財政危機の現状分析と処方箋について、四者の対談をまとめた本です。
竹中 アルバート・アレシナは私のハーバード大学時代の同僚ですが、彼の提言は極めて明快です。彼は数百の財政再建事例を集め、成功した事例と失敗した事例には明らかに違いがあると述べています。歳出削減より先に税を上げたケースは、必ず失敗していると。これは政策上、非常に重要な示唆です。歳出削減そっちのけで増税の議論が先行することに以前から違和感を持っていましたが、やはり収入を増やすよりもまずは支出を減らすことを先に実行すべきなのは、家計管理と同じだと思います。
土居 そこは財政状況について、もっと危機感を共有していただきたい。このままだと累積した債務の返済を最後に誰が負うかといった、ある種のばば抜きゲームのようになってしまいます。なってしまうというか、既にそうなってますよね。実際、前世代から債務というババを引き受け、債務をさらに膨らませては次世代へ先送りするババ抜きゲームに強制参加させられています。最後にババを引き受ける世代がどの世代になるのかわかりませんが、いつかはゲームが終わるときが来るでしょう。
保育所の待機児童問題について。
池田 「待機」というと、現政権は「需要がたくさんあるから」と思っているようです。たとえば税金投入により高速道路が土日1000円になっただけで、それまで出かけなかった人たちがワラワラと道路に出てきて渋滞を作るのも、市場を歪めて必要以上に需要を増やしてしまった失敗例です。1000円にする以前から大都市圏では土日の高速道路は渋滞していたのですから、むしろ値上げしないといけなかったのです。
鈴木 私は必ずしもそう思いません。たしかに過度な参入規制により参入者が少なく、需要が押し殺されている面もありますが、それ以上に価格が極めて低く設定されているため、必要以上に需要が増えている要素もあると思うのです。これは経済学の教科書に書かれている典型的な公定価格・価格規制の問題点です。
竹中 社会保障関係費もおっしゃるとおりで、政治的プロセスで全部歪められてしまいました。受益と負担が一体でなく、コスト感覚がないことを政治的に利用し、公費投入を増やすことで、政治のリーダーが国民に恩恵を与えるように錯覚させてきたのです。たとえば公立保育所に乳児一人を預ける場合、実際にかかっている保育コストは年600万円ほどですが、ほとんどを公費で賄うため受益者である親の負担はたったの25万円程度でしかないことは、受益と負担が一体でない事例の一つです。関連記事:
著者本人の紹介記事はこちら。 社会保障の不都合な真実 - 学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障改革の経済学) - Yahoo!ブログ 前著の 『だまされないための年金・医療・介護入門』 よりも幅広く社会保障問題の真実を解説する本です。とりあえず年金問題だけを知りたいのであれば...
投入される公費は受益者でない国民からも広く薄く集めたお金ですから、受益者にとってはできるだけ公費で賄ってくれたほうがありがたいし、そのような個別の政策を支持する合理性は確かにあります。しかし多くの国民がこのような考えで行動し、必要となる公費が際限なく肥大化した結果、現在の財政危機を招いたわけで、これは一種の合成の誤謬と言えるのかもしれません。
池田 ただ普通の国民にも官僚にも「価格で需要と供給を調整する」という経済学の感覚がなく、「貧しい人を国が援助する」という所得再配分のほうにばかり関心が向いています。保育所が典型で、納税額に応じて保育料が決まっています。その通りですね。日本の制度には所得再配分機能が過剰に含まれていると思います。
このため、税金を払っていない商店街のおじさんが、安い保育料で優先的に子どもを保育園に入れ、その送り迎えをベンツでしている。結果的に最悪の不平等な分配が起こっているのに、制度としては貧しい人から優先的に入れる建前なので、料金で需給を調整するという考え方にならない。そのあたりから根本的に考えを正す必要があります。
このベンツおじさんのように名目上の「貧しい人」すなわち低所得者でありさえすれば、税制だけでなく様々な社会福祉制度でも恩恵を受ける仕組みになっています。ベンツを経費で買って所得税を払っていない自営業者は、おそらく国民年金も国民健康保険も減免されているはずです。究極の貧しい人である生活保護受給者になれば、タダ同然で公営住宅に住めたり、医療費が無料になったりします。これほど(名目上の)貧しい人に優しい国も珍しいと思います。
逆に、高所得者すなわち名目上「豊かな人」と認定されてしまうと、高率の所得税を持って行かれる上に、社会福祉制度でもとことん冷遇されます。常に二重三重の負担を強いられる仕組みになっています。最近、年収1500万円あたりの高所得者を狙い撃ちにした所得税増税の話があったように、この国では貧乏くじを引かされるのはいつも高所得者です。
もう所得再配分機能は税制一本に集約(場合によっては負の所得税も導入)した上で、公的サービスの低所得者優遇は廃止して同一料金にするのが、シンプルで良いと思うのですが。もちろんその料金は需給によって決まります。
竹中 幸せと経済の関係は、今後とも難しい問題だと思います。とくに幸せかどうかは、相対的なものです。アンケート調査で日本が下位のほうでも、それは日本人がシニカルに考えるからで、客観的にはどう見ても日本人のほうが幸せに見えるケースもあります。そうですね。
そう考えると社会や国家は、「幸せ」という概念について立ち入らないほうがいいと思うのです。
人は絶対的な幸福の度合いではなく、今を基準にして相対的な幸福度の変化を意識する癖があるように思います。
日々の幸せが当たり前になると、そこを基準にしてより良くなったか悪くなったか考えてしまうので、客観的には既に相当高いレベルに達していても、それ以上良い方向に変化したと実感することが少なくなり、幸福を感じにくくなるのではないかと。
今どれだけ高い場所にいるか意識することもなく、もっと上に行きたいのに行けないと嘆いているのが、日本人の「不幸」の正体かもしれません。
参考記事:
池田信夫 blog : 日本経済「余命3年」 財政危機をいかに乗り越えるか - ライブドアブログ
活かす読書 日本経済「余命3年」
金融日記:日本経済「余命3年」 <徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか、竹中 平蔵、池田信夫、土居丈朗、鈴木亘