2009年5月21日

『誤解だらけの「危ない話」―食品添加物、遺伝子組み換え、BSEから電磁波まで』



最近この手の本ばかり読んでいるので、もはや自分にとって意外な事実の発見こそ無かったものの、多くの人にお勧めできる良書だと思います。本書の著者は現役の新聞記者、つまりマスメディアの中の人でありながら、敢えてマスメディアとそれに踊らされる庶民を斬っているところに価値があります。

よくある「危ない話」の真実については次のように書いています。
添加物にせよ、遺伝子組み換え作物にせよ、電磁波にせよ、実際に私たちの健康を害するリスクはほぼゼロだと言ってよい。
 国内の農産物では0.02ppmの10倍近い殺虫剤が残留する果物がいくらでも流通している。
すでに私たちは10年以上も食用油や家畜のえさなどを通じて、遺伝子組み換え作物をたっぷりと食べ続けており、食べて安全かどうかという議論はとっくに決着がついている(もちろん安全だ)。
 実は、単位面積当たりの農薬使用量では日本が世界で最も多い。農薬使用王国は日本なのだ。しかし、そういった統計的な事実よりも、農薬を散布している映像や写真を何度も見せる方が人々の心を動かすのだ。
そして、メディアと庶民の関係について、
要するにメディアは科学ではなく、庶民の目線でリスク情報を報道しているということだ。「食品添加物が怖い」と書けば、多くの庶民が喜んでくれる。庶民が喜んでくれるから、また書く。やはりメディアと庶民(読者、視聴者)はリスク情報を交互に強化する「共犯関係」である。
と指摘しています。
ちょうど今、新型インフルエンザの件で大騒ぎしているのも、メディアと庶民の相乗効果に違いありません。
■マスコミは平穏嫌い
 人々が無事平穏に生活している光景は、それがいかに大切なものであっても、ニュースにはならない。その無事平穏な家庭で親が子供を殺せば、ビッグニュースになる。この親子殺しが半年に2、3度起これば、メディアの世界では日本の家庭は崩れた、となる。
(中略)
 少しでも景気が悪くなると、いまにも大恐慌が勃発するかのごとく、嬉嬉として景気の悪化記事を書くのがメディアである。まさにジャーナリズムは騒乱、混沌を愛し、無事平穏を憎む。
マスコミがこうなってしまったのは、元はといえばわれわれ庶民が危険や騒乱のニュースばかりを欲するせいです。これは、庶民の日常がよほど平穏で退屈している証拠かもしれませんね。

マスメディアに接する際には、このような方向のバイアスが存在することをどんなに意識してもしすぎることはないでしょう。

そして、安全、安心のコストについては次の通り。
 身の回りを見渡せば、怪しげな情報が多すぎる。ささいなリスクを大げさに報道するマスメディアのおかげで、だれが一番喜んでいるのだろうか。ひとつは権限の増えるお役人だろう。
 食の問題が起きるたびに、「検査をもっと強化せよ」 「食品監視のGメンをもっと増やせ」 「トレーサビリティーの制度をつくれ」 などなど、税金を増やす分野は増えていく一方だ。消費者保護庁の新設が決まったのも、この流れだ。官僚組織の肥大化以外の何ものでもない。
 BSE(牛海綿状脳症)対策では、すでに国や自治体による約4000億円の税金と食品関連業界で6000億円の損失、合わせて1兆円の金額が費やされた。このことを『おもいやりはお金に換算できる!?』(講談社)で指摘している環境経済学者の有路昌彦氏は「牛肉を食べて感染して死んだ人は1人もいなかったのに、日本人は食の安全に1兆円をかけた」と書いている。
 BSE問題では、「安全・安心」というおかしな言葉が流行したために、「安心」のために全頭検査をやってほしいという声がいまだに強い。人の気持ち、感情はいろいろだ。世の中には何をやっても安心できない人がいる。そういう安心できないひとがいるから、という理由で、安心している人たちからも税金を取り立てて、無駄な安心対策に税金を費やすことがどこまで許されるのか真剣に議論しなくてはいけない。
これらの意見に全面的に賛同します。

0 件のコメント:

コメントを投稿