橘玲ファンの期待を裏切らない良書ですが、本書を読んですぐに「雇われない生き方」を実行に移せるかといえば、日本ではまだ無理だろうなという印象です。
この世界大不況が私たちに教えてくれたことがあるとすれば、それは、国や会社はなにもしてくれないということだ。アメリカ大統領にオバマが就任しても、日本の政権党が自民党から民主党に替わっても、魔法のように景気を回復させられるわけじゃない。グローバルな市場の中で、国家ができることはほんのわずかしか残されていない。それも、しょっちゅう失敗する。だったら、自分のことは自分でなんとかするしかない。その通りです。
市場経済において私たちがお金を獲得する方法は、たった一つ:
資本を市場に投資し、リスクを取ってリターンを得る。投入する資本が人的資本ならリターンは給料などであり、金融資本ならリターンは利子や配当などです。
本書では人的資本を高めるための「自己啓発」という戦略について扱わない理由の一つとして、
みんなが同じ目標を目指せば少数の勝者と大多数の敗者が生まれるのは避けられず、ほとんどのひとが敗者になってしまうのだ。と書かれていました。これは真実だろうと思います。
そこでこの本では、お金と世の中の関係を徹底して考えてみたい。なぜそんなことをするのかって? 自分が生きている世界の詳細な地図を手に入れることができれば、自己啓発なんかしなくても、ほかのひとより有利な立場に立つことができるからだ。
マイクロ法人をつくれば、ひとはビンボーになる。そしてそれが、お金持ちへの第一歩だ。そのうえ”雇われない生き方”を選択すれば、クビになることもない。これが何を言っているのかサッパリわからない人は特に、本書を手に取る価値は十分にあると思われます。
現在では、誰でも気軽に資本金なしで株式会社を設立できるようになった。これはまさに、会社法のコペルニクス的転回だ。私は本書を読むまでこの事実を知りませんでした。資本金なしでOKになったのはつい4年ほど前のことのようです。この分野は頻繁に法改正があるので、今後改悪の方向に向かわなければいいのですが…。
税金と並んで家計に大きな影響を与えるのが年金と健康保険だ。サラリーマンの場合、いまでは税負担よりも社会保険料のほうがずっと重くなってしまった。これまで厚生年金や組合健保に加入できることがサラリーマンの大きなメリットだと考えられてきたが、この神話は10年以上前にすでに崩壊している。恥ずかしながら、私も会社を辞めるまではこの神話を信じていました。
制度上、日本には二種類の年金制度と健康保険制度があり、一方は他方より有利である。多くの場合、
国民年金>厚生年金
国民健康保険>組合健保
です。もちろん所得や扶養家族の数によっては逆転するケースもありますが。
本書では、いわゆる「サラリーマン大家」について、
マンションやアパートは資金繰りに行き詰ったときにすぐに換金できないから、キャッシュフロー的にはきわめてリスクの高い資産運用法だ。とバッサリ斬っています。
また、『「無税」入門』に書かれていた節税法について、本書では
サラリーマンが税コスト引き下げのみを目的にするのならこの方法がもっとも有効だろう。と評価しています。
本書の真骨頂は「あとがき」で、こちらに全文が公開されていますので一読の価値ありです。特に自由と自己責任について書かれた次の部分には、完全に共感しました。
近代は、自由を至上の価値とする社会である。私たちは誰の強制も受けず、自分の人生を自分で選択することができる。これが私たちの生きている世界の根源的なルールで、何人たりともそれを否定することは許されていない(ひとを奴隷化する者は社会から排斥される)。
ところで、自由はなにをしてもいいということではなく、ひとはみな選択の結果に対して責任を負わなくてはならない。自由と責任は一対の概念だから、原理的に、責任のないところに自由はない。
派遣や非正規雇用の問題を語る際に、彼らの自己責任を問うことを許さないひとたちがいる。私はずっと、この議論に強い違和感があった。相手を責任の主体として認めないということは、奴隷か禁治産者として扱うことだ。ひとが尊厳をもって生きるためには、自分の行為に責任を持たなくてはならない。
自己責任を否定するひとたちは、決まって国家や会社やグローバル資本主義を非難する。だが、理不尽な現実をすべて国家の責任にしてその解決を求めるのはきわめて危険な考え方だ。国家とは、盲目的に自己増殖するシステムである。マスメディアが“危機”を煽れば、国家はそれを格好の口実にさらに肥大化しようとするだろう。国家が巨大化すれば、その分だけ私たちの自由は奪われていく。
私たちは自由でいるために、自分の行動に責任を持たなくてはならない。自己責任は、自由の原理だ。それを否定するならば、残るのは無責任か連帯責任しかない。すべてを国家の連帯責任にするのは、「国家主義」以外のなにものでもないだろう。
もちろん、だからといって職を失った若者たちにすべての責任を引き受けさせるのは酷である。“ロスジェネ”を生み出したのは、終身雇用と年功序列に固執するこの国の差別的な雇用制度だ。同じ職種には同じ賃金を支払う「同一労働同一賃金」はアメリカはもとよりEU諸国でも当然とされているが、日本ではいまだに勤続年数によって労働条件が決まる。こうして給与の高い中高年層が企業に滞留していくが、厳しい解雇規制によって経営が破綻するまで彼らを若い労働力と交換することは許されない。
若者たちの自己責任を問うのであれば、解雇を自由にして、誰もが対等な条件で労働市場で競争できるようにするべきだ。だが既得権を握って離さないひとたちは、自分たちに不利な“公正な社会”の実現を嫌って、国家に責任を転嫁し三十代の若者に生活保護を受給させて差別を温存しようとする。こうして彼らの人生を腐らせていくのだから、これは偽善というよりも犯罪である。
こんにちは。私もこの本を読みました。実は、来年からこれを試してみるつもりです。というのは、私の仕事が若干専門職的な色合いがあり、いま所属している会社から独立しても、結構仕事が取れるのではという読みがあるからです。高等遊民さんのように、完全リタイヤとはいきませんが、1年のうち半分は仕事、残りは好きなことをしようという皮算用があるのですが、うまくいくかどうか…。
返信削除昨年の経済危機で資産を大分減らしましたし、資産も完全リタイアにはまだ足りないレベルなので、定期的な収入を持ちつつ、まずはセミリタイヤと行きたいところです。
いつも、楽しくブログを読ませてもらっています。
返信削除私は、橘玲ファンでこの本にあるようにマイクロ法人実践者です。
マイクロ法人を実践してみるとほとんどが橘氏の著作に書いてあるようにメリットが多いのですが、国民健康保険だけは、ちょっと違いました。
おそらく橘氏は、住民税方式をイメージして書いておられるのですが、住民税方式を採用しているのは、都市部に限られており、私の住む地域は、所得比例方式で住民税は、小規模企業共済、確定拠出年金のおかげでゼロに近いですが、国民健康保険は、結構な金額になってしまいます。
マイクロ法人実践者2です。法人化しました。国保→社保に動けること、事業所得→役員所得に変えることで、貧乏になりました。
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