまたった一度だけ生まれさせられ、もうじき死んでいく、そして二度と生きることはない」という頭が痺れるほどの残酷な状況をしっかり見据えて━━これだけを見据えて━━生き抜くことだけです。


関連記事:
いろいろな意味で面白い内容で、私にとっては久々の「当たり」本でした。 Wikipediaによれば著者は「戦う哲学者」だそうで、たとえば こちらのブログ で引用されているような奇特な行動を積極的に行う様子は、強烈に印象に残ります。世間からは「変人」とか「KY」というレッテルを貼られ...
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2009年10月14日

『会社に人生を預けるな』



勝間本は図書館でも相変わらずの大人気のため数ヶ月待ちでやっと回ってきたのですが、内容的には凡庸でこれといった収穫はなかったように思います。タイトルに釣られた感が残りました。
 宝くじを買う人は、ある意味でだまされているといっては言い過ぎかもしれませんが、このような期待値で見たら明らかに損な取引でも、わずかでも夢のある取引について高い効用を感じるようなリスクの効用曲線を持っているのです。そして、このような効用を持っているがゆえに、そこにつけ込んだ商法(宝くじがまさにその典型です)にお金を吸い取られやすくなるのです。
その通りですが、これは期待値の計算ができない愚か者は損をするというごく当たり前の話に過ぎないので、ダウンサイドリスクの小さい宝くじを買うことを、リスクリテラシーの欠如を示す例として使うのは適切でないと感じました。
 ところが、投資をする際、下落するのはイヤ、上値についてはやはり最低でも年間10%、できれば数十パーセントのリターンがほしいという人が多いのです。
もし身近にそういう人がいたら、最初に伝えるべきことは「詐欺に気をつけろ」ですね。
普段、困ったことはお上が解決してくれ、何かのリスクが生じて困ったときは、とりあえず「お上は一体何をやっているんだ」と怒る、あるいは叩くという発想に結びつく傾向にあるといえると思います。
 これはとても問題の多いメンタリティだと私は思います。
同感です。

2009年10月11日

『格安エアラインで世界一周』



LCCを乗り継いで世界一周する旅行記で、以前読んだこの本と同じように、乗り物に乗って移動することが目的化しているのが特徴です。

事前に予約したのは日本発着便のみで、それ以外は行く先々でノートPCをネットにつないで、ルートを選びながら航空券を購入していきます。宿泊先も現地の空港に着いてから考えます。このような行き当たりばったり、かつ時間的余裕の少ない旅のスタイルでも、それらしいトラブルにも見舞われずに順調にこなしていく様子を見て、ちょっとした驚きと同時に、流石は旅のプロだなあという感想を持ちました。たとえば入国審査でトラブらないために敢えて職業を「architect」と詐称するところなんか特に。面白いトラブルを期待しながら読んだのに残念です。(笑)

経路とコストは次の通り。
関西
↓Cebu Pacific Air \24,286
マニラ・クラーク(フィリピン)
↓Air Asia \9,950
クアラルンプール(マレーシア)
↓Air Asia \2,470
シンガポール
↓Tiger Airways \11,878
バンガロール(インド)
↓Air Arabia \10,822
シャルジャ(UAE)
↓Air Arabia \19,343
アレキサンドリア・カイロ(エジプト)
↓Aegean Airlines \20,034
アテネ(ギリシャ)
↓easyJet \14,681
ガトウィック(イギリス)
↓Aer Lingus \13,224
ダブリン(アイルランド)
↓Aer Lingus JetBlue Airways ¥35,310
ニューヨーク経由、ロサンジェルス・ロングビーチ(アメリカ)
↓Singapore Airlines (LCCではない) \57,230
成田

飛行機代総額\219,228。まあ安いのでしょうけど、実際にこのような乗り継ぎで世界一周旅行をしてみようとは決して思いませんでした。ひたすら移動、移動を繰り返す旅はやっぱり過酷だとわかります。

各都市のエピソードで印象に残っているのは…
バンガロール
・とんでもない飲んべえの男たち

アレキサンドリア
・入国用のビザを国内側にある銀行窓口で取ってこいと言う入国審査官
・空港のツーリストインフォメーションが午前11時半には閉まっている

カイロ
・ヨーロッパの若者たちの「外こもり」の街
・タイよりも物価が安い

アテネ
・建物がしょぼい

ダブリン
・頑固な町(古い建物が多い)
・料理の量がやたら多い
・物価が高い

その他
・LCCに乗るときはイヤホンを持参すること

関連記事:
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