昨今よく投資の成功者を「億り人」なんて呼びます。総資産が1億を突破した人のことですね。日本では長らく資産1億はお金持ちの仲間入り♪ みたいな雰囲気で語られることが多かったですが、ふと冷静に考えると1億円というのは微妙な金額だと思うわけです。 …
ところが、自由な人生を生きるなら富裕層=1億円=「億り人」では足りないというのはあまり知られていません。お金のことを考えずに生きられる人生を、「経済的独立」「Financial Independence」などと呼びますが、1億円の資産ではそれだけでは暮らしていけないのです。1億円で足りるか足りないかは人それぞれなので、あくまでも自分のケースでは足りないという表現を超えて、このように一般論として書かれてしまうと違和感がありますね。1億円に限らず、X円で足りる足りないの話が出てくるたびにそう思います。
それと、1億円というきりの良い数字に特別な意味を見出し、「億り人」などと呼んで差別化する風潮も不可解です。数字は連続しているので、10進数でたまたま資産額の桁が一つ増えたことが、桁が増えないケースよりも特別な意味を持つことはありません。
この記事で「おや?」と思ったのは、九条さんが考える「経済的自由」の条件です。
1億円に対して、5%の利回りで運用したとしても年間500万円。税金を引かれて400万円です。これでは生活することはできても、「お金のことを考えずに支払う」のは難しい金額です。なるほど、ただ望みどおりの生活ができるだけでは自由ではなく、「お金のことを考えずに支払う」ことができてこそ経済的自由があるとお考えのようですね。
目標とする経済的自由をどう定義するかも人それぞれで全く構わないのですが、この条件だとずいぶんハードルが高いなと私は感じます。
私は10年前に経済的自由を達成したと自分では思っていますが、お金のことを考えずに支払いをしたことは人生で1回もありません。支払う前に必ず価格を見て、高すぎると思えば諦めます。リタイアした後でも変わりません。
というか私の場合、経済的自由があろうとなかろうと、できるだけ賢い消費者でありたいという願望が強いのだと思います。政治を嫌い市場を好む自由主義者だからです。自由な市場でより良い品質の物やサービスをより安く供給している人を支持したいのです。一種の投票ですね。
それが幸福の条件の一つなので、コスパの悪い買い物を避けようとする癖が治ることはたぶん無いでしょう。こんな私が無理に「お金のことを考えずに支払」おうとしても、ストレスが溜まるだけです。
そんなのは経済的自由ではないと言われると返す言葉が見つかりませんが、べつにそれでいいのです。自分が幸福にならない経済的自由なんて追求しても仕方がありませんから。
参考ツイート:
もう一つの民主主義がある。2〜4年にわずか1度でなく、24時間365日投票できる民主主義。それは市場経済だ。完全に自発・自律的で、重大な決定に優れる。経済の民主主義で投じた票は商品・サービスに直接影響を及ぼすが、政治の民主主義は長い目でほとんど物事を変えない。 https://t.co/WXHbQqDs1W
— 木村 貴 (@libertypressjp) June 8, 2018
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