9.11のテロ後1年間、恐怖に駆られて移動手段を(より安全な)飛行機から(より危険な)車へシフトした米国人が増え、その結果命を落とした人は1,595人に上ると推定されるとか。つまり、
彼らの愛するものたちを奪ったのは恐怖だった。のです。
すべての人の脳は一つではなく二つの思考システムを有している。本書ではシステム・ワンを「腹」、システム・ツーを「頭」と呼びます。
(中略)
システム・ツーが理性である。それはゆっくり動く。それは証拠を調べる。それは計算を行い熟考する。理性が決定を下すとき、言葉にして説明することは容易である。
システム・ワンの感情はまったく異なる。理性とは違って意識的に認識することなく動き、稲妻と同じくらい速い。感情は、予感や直感として、あるいは不安や心配、恐れなどの情緒として経験する即座の判断の源泉である。感情から生まれる決定は言葉で説明することが難しい。あるいは、不可能でさえある。なぜそのように感じるかはわからない。ただそう感じるだけである。
腹=原始人
頭=聡明だが怠け者のティーンエージャー
という例えが面白いです。
「腹」が無意識、直感的に下す判断はしばしば誤っていて、例えば、
強い感情に駆られると、人は簡単に「確率盲目」になる。強い感情は簡単に確率の数字を取り去る。
(中略)
皮肉なことに確率盲目自体が危険である。確率盲目によって人はリスクに対して簡単に過剰に振る舞い、愚かなことを仕出かす。たとえば、テロリストが4機ハイジャックしたからといって飛行機による移動を放棄したりする。
我々は、「腹」の判断を「頭」が修正することを妨げるさまざまな要因に囲まれて生きていて、その一例がマスメディアの
稀なことを日常的に、日常的なことを稀に報道するという習慣であったりします。
直感の誤りを正す第一段階は、科学的過程に対してまっとうな敬意を示すことでなければならない。(中略)確かに、以上の2点を軽視あるいは無視した議論が世の中に多すぎるような気がします。
科学的過程は、決して完璧な過程ではない。いらいらさせるほどゆっくりとしているし、間違いを犯すこともある。しかし、人間が現実を理解するために用いてきたほかのどんな方法よりはるかに優れている。
リスクを理性的に取り扱う次の段階は、リスクが避けられないことを受け入れることである。(中略)
リスクがかかわる問題において、存在するのは安全の度合いだけである。
確率は、リスクを取り扱うとき常に重要である。(中略)程度の差はありますが、これと同様の馬鹿げた話が、現実に環境問題や食の安全などの分野に起こっています。
人類が直面している最大のリスクは核によるテロではない。惑星を消滅させる規模の小惑星や彗星との衝突である。そういった出来事によって生じる可能性のある破壊の大きさだけを考慮し、起きる確率を無視するとしたら、小惑星や彗星が貫通できない、地球を取り囲む巨大な防御システムの建設に何兆ドルもつぎ込むことになるだろう。
私たちにできるのは「腹」がどのように働くか、どのようにときどき過ちを犯すかを理解することである。(中略)その通りですね。聡明なティーンエージャーにもっと働いてもらいましょう。
「腹」はよくできているが完璧ではなく、これがリスクを誤って理解すると、人は愚かな結論に達することがある。(中略)
自分自身をいわれのない恐怖から守るため、「頭」を目覚めさせ、仕事をしろと言わなくてはいけない。私たちは一生懸命考えるようにならなくてはいけない。
本書にはそのための知恵が満載されています。
0 件のコメント:
コメントを投稿