いろいろな意味で面白い内容で、私にとっては久々の「当たり」本でした。
Wikipediaによれば著者は「戦う哲学者」だそうで、たとえばこちらのブログで引用されているような奇特な行動を積極的に行う様子は、強烈に印象に残ります。世間からは「変人」とか「KY」というレッテルを貼られて白い目で見られる人物に違いないだろうと。
本書のタイトルにある「人生の価値」とはまさに哲学的なテーマで、いくら考えても答が出るとは思えませんが、あとがきに書かれている次の言葉は印象深かったです。
いかに懸命に生きても、真も善も美も何もわからないまま死んでしまう。あとは宇宙の終焉に至るまで私は(たぶん)永遠の無であり、おまけに百万年もすれば人類が存在したあらゆる証拠はこの宇宙から完全に消滅してしまう。これって、考えれば考えるほど凄いことじゃないでしょうか? これでもう、生きる気力がなくなりそうになるのでは? 少なくとも、生きる価値がない理由としては充分すぎる。みな気が弱くそのくせ狡賢いからこの残酷さを直視せずに、なんだかんだ生きる価値を見つけたつもりになっているだけなのです。「百万年もすれば・・・」の部分は、その頃には銀河帝国が繁栄を謳歌しているだろうという楽観的な人もいるでしょうから「百億年」ぐらいをイメージしたほうがいいかもしれません。いずれにしても、普段そういう時間スケールで物事を考えないので目から鱗が落ちました。
ただ、この事実を鼻先に突きつけられたからといって、生きる気力がなくなるなどということは、私の場合たぶんないです。目的や価値があろうがなかろうが、今こうして心身ともに健康に生きていることを幸福だと思えるからです。
他にも次のような物の見方、考え方には素直に共感できました。
いじめの「本当の」原因とは何であろうか? それは、わが国の国土をすっぽり覆っている、いや日本人のDNAの中に染み込んでいるとすら思われる「みんな一緒主義」である。あるいは、協調性偏愛主義であり、ジコチュー嫌悪主義であり、形だけ平穏主義と言ってもいい。つまり、日本人のほとんどがそれに絶大な価値を置いていることこそが「日本型いじめ」の真の原因なのだ。
容易にわかることではあるが、協調性にはそれ自体としての道徳的価値はないのだ。協調性のある人とは、「周囲に合わせられる人」にすぎない。周囲が魔女裁判に熱病のように浮かされているときに、魔女を火あぶりにしようと真剣に企む人であり、周囲がユダヤ人狩りに精を出しているときに、ユダヤ人を躊躇なく密告する人である。つまり、与えられた状況が何であろうと、それを批判することなく受け容れることのできる人なのである。とすれば、時には協調性のないほうがいいこともある。
こうして、いじめのあまり自殺してしまう少年少女たちは、現代日本に蔓延している「みんな一緒教徒」による迫害の犠牲者なのだ。いじめの原因は、自分勝手な人、集団の調和を破る人、協調性のない人、エゴイストを嫌うあなたの常識のうちにある。自分を抑えて全体のことを考えるあなたの美徳のうちにある。みんなが給食を食べているのに、一人食べない子がいると気になる感受性のうちにある。みんなが絵を描いているのに、「描きたくない!」と叫ぶ子を非難する目つきのうちにある。
最近、人間として最も劣悪な種族は鈍感な種族ではないかと思うようになった。この種族は、(いわゆる)善人にすこぶる多い。それも当然で、善人とはその社会における価値観に疑問を感じない人々なのだから。
(中略)
しかも、最も悪質なことに、自分の鈍感さがいかに巨大な加害性をもっているか想像もしない。よって、いささかの自責の念もない。それどころか、疑問を抱き続ける人を排斥しようと身構えているほど加害的である。
思わず爆笑したエピソード。
なお、わが電通大も毎学期末になると学生による授業評価というものがある。
(中略)
ちなみに、これまでで一番の傑作を紹介すると、「この授業でとくに悪かった点」という項目に……小さい字でぽつんと「教授の性格」とあった。
はじめまして。。。私も、中島義道氏の鋭い視点には感銘を受けることが多いです。ニーチェの研究者として、まさに高等遊民的なお方のようですね~
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