2009年6月29日

『今こそ知りたい資産運用のセオリー』



良書か悪書かと言われれば良書の方になることは間違いないのですけど、アマゾンに5つ星のレビューばかり並んでいるのを見ると、いかにも過大評価だなあという気がします。

賢明な投資のための指針
①投資・金融商品を含むあらゆるセールスマンは投資家(ユーザー)の利益のためではなく、自身の販売利益のために働いていると肝に銘じよう。
②年率1~2%程度のコスト格差でも長期では大きな相違になると認識しよう。
③株式投資はTOPIX(米国ならS&P500など)のETF、もしくは手数料の安いインデックス投資信託を主体にすえよう。
異議なし。
市場全体に投資すれば、短期的な損益の変動はあっても、長期で保有すれば必ずプラスの投資リターンが得られる。そういう資産を購入することを投資と呼ぶ。
投資とギャンブルを区別する視点としては正しいのですが、「必ずプラス」は言い過ぎで、ここは「期待リターンがプラスである」と言うべきです。

株式市場の変動性(ボラティリティ)の推移については、
2008年10月の暴落まで含めて計算しても、2000年代に株価の変動がより激しくなっているという傾向は、日米ともに確認できない。株式市場は昔からこのぐらい移り気に激しく変動していたということだ。
と述べています。
90年代の米国市場のボラティリティが総じて低い上に右肩上がりで、「株式投資の黄金時代」だったため、その後の10年が悪く見えてしまうだけではないかという分析は妥当だと思いました。

本書で残念なのは、
 それでも日本の株価全体が90年代以降右肩上がりの成長をせずに、これまでのところ上下動を繰り返しているのは事実であり、単純に株価指数連動の投信やETFを買って保有していてもあまり高いリターンは望めそうにない。その点を何とかする工夫はないだろうか?
(中略)
景気の悪い時に買い増す、景気の良い時に売って投資持ち高を減らすという単純な原理を貫けば良いと考えている。
このように変な色気を出してタイミング戦略を語り始める点でしょうか。こういう余計なことがあちこちに書いてあるため、情報を正しく取捨選択できる人にしかお勧めできない本と言えるでしょう。
インド、中国、ブラジルなど途上国への投資を多少持っているのも良いかもしれない。ただし、どういう金融資産を持つかで差が出る。途上国の長期的な成長率の高さに投資するならば、株式に投資すべきであり、多少金利が高いからと言って確定利回りの債券投資をするのは誤った選択である。
同意します。その理由としては、
高金利通貨に長期的に投資しても、高金利通貨は高インフレ通貨なので、長期的には高金利通貨の為替相場は購買力の減少に見合って下落する。その結果、外貨ベースの金利は高金利でも長期的には高金利通貨の為替相場の下落で、金利差分が相殺されてしまう。
ということに尽きます。
いわゆる「スワップ派」のFX投資が流行っていた時期もありましたが、スワップ収入によって期待リターンがプラスになるわけではなく、長期で円売りポジションを持ち続けたとしても結局はゼロサムゲームに参加していることに変わりはないのも、これと同じ理由からです。
興味深いことに、日本の投資家は機関投資家も個人投資家も含めて総じて利率で示されるインカムリターンの高さに惹かれ、キャピタル損益に関する判断は二の次におかれる傾向がある。1980年代以降繰り返されてきた高金利通貨への投資ブームなどは、まさにそうした傾向の産物で、2004年頃から急増した高配当・毎月分配をうたう外貨投資信託のブームはその典型である。
このような非合理的なバイアスの存在を巧みに利用したボッタクリ金融商品には、くれぐれも引っかからないようにしたいものです。

なお、本書では、以前当ブログでも記事にした『サブプライム後の新資産運用』に書かれている
「ある国と日本の成長率の差が広がる傾向にあれば、ある国の通貨は日本の通貨の価値よりも高くなる傾向があります」
という一見もっともらしい説明を、トンデモ論であると批判しています。

2009年6月22日

『何のために働くのか』



直接読んだ本ではないのですが、「何のために働くのか? - Blog ’bout Creditcard,E-Money & WebMarketing」 に要点が抜粋されていたので、その部分だけ読んで感じたことをメモしておきます。
世のため人のために何をするべきかという自分の使命や志を考える前に、給料や待遇といった私利私欲を優先して会社を選んでしまったということはないでしょうか?
(中略)
「給料が高いから、あの会社で働こう」というように、いかに金を儲けて、美味しいものを食べるかに苦心しているのが今の世の中です。
それもこれも、すべては道徳の欠如に原因があると私は思います。
世のため人のために何かをしたいというのも、承認欲求や自己実現欲求という立派な私利私欲だと思うのですが・・・。なぜか金銭欲だけをことさら蔑視する人が多いみたいですが、意味のない区別だと思います。

そして、どの私利私欲を優先するかは、個人個人が自分で判断すればよいことです。中には、使命や志などにまったく興味を示さない人もいると思いますが、それも一つの労働観です。道徳や善悪の問題にすりかえてはいけません。
人間の一生なんてはかないものなのです。ある日、気がつけば、もう明日には棺桶に入らなくてはいけない。
本当にその通りだと思います。ある程度の年齢になるまでは、残された時間の短さに気付きにくいのも確かです。
目的もなくただ遊ぶ暮していれば「あぁもったいない人生だった」と悔いばかりが残ります。
いえいえ、そんな暮らしが幸福だと感じる人もいるのです。少数派であることは自覚していますがね。

私に言わせれば、何十年も世のため人のため会社のために自分の時間を犠牲にするような生き方こそ、悔いが残るだろうと。でも自分以外の誰かに、そんな生き方をやめろと言うつもりはないです。

まあ結局は、「何のために働くのか」は人によって違う、というごく当たり前の結論に落ち着きます。これだと本になりませんけど・・・(笑)

2009年6月20日

『弾言』



404 Blog Not Found で有名な小飼弾氏の本です。
切れ味鋭いブログ記事と比べて、かなりマイルドな印象です。その点がやや物足りない気もしますが、彼のブログを面白いと思える人なら読んでみて損はないでしょう。

共著者のITジャーナリスト山路達也氏のことは存じませんでしたが、彼のブログも面白そうなので購読することにします。本書についてはこちらの記事で紹介されています。

共感した弾言。
多くの人が金持ちを目指すことは、社会全体を健全にする
ワーキングプアと言われる人たちは、8時間の労働では十分なお金を得ることができずに、仕事をどんどん追加していきます。要するに、自分の時間を安売りしているんですよ。一番貴重なリソースなのに。時間を取り戻すことは神でも不可能です。
残業に依存するのは、ニコチンに依存するより危険です。
時間がちょっとでも空いたら、本を読め
現代においては、バカであることが罪になってしまった
テレビを見ないことは、禁煙するよりも効果があると弾言します。タバコで縮まる寿命より、テレビで無駄にする寿命のほうがずっと長い。
テレビを消せない人間は、死ぬまで情報弱者である
新聞を読むのは飛行機に乗っている時くらい。自分で取って読むものじゃないですよ、新聞は。
情報洪水に溺れないコツは、一方的に送られてくる「プッシュ型」の情報を一度全部捨ててみることです。
突き詰めて言えば、人生は目標や目的ではなく、過程です。人は何のために生きるのかなんて考え始める人もいますが、そんなのは根源的なようでいて、一番アホな質問。そんなアホなこと考えるから、必要もないのに自殺する奴が出たりします。
利己的=利他的 ⇔ 自虐的
意外に思われるかもしれませんが、金持ちはあまりカネを使わないんですよ。金持ちであることの最大の罪は、カネを使わないことです。
時間というのはどんなにカネを払っても増やせない、最も貴重なリソースだということを忘れないようにしてください。
根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。
レンタルが終わったら当然返却しなければなりません。では、いったい誰に返すのか?
(中略)
世界から借りたモノは世界に返す方がシンプルでよいのではないでしょうか?
 こうした考え方を突き詰めていくと、「ベーシック・インカム」にたどり着きます。
毎月1人1人に5万円ということは、国民全員で年間72兆円。そんなカネがどこから出るのかと思うかもしれませんが、僕の計算では現在の経済規模でも十分に実現は可能です。
(中略)
相続される金融資産が年間30~40兆円、土地も含めると70兆円規模になります。ぶっちゃけ、相続税を100%、というより社会そのものを相続人にしてしまえば、それで足りてしまうのです。


2009年6月16日

『「知の衰退」からいかに脱出するか?』



400ページを超える大作ですが、その割には読みやすい本です。

日本人の集団知が衰退しているという話は、私も普段から何となく感じていたことで、
 この郵政選挙で指摘されたのが「B層」と言われる人々の存在だった。これは自民党の言葉で説明すると「具体的なことは何もわからないが、人気やムードだけで行動する人々」である。
 となると、このB層という ”考えない人々” が増え続けていることが、日本人の「集団知」を大きくおとしめているのではないだろうかと考えたくなる。
 官製不況に関して言えば、じつは、私たち国民の側にも大いに問題がある。それは、少しでも頭を働かせれば、「お上にまかせるとロクなことはない」とわかるのに、それをしてこなかったからだ。
 国民の多くは何も考えず、ただ「どうにかしろ!」とメディアと一緒に騒ぎ立て、結局はお上に委ねる選択をくり返してきたにすぎない。
(中略)
 こうしたことを考え合わせると、日本の消費者は ”自分で考える” ということを放棄し、安全をすべて他人任せにしているということである。さらに言えば完全に「お上頼み」にしてしまい、その政府は「規制は任せろ」とばかりに、消費者庁の設置まで突き進んでしまうのだ。これは消費者団体と弁護士を喜ばせるだけの組織である。
 しかしそれが、どんなに「コスト高」を招くか考えたことがあるのだろうか?
(中略)
 日本にはそういうことに思い至る全体的な視点を持つ人が、役人にも政治家にもマスコミにも圧倒的に不足している。これではますます「官製不況」「官製失業」は悪化する。
「知の衰退」の中で、このまま官が不況とコスト増要因をつくり続けていくとしたら、この国はいったいどうなるのか?
 ハッキリ言って、いまの(集合名詞としての)日本人はバカである。集団としてこれほど知恵のない人々はいない。
 というのは、メディアと有権者が好むのは「あの人ならやってくれそうだ」というイメージだけだからだ。政策を掲げ、それをどのようにやるかと言い出すと ”理屈っぽい” となり、単に「やる」と言っているだけの人間のほうが評価が高くなるのだ。
性懲りもなく国民の税金をばらまくことしかできない。このケインズ方式の経済対策は、日本でも1990年代に何回やっても効果がないことが証明されたにもかかわらず、政治家たちはまだやめようとしないのだから、彼らの「低IQ」ぶりには、もはやつけるクスリがないと言うしかない。
 とにかく、わが国の政治家のほとんどが、地盤・看板・カバンの ”三種の神器” を身につけているだけで、私が大学生の ”三種の神器” としたIT・英語・ファイナンスの3つはさっぱり身につけていないのである。
これらの現状分析はまさにその通りだと思います。
ただ、昔は ”考えない人々” の割合が今より少なかったかといえば、そうでもないような気がします。経済的に順風満帆だった昔の状況においては、考えない人々によって選ばれた政治家でも問題がなかなか表面化せず、何とかなっていたという面もあるのかなと。

第3章の資産運用の話には少し変なところもあります。
 たとえば、私なら日本で金利が安いときにおカネを借り、金利が倍以上のオーストラリアで家を造る。造り終わったらそれを売って、それで借金を全部返してしまう。だからタダで家が建ったというような、そういう投資ができる。
 現在の日本の超低金利を利用しておカネを運用するなら、ほとんどのものをタダで買えると言っても過言ではない。
いえ、過言です。(笑)
タダで家が建ったのは、あくまでも結果論です。リスクを取った結果として運がよければそうなることもあり、運が悪ければ(円高や不動産バブル崩壊で)大損することもあるという話にすぎません。このような書き方だと、ノーリスクで儲かる美味しい投資先が存在するかのような誤解を与えると思います。
 私が講演でよく言うのは、「日本人は死ぬ瞬間がいちばん金持ちである」ということだ。どういうことかと言うと、年金さえも3割を貯金に回して貯蓄に励み、死ぬ瞬間に1人平均3500万円を残して死んでいくということである。
(中略)
 あの世におカネを持っていけるわけがないのに、自分が死ぬ瞬間までお金を使わないのが日本人なのだ。こんな国民は世界中で日本人だけだろう。
私はこういう死に方はしたくありませんが、考え方は人それぞれなので好きにすればいいと思います。

それより、1人平均3500万円という数字を見てどう思います? 
私は「やっぱり最近の高齢者は裕福だなあ」という感想です。相対的に貧乏な現役世代から年金という仕送りをする意味がますますわからなくなりますし、最近の若者がお金を使わないことを問題視している場合じゃない気がします。
 ともかく、日本人は ”考えない”。考えようとしなくなり、すべてを丸投げする傾向が強くなった。
 資産運用はプロに丸投げ。子供の教育は学校に丸投げ。政治は政治家に丸投げ。食の安全は企業と官庁に丸投げ。ようするに「丸投げをする」という意思決定だけをする。これが、現在の日本人の共通したメンタリティではないだろうか?
同感です。

ネット社会については、著者は非常に肯定的に捉えているようです。
 ネットの弊害を主張する人は多いが、そういう人には、「むしろ宗教のほうが、人間の脳を怠惰にしているのではないか」と言いたい。
 ようするに、すべては使う側の私たち人間の問題なのである。「匿名性が人間の負の部分を引き出す」といった指摘について言えば、「プラス」を引き出すも「マイナス」を引き出すも、すべてはそれを使う人間次第だということである。
賛成です。
 じつは私は、10年ほど前から新聞を購読していない。
同じく。いまだに金を払ってあんなものを読んでいる人の気が知れません。
 ネット上の記事はすべて均等の大きさで並んでいる。つまり、私にとってのトップ記事は自分自身で決められる。このことがとても重要で、かつ意義のあることなのだ。
 つまり、情報に対して受け身であってはならない。自ら意識して必要と思われるものを選択してこそ、その情報を活用する道が開けるのである。
こうしてブログを購読しているような人たちには、今更言うまでもないことですね。
インターネットが日常レベルのものになってからすでに10年以上がたつのだから、私たちはそろそろ次の段階にステップアップすべきである。

「次の段階」━━━それは人々が学び、情報武装して賢明な市民となり、マスメディアのバイアスから解放されること。また、政治家や官僚のウソを見抜き、1人の独立した個人としてすべての物事を判断し、その結果として健康で文化的な生活を手に入れることだ。
 ますます進行する低IQ社会とサヨナラするために、どんどんネットを利用してもらいたい。それが、あなたを豊かにする道であり、日本の衰退を食い止める道でもある。

著者はこの「低IQ社会」を脱し、明日を変えたいと願っているようです。
 日本の一部には「スモールハッピネスでいいじゃないか。このまま貧しくなって経済大国の看板を下ろしてもいい。スモールハッピネスさえ守れればいいのだ」という意見がある。
 読者のみなさんはどう思われるだろうか? はたしてそれで、私たちは幸せなのであろうか?
これを「ポルトガル現象」と呼ぶそうですが、私は「どちらでもでいい」派です。スモールハピネスでも幸せな人は幸せだし、不幸な人は不幸です。幸福の基準は人それぞれなので一般化はできません。豊かさの基準にしても、国別のGDPで世界第何位とかいう数字や「経済大国」という看板が、必ずしも個人個人の幸福につながるとは限りません。
シンガポールに一人当たりGDPで抜かれたら抜き返す計画を立てるべきなのだ。日本企業は世界競争の中で必ずそうやってきた。中国にGDPで抜かれそうになったら、ここでダッシュする方法をみんなで立案すべきなのだ。それが日本という国のそれこそ「古きよき伝統」であったはずだ。
こういう国別対抗戦に躍起になる人の気持ちがわかりません。このグローバル化時代には、もはやどうでもよいことではないでしょうか。野球にたとえるなら、オリンピックやWBCという国別対抗戦よりも、国籍関係なしにトップレベルの選手がしのぎを削るメジャーリーグの方が断然面白いと思います。

日本という国の経済力が相対的に衰退していっても、世界が全体として経済成長を続けているのなら、その恩恵にあずかるチャンスは日本人である私たちにも開かれています。
 勝ち組として伍していこうとするのなら、まず自分から行動を起こすしかない。集団IQがここまで下がってしまった日本政府や社会に期待しても、ムダである。
 このことに気がついたあなたには、「知の衰退」から脱出して、自分なりに納得のいく ”ユニークな生き方” を始めてもらいたい。
「勝ち組」という言葉は好きではありませんが、国や社会に頼らずに自立すべきという考え方には共感します。私はこれからも今の ”ユニークな生き方” を続けながら、いろいろなことを考え続けていこうと思います。

2009年6月9日

『日本人が知らなかったETF投資』



ETFを利用した長期分散投資の入門書ですが、ETFにこれほどフォーカスを絞った本は珍しいと思います。難しい投資理論の解説抜きに、具体的なETFの銘柄を挙げてポートフォリオの組み方を指南する、かなり実践的な内容です。

 あなたがしなければならないこと、それは、投資のリスクを受け入れ、「今日より明日がよりよい世界」になると信じて、ETFを保有し続けることです。つまり、世界の国々に、我慢強くリスクマネーを供給することなのです(それがあなたの仕事です)。
長期投資を実践する上で、この「我慢強く」という言葉がかなり重要なポイントですね。
 あなたの投資を、リスクを抑えたシンプルなものにしたいのなら、投資の道具はすべてファンド(パック商品)で統一しましょう。
要するに、ETFというシンプルかつローコストな道具が手に入る今となっては、もはや個別銘柄という道具を使う必要はないということです。

具体的なモデルポートフォリオとしては、まず
安全資産:リスク資産=3:7~6:4

に決めたあと、リスク資産の内訳を

アメリカ株式:アメリカ以外の先進国株式:新興国株式:外国債券=1:1:2:2

が基本形、これに商品や不動産を少し混ぜるのが派生形です。

ここで特徴的なのは、先進国株式と新興国株式の比率が1:1になっている点でしょうね。世界全体の経済成長の平均値に追随するという当初の目的から考えると、時価総額比と同じ9:1が妥当と思われますが、新興国の高い経済成長に賭けたいという著者の思い入れが伝わってきます。著者自身の「ポートフォリオとはあなたの作品です」という言葉の意味がよくわかるポートフォリオに仕上がっていると思います。

なお、本書で紹介されているETFのほとんどは、日本の証券会社で購入できるものです。そのような条件付きだとどうしても選択の幅が狭くなり、コスト的にまだまだ最適であるとは言えません。本書の次はこのあたりの本を参考に、より良いETFを選別してみてはいかがでしょうか。

2009年6月3日

ブログ開設1周年

「初めてのブログ」という記事でデビューしてから、早いものでちょうど1年になります。

記事本数180、総PV約64,000。
相互リンク先の先輩方の足元にも及びませんが、当ブログはあくまでも備忘録でありPVを増やすことが目的ではないので、人生と同じようにこれからもマイペースで歩いていこうと思います。

コメント、拍手、トラックバックをいただいた皆さん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

2009年6月2日

『お金の流れを呼び寄せる 頭のいいお金の使い方』



お金の貯め方ではなく使い方にフォーカスした本は珍しいので読んでみたのですが・・・。
頭がいいとか悪いとかじゃなく、これほど価値観の合わない人を初めて見た気がします。お金の使い方こそ十人十色というか、価値観の違いが顕著に出るところなので、貯め方や増やし方以上に正解のないテーマなのだなという思いを強くしました。

冒頭に、
お金を使わない人はますます貧乏になる
と書いてあって、その理由はデフレスパイラルになって収入が減るからというのですから、いきなりズッコケてしまいました。「収入が少ない人=貧乏」という固定観念から抜け出せない人なのでしょうか。

ちなみに私は、映画『マルサの女』に出てくる「金を貯めようと思ったら、使わないことだよ。」というセリフの方が真実を突いていると思います。

「そうだ、投資をして増やそう」
 そう決心した、当時32歳の僕の手元にあったのは、わずか70万円の貯金だけでした。その70万円が、1年後には3億円の資産に成長しました。
これは凄い!年率4万%超のリターンですよ・・・。
でも、これがいかに凄いことか自覚していないようで、
本当に大切で難しいのは、実は稼ぐより使うほうであると断言できます。
 実際、お金を稼ぐのは、それほど難しいことではありません。
のような記述がでてくるたびに違和感を感じました。
実際はお金を稼ぐのも使うのもどちらも普通に大切だし、どちらが難しいかを比較するようなことでもないと思います。

他にも、「違うよ、ぜんぜん違うよ」と突っ込みを入れながら読んだ箇所がたくさんありました。
収入の範囲内で生活する発想をやめる
投資でもレバレッジは危険なのに、生活にレバレッジをかけるんですか!?
収入の半分は自己投資に充てる
自己投資ほどハイリスクな投資はありません。収入の半分で生活するのも大変な時代に、そんなものに集中投資すべきではないのでは?
20代は貯金をしてはいけない
こんな発想はあり得ない・・・。
財布に10万円入れておく
現金主義者の方でしょうか。

数少ない共感した意見の一つがこれです。
副業に過ぎない投資は「ほったらかし」でも大丈夫なものにする


2009年6月1日

『働くことがイヤな人のための本』



『人生に生きる価値はない』で著者の考え方に興味をもったので読んでみた本です。

私は、一生懸命生きれば人生に成功も失敗もない、という単細胞的きれいごとを言いたいのではない。それは完全なウソである。一生懸命に生きても(いわゆる)失敗に足を絡まれる。ノラクラ生きても(いわゆる)成功は降ってくる。
 多くの人はそう思いたくないばかりに、つい 「成功した人はみんな大変な努力を重ねたのだ」 と言ってしまうが、これは違う。これは、「ありとあらゆる世の中の理不尽を消してしまいたい」 という願望から出た怠惰な言葉なのだ。
それにしても、たいそうおかしいと思うことは、自分の好きな仕事を見いだせない者を蔑視する現代日本の風潮だ。「自分のやりたいことがきっと何か一つあるはずだ」というお説教は、正真正銘のウソだ。ほとんどの人は、目を皿のようにして探してもそんなものは見つからない。真摯に求めないからではない。さまざまな要因が絡み合い、不運が重なり合って、なんの生きがいも感じない仕事、ただ金をもらうだけの仕事に従事しているのである。
こういう冷めた見方は人によって好き嫌いがはっきり分かれそうですが、私は好きですね。
 世の中とはまことに不合理なことに、成功者のみが発言する機会を与えられている。成功者の発言は成功物語である。(略)
 彼らが自分の成功物語を個人的な体験として語るだけなら、まだ無害である。しかし、彼らのうち少なからぬ者は、成功の秘訣を普遍化して語ろうとする。「こうすれば成功できる」という一般論を語ろうとする。じつはたいそうな天分とそれ以上に不思議なほどの偶然に左右されてきたのに、誰でも同じように動けば必然的に成功が待っているはずだと期待させる。それが実現できないものは怠惰なのであり、努力が足りないのであり、適性を誤っているのだと力説する。これは大ウソである。
私は努力主義的な価値観を好まず、人は偶然の要素を過小評価するバイアスがあると思っているので、この意見には大変共感しました。よくある成功法則本の類を信じて疑わない人は、このような意見にも耳を傾けるべきではないでしょうか。(関連記事: 『夢をかなえるゾウ』
 人生を正確に虚心坦懐に見るかぎり、正直者が報われないこともあるが、報われることもある。極悪人がのさばっていることもあるが、自滅の道を歩むこともある。
 私はずっとそう感じてきたし、いまでもそう感じている。微妙な襞に至るまで正確に自他の人生を観察し、けっして荒っぽく「こうだ!」と決めつけないこと、これは、じつはなかなか訓練の要ることだ。思考の「体力」のいることだ。だからこそ貴重なことであり、人生の力になるのだ。
著者のこういうニュートラルな物の見方には、学ぶべきところが多いと思います。