2012年5月29日

『定年後のリアル』 勢古 浩爾 (著)



アマゾンに「同世代に何ももたらさない唯我独尊人生論。」というタイトルの★1レビューがあるように、充実した老後人生の参考にしようと本書を手にした人にとっては知りたくもなかった、妙にネガティブで身も蓋もない現実を突き付けられたと感じる内容かもしれません。

この先わたしたちはどうすればいいのだ、なにか教えてくれ、というように具体的な方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、とわたしは考えているからである。求めさえすれば、自分の現実を変える「方法」や「答え」をおまえは示すべきだ、という根性じたいがだめである。そんな魔法のような「方法」や「答え」など、どこにもないし、だれも知らないのである。有名人や学者や金持ちや偉い人や成功者に訊いても無駄である。
同意します。
誰かが答え(のようなもの)を示さないと不安だ、一人では何も決められないという人は、自分の人生を生きることはできないと思います。

”サンデー毎日”は、たしかに楽は楽なんだけどね。それほどうれしいことじゃない。やっと宮仕えから解き放たれたという解放感は意外なほどないものである。
ここは不同意。
人生の多くの時間を奪っていた労働義務から解放されるのは、単に気が楽になるというレベルのものではなく、やっと自分の人生を生きることができる、という根源的な解放感、幸福感を伴います。私の場合。

子どもはなんとか手が離れている。持ち家だけはかろうじて確保しているが、貯金は質素に暮らしても四、五年で食いつぶしてしまうほどしかない。
定期収入は「月十万円少々の年金だけ」とあるので、夫婦二人暮らしにしては資産が足りないかもしれませんね。奥さんの年金がどうなっているのか不明ですが、足りないなら足りないなりに、今からでも工夫して支出を減らすしかないですね。

ただ、昼食を六百円以上する外食で済ませたりしているようで、それほど「質素に暮らして」いるようには見えないんですけど…。やっぱり上の年代に行くほど金銭感覚が少しずつズレているような気がします。

いうまでもなく、欲望の合計額が現実の手持ちの額を上回るのはだめである。いい家に住んで、うまいものばかり食って、車も持って、年に何回も海外旅行に行って、などと自分の欲望を元に考えれば、手持ちの額で足りるわけがないのである。いい古されたことだが、足るを知らなければならない。世間に煽られて、不要で余計な欲望をかきたてられるなど恥である。
その通りですね。
人間の欲望には上限がないので、どこかに線を引いて諦めなければ、死ぬまでお金を稼ぎ続けることになるでしょう。

わたしはもう決めた。テレビを見て、散歩して、本を読むだけでけっこうである、と。あと時々旅行。なにかをしたくなればするし、そうでなければやらない。
そう、これでいいんです。自由時間とはそういうもの。

容姿はもうどこから見てもおっさんおばさん、なのにこころはまだ十代の頃のまま、というギャップである。年をとるにつれて、容姿(生理的年齢)とこころ(自分年齢)の乖離が激しくなっていくのである。
鏡を見ると、そこに現在の自分が見える。なんで、いつの間にこんなに老けたのだと思う。これがおれなのか? と思う。
わかります。
心は十代とは言わないまでも、二十代の頃から何も変わってない気がするんですよ。特に男性は精神的に歳を取りにくい生き物のような気がします。

べつに趣味なんかあってもなくてもどうでもいいのではないか。「趣味」という言葉にあおられることもないのだ。
同感です。

外に出れば出たで、電車に乗るにも喫茶店に入るにも、美術館や展覧会や映画に行くにも、安い昼食をとるにも金がかかる。自由とはじつに金のかかる代物である。
これは不同意。
金がかかるのは自由だからではなく、忙しかった現役時代の習慣が染み付いていて、時間や手間を惜しんで何事も金で解決しているからでしょう。つまり金が「かかる」のではなく、自ら金を「かける」選択をしているだけ。
金をかけたくなければ、たとえば高価な公共交通機関なんか使わずに40km/Lのバイクで移動すればいいし、喫茶店じゃなくマクドナルドの100円コーヒー、映画はTSUTAYAの100円レンタル、昼食は自炊すればいいんですよ。

時間貧乏な人なら時間をお金で買うしかないような場面でも、時間リッチな自由人なら時間を使ってお金を使わないという選択肢も選べるわけです。選択肢が一つしかないよりも二つあるほうが良いに決まっています。

暇はなんでもつぶさなければならない、というのが間違いである。その暇もまた退職者の特権である。もはや暇が生活の基本である。その暇のあいだに、趣味をしたり、散歩をしたり、旅行したりするのである。
その通りです。
暇な時間をつぶさないと気が済まないタイプの人は、リタイアしたら苦労すると思いますよ。

さっきから聞いていると、おまえは陰鬱なことばかりいっているが、それじゃあ夢も希望もないではないか、という人が、私ははっきりいって嫌いである。ウソでもいいから明るいことはいえないのか、という人が嫌いである。
同感です。どんなに明るいことでも、「ウソでもいい」わけがないだろうと思います。
この価値観に共感できない人は本書を読まないことをおすすめします。

参考記事:お金学 定年後のリアル(勢古浩爾著)