僕は常にヒマ人であり、またそうあろうとしている。 忙しければ余計なことは考えない。しかし、僕はヒマ人であることで「余計なこと」を考え続けようと思っている。 初出 2016/11/1 僕がヒマ人的生き方をするようになってから随分と経つ。 自分がヒマ人だなんて全く自慢できるこ
僕がこのブログで、あるいは会う人たちにヒマ人だと言うと(ついでにビンボーだとも言っているがこちらはスルーされる)中には「退屈ではないか」と問われることがある。分かります。
そういう人たちのご期待に沿えず、僕は全く退屈はしていない。
本を読んだり、ネットを徘徊したり、散歩したり、喫茶店に行ったり、古本屋に行ったり、ラジオを聴いたり・・・とやることは沢山ある。あっ、それとこのブログを書いたり、ブログのネタを考えたりすることも大切な時間である。ほんと、退屈する時間なんてどこ探しても見つからないんですよね。
そうこうしているうちにあっという間に1日は終わる。退屈どころか時間が足りないくらいだ。
「退屈ではないか」という問いを発するような人とは永久に分かり合えないのだと思います。それでいいんです。感性の違う人と分かり合う必要はありません。お互いに関わりを避けて共存すればいいだけです。
思い返してみると、僕が退屈さを感じたのはたくさん働いていた頃で自由な時間が意に反して奪われていたときだった。全く同感です。
ヒマ人的生き方を続けているかぎり、僕は退屈だと感じることはない。
義務として淡々と処理するだけの会社の仕事こそ「退屈」と呼ぶに相応しいものだったことを思い出します。会社員を続けることがあまりにも退屈だったから、さっさと早期リタイアして退屈しない生活を手に入れたわけです。
念のためにウィキペディアを見てみましょう。
暇 - Wikipedia
暇(ひま、いとま)は、余った時間。することがない状態。暇とは客観的な状態のことなので感情は関係ありません。「することがない」をネガティブに捉える人もいるのでしょうが、私のように積極的に暇になろうとするタイプの人は「やるべき義務がない自由な時間」とポジティブに捉えているわけです。
退屈 - Wikipedia
退屈(たいくつ)は、なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情である。退屈とは主観的な感情ですから、暇な状態でも「嫌気がさしている」のでなければ退屈とは言えません。
後段の「実行中の事柄について関心を失い飽きている様」というのがまさに会社員時代の私です。毎日仕事に忙殺されていても、なんてつまらないことに時間を消費しているのだろうと思っているならそれは「退屈」なんです。
漂泊民さんの記事は、「暇」になると自動的に「退屈」が付いてくるものだと思い込んでいる人に、両者が全くの別物であると気付かせてくれる良記事だと思います。
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遊民様
返信削除言及をしていただきありがとうございます。
僕は真っ当なレールから外れた生き方をしているダメ人間です。しかし、そんな僕にも矜持やプライドがあります。
ヒマ人的生き方に賛否はあるでしょうが間違っているとはとても思えません。「労働」に一生のほとんどをつぎ込む生き方はどうなんだろう、と考える人たちが増えればこの世はもっと生きやすくなるような気がしています。