2011年5月27日

無職の才能 - phaのニート日記

日本一のニートを目指すphaさんのブログに秀逸な記事がありました。

無職の才能 - phaのニート日記より:
街に出て飲み会とかするのが好きな人はあんまり無職に向いていない。飲み食いは結構お金がかかる。買い物が好きな人も向いてない。ギャンブルに走ってしまう人も駄目。一方、インターネットやゲームや本が好きな人はそんなにお金がなくても幸せに暮らせる。僕なんかひたすらWikipediaを読んでるだけで何時間も過ぎていることがよくある。Wikipedia、YouTube、ニコニコ動画、ブログ、2chまとめwikiなど、ネットにはお金をかけなくても楽しめる無料のコンテンツが既に大量に存在している。
わかります。Wikipediaサーフィンは私もよくやりますし、たまに編集なんかも。
お金はほとんどかからないけど、消費するにはそれなりの時間がかかるコンテンツが既に山のように存在するだけでなく、今この瞬間も増え続けています。

このようなインターネットの特徴を表すのに、3年ほど前の本ですが梅田望夫氏の『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)』:
ネット空間は「知と情報」に関しては「リアルの地球」と同じくらい大きな「もうひとつの地球」とでも言うべき存在へと発展していくだろう。
という表現がぴったりな気がします。
インターネットというのはそれぐらい巨大で、一人の人間のちっぽけで有限な人生から見ればほぼ無限に等しい「空間」なのです。この途轍もない奥深さに気付かず、自分に適合するコンテンツを拾い上げるアンテナを持たない人には、インターネットは空間ではなく単なる道具にしか見えないでしょうね。そんな人は、ローコストな無職生活が楽しいと言われてもなかなかピンと来ないのではないでしょうか。

逆に、僕が昔会社に勤めて働いていたときのことを思うと、働いてるときは今よりお金に余裕があったけど、精神がすり減っていて今よりも毎日が楽しくなかったし、仕事でストレスが溜まって衝動的にそんなに必要でもない買い物をしてしまったり、仕事での疲れを和らげるためにお金を払ってマッサージに行ったりしたときに、本当に意味のないことをやっている気がした。そもそも仕事してなかったらその出費する必要なかったんちゃうかと。
ありがちな話ですね。
私の会社員時代も当然今より支出は多く、今思えば全然ローコストじゃなかったです。
「仕事してなかったらその出費する必要なかったんちゃうか」の最たるものが、所得税/住民税と社会保険料ですからね。天引きされているとなかなか気付きませんけど。これが非課税になったり免除/減額されるだけでもかなりの支出減になります。

会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど、その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。
そう、結局は時間とお金のトレードオフなんですよね。
どちらの価値が重いかは、持っているお金や年齢などによって変わってきますが、わざわざ買い戻さなければならないほど時間の価値が重い人の場合、最初から売る時間を減らしたほうがいいのではないかと思います。

2011年5月25日

ぬこさん有職生活へ

うさみみさんのブログ生活崩壊を防ぐために - 30歳代からの資産運用~よちよち投資家のブログ - 楽天ブログ(Blog)より:
33歳で5000万円貯めてリタイアしたぬこさんのブログを覗いてみると、大変な事になっているようです。
なんと!

見に行ってみると、確かにこんなことになっていました。
再び 貯金生活を: 無職生活開始~ by ぬこ
18年かけてこつこつと積み上げてきたものが、地震とともに消え去り
こんなことになるなんて想定していなかったから、
心はすっかり病んでしまい、身も心もズタズタになってしまったけど
このまま、生きることをあきらめてしまっても、もしかしたら楽になれたかも、と
思うことがあるかもしれないけど、支えてくれている人がいる以上、
もう一度だけ、頑張ってみようと、前を向くことにしました。
「消え去り」とは、資産運用に失敗して5000万円の大半を失ってしまったのでしょうか?
詳しくはわかりませんが、とにかく無職生活に一旦ピリオドを打つしかない状況に追い込まれたようです。

当ブログでぬこさんのブログを紹介したのが2009年8月。
33歳で早期リタイアした方のブログを見つけました。 無職生活開始~ by ぬこ ざっと拝見したところ、5000万円の資産は給与収入からこつこつ貯めて築いたもので、現在も定期預金のみの運用のようです。無理にリスクを取らなくても、生活コストを抑えることによってそれなりの資産を積み上げ...
yumin4.blogspot.jp
無理にリスクを取らなくても、生活コストを抑えることによってそれなりの資産を積み上げることができるというひとつの実例であり、具体的な金額やライフスタイルを公開している点でも、そこをわざとボカしている当ブログなどよりもはるかに、早期リタイア志向の人の参考になるブログだと思います。
と紹介した私の立場は…(汗)。当時のぬこさんは定期預金のみの運用だったはずで、わずか2年足らずでこれほど資産を減らすとは予想できませんでした。と言い訳しておきます。
ちなみにこの記事は今でもよく読まれているようで、最近30日間の人気ページランキングで4位につけています。

信用取引、先物は、恐ろしい世界で、全てを失う世界だから、近寄らないほうがいいこと。
いつの間にかそんな世界に足を踏み入れていたなんて…。
ぬこさんは自分が失敗を経験するまで気付かなかったようですが、リスクとリターンについてのわずかな知識さえあれば最初から足を踏み入れることはない世界です。
最近読んだ
投資という頭が痛くなるような問題について、重要なことのすべてが、片手で数えられるほどの原則に集約できるということは、私たちにとっても大変な驚きである。複雑な税制に惑わされて頭が混乱していなければ、投資はそのくらい簡単なものなのだ。この原則を知っていると知らないとでは、人生が大きく...
yumin4.blogspot.jp
から再び次の言葉を引用しておきます:
投資という頭が痛くなるような問題について、重要なことのすべてが、片手で数えられるほどの原則に集約できるということは、私たちにとっても大変な驚きである。複雑な税制に惑わされて頭が混乱していなければ、投資はそのくらい簡単なものなのだ。この原則を知っていると知らないとでは、人生が大きく違ってくる。

この手の知識は分厚い本を端から端まで読まなくても、今やリテラシーさえ磨いておけばネット上のリソースからでも正しい知識を身につけることができる時代です。厳しい言い方になりますがぬこさん自身のリテラシーの欠如が招いた失敗であり、もし巨大地震というブラックスワンが来なかったとしても、そう遠くない将来に資産を失っていたのではないでしょうか。

わかったことは、自分が突き進んだ無職生活は自由を満喫できる素晴らしいもので、
もう一度、やってみたいものだと心から思うものであること。
オンリーワンと表現するに相応しい、とびっきり楽しい無職生活を、いつの日か
取り戻したいこと。これは、人生の目標になるから、ガンバる原動力になることでしょう。
無職生活自体は幸福の源泉だったのがせめてもの救いです。無職生活が幸福につながるかどうかは、資産運用と違って万人共通の原則などありませんからね。それこそ自分が経験することによってしか得られない貴重なものかもしれません。

若さ故に、今回の過ちを取り戻せると信じて、
二度と、失敗しないように、さらに頑丈な無職生活を構築すること。
決意いろいろ、気持ちいろいろ、新・無職生活がはじまるまでのその記録を細かく、
残していくことにしました。
無職生活の早期終了は残念ですけど、ブログ継続を決意されたことには拍手を送りたいと思います。
ぬこさんのブログのRSS広告が邪魔で購読をストップしていた者としては、RSS広告の配信を止めていただけるとありがたいのですが…。

2011年5月21日

『自由に至る旅 ―オートバイの魅力・野宿の愉しみ』 花村 萬月 (著)  その3



昨日の記事の続きです。

この本は、一応はオートバイによる野宿旅について述べているのですが、どんな乗り物で旅立つかは、あなた自身の問題です。
べつに野宿をしなくてもかまわない。車で走り始めてもいいし、免許がなければ電車でも飛行機でもかまいません。
大切なのは、旅立つこと――。
自分の衝動を愛おしみ、自分で考え、自分で決定し、自分で行動するということです。
そうなんですよね。
どんな乗り物を使うか、どこに泊まるか、何を食べるかも含めて、すべて自分一人で決めることが大事なんです。一人旅とそれ以外の旅がまったくの別物に思える理由はこれだと思います。
だいたいあなたは旅行といいながら、結局はただの家族サービスに励んでいるだけではないですか。あるいは独りで旅立つあと一歩の勇気がもてずに、職場の仲間といったいつもの顔ぶれで、ゴールデンウィークに同じところに行って、同じようなものを食べて、同じようなものを見て――。
これは旅とはいいません。貧困、というのです。
これは手厳しいですが、同感です。
このようなスタイルを、私は「旅」ではなく「旅行」と呼んで区別することにしています。

この直後の2ページ半に書いてあることが実に秀逸でして、全文引用したいところですが、長くなるので要点だけ。
でも、みんなと同じことをしていても、死ぬときはバラバラだ。
あなたは、独りで、死んでいく。
(中略)
世の中のたいがいのことには、意味、があります。(中略)
でも、自分に問いかけてみてください。
生きる意味、を。
答えが見つかりますか。(中略)
探求し、追求しながらも、うっすらとそれに対する答えは永遠に得られないことを心のどこかで悟っている。
つまり、意味では生きるということを解決することはできない。
生には、どこか無意味さがつきまとう。
自分の一生でなくても、虫の一生だって、同じだ。
生まれて、死んでいく。
それだけなのです。
人は生きる意味をつねに問うからこそ人間であるのですが、生自体は意味とは無関係の地平にあるようです。
唯一自分の生に意味があるように感じられる瞬間は、どういうときでしょうか。
それは自分が主人公であると感じられるときではないですか。
オートバイにまたがって旅立つとき、あなたはヒーローなのです。そして目的も意味もない旅をするからこそ、あなたは主人公でいられるのです。旅に意味を持ち込んではなりません。意味を慎重に排除しましょう。
無目的。
あるいは無意味。
これが旅の真骨頂です。
結局長くなってしまいました。(苦笑)
難しい哲学の話も、旅の話から入るとこんなにわかりやすくなります。ということをメモしておきたいので、これ以上省略はできませんでした。

自分が主人公という話は、先日読んだ『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』 ちきりん (著)にも出てきたような気がします。
ブログならこの記事でしょうか。
人生の有限感 - Chikirinの日記
「人生の傍観者になるな。自分の人生の舞台を、観客席からぼーっと見ていてはいけない。舞台に上がれ、演じるのだ」という文章も記憶に残っている。


(つづく?)

2011年5月20日

『自由に至る旅 ―オートバイの魅力・野宿の愉しみ』 花村 萬月 (著)  その2



昨日の記事の続きです。

たとえば俺は食い物などにまったく興味がありません。ひたすら野宿しながらの自炊であり、徹底した粗食ですから。
(中略)
俺の場合、ただ走っていればいいのです。できうる限り長い期間、旅を続けたい。そのためには徹底的に倹約する。美味しい食事よりもガソリン代です。
自分にとって興味がないことには徹底的にお金を使わない、というポリシーに共感しました。実は倹約の方法を考えることが、旅そのものと同じぐらい面白かったりします。
これは旅に限らず、人生におけるお金の使い方にも通じるポリシーだと思います。
たっぷり金をかけてファーストクラスですか、そして快適なホテルに泊まり、美味いものを食い、のんびり惰眠を貪る。そんな萎びた旅行は、歳をとってからでも充分に可能です。
まあそれだけのお金があればの話ですけどね。
私も60過ぎてお金に余裕があったら、こういう旅をする可能性はあります。興味の対象は年齢によっても変わっていきますから、将来食べることに興味が出てこないとも限りません。
オートバイによる旅の醍醐味は、他人まかせにしない、ということに尽きる。
他人まかせにしないということの本質は、金銭で解決しない、ということに他なりません。
そう、金銭で解決しないとしたらどんな方法があるか? これを自分の頭で考え、オリジナルのプランを組むのが面白いのです。
バイク旅に限らず、どんな旅でも言えることだと思います。
かく言う私はあまり野宿したことがなく、寝る場所は金銭で解決することが多いのですけどね。
それでもカニが食べたいか? では、いいことを教えてあげよう。地元の人が行くスーパーマーケットで買いなさい。安いし、裏切られることもあまりない。観光客とはだまされる人という意味です。名所でなにかを買うのは愚かです。
ほんと、わざわざ観光地価格で買い物する意味がわかりません。特に土産物などは最悪で、無意味に高いし荷物が増えて邪魔なので絶対に買いません。
もし旅行で訪れたのではなく、そこに住んでいたとしたらどこで何を買うか? という観点で行動します。暮らすように旅するのが私のスタイルです。

(つづく)

2011年5月19日

『自由に至る旅 ―オートバイの魅力・野宿の愉しみ』 花村 萬月 (著)  その1



バイクとは知的な道具である|世界の始まりとハードボイルド
で紹介されていたのがきっかけで読んでみた本です。

あなたが交通事故で死ぬ確率は―――1年間で1万分の1だそうです。
しかも、あなたの人生を75年とすると、その間の交通事故死の確率は、なんと、133分の1にまで上昇してしまうのです。
これは歩行者も含めた平均確率でしょうから、バイクや車に乗る人に限れば数十分の1にまで上昇するだろうと推測します。とにかく長生きしたければ(余命の期待値を上げたければ)、バイクは当然のこと、車や自転車などにも乗らないに限ります。

べつに自動車を運転することやオートバイに乗ることは、強制ではありません。
やはり、誰がなんと言おうと、あなたが、選んだのです。
徹頭徹尾、あなた自身が選んだ。
あなたの、選択なのです。

これが、自由、ということです。
その通りです。
私は自身をも含む生命の危険よりも、走る自由を自らの意思と意志で選択しました。
リスクは大きいのですが、自由の問題を避けて人間は生きていけません。
そして紙に記された哲学よりもなによりも自由という問題をいちばん率直に問いかけてくれる機械が、オートバイであるのです。
わかります。
とにかくリスクを最小化したい人は絶対に選ぶことのない乗り物だと思います。資産運用でも安全第一なら預貯金のみしか持たないのと同様に。

決して小さくないリスクを引き受けてでも、何らかのリターン(移動の自由とか走る楽しみ)を得たいと考える人だけが、バイクというビークルを選択するのでしょう。資産運用で株式ETFというビークルを選択するように。
あなたは自分が機械になる快感を御存知ですか。自分自身の限界に近い速度のなかで、あなたは常に的確な状況判断をしなければならないのです。それを確実にこなすことができた瞬間に、あなたは人間という機械になっているのです。これは味わったことのない人には説明のしようがないのですが、途轍もない快感です。
私はこんな感覚は知りませんが、味わってみたいとも思わないですね。
そもそも「限界に近い速度」というのがリスキーすぎて割に合わないのと、ホリエモンの本(『拝金』 堀江貴文(著))にも似たような話がありましたが、「途轍もない」快感は中毒になる危険も心配です。世の中には知らないほうがいいこともたくさんあります。

(つづく)

2011年5月7日

『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』 ちきりん (著)



著者本人の紹介記事はこちら。
「ゆるく考えよう」  - Chikirinの日記

本書の一番最後に出てくるちきりんさんの考え方のまとめ。
ちきりんの考え方の根底には、このふたつの原則があります。
1. 自由に生きる、ということ。誰かと比べられるのでも、社会に評価されるためでもなく、自分のために生きよう、ということです。

そして、
2. モノは考えよう。世の中はいうほど暗くない。楽観的に生きよう、ということです。

自由に、そして、楽観的に、人生を楽しみましょう!
この原則にたいへん共感しました。

自由についてはもっと詳しく、こう書いてあります。
多くの場合、本当に自由に生きている人は「火宅の人」であったり「破綻した人格」といわれていたり、のたれ死にに近い形で人生を終えていたりします。もちろん、そうなりたいといっているわけではありません。

しかし、そうやって生きた人たちがおそらく経験したであろう「精神の自由」というものがあまりにもまばゆく、尊く、貴重なものに思え、そういうものを一度も経験しないまま人生が終わってしまうと想像すると一種の焦燥感に襲われるのです。

自由に生きないことと引き替えに、ちきりんは「それなりの人生」を手に入れました。それでも、一生に一度も自由に生きられないというのなら、私が私に生まれてきた意味はどこにあるのでしょう?
なるほど、深いですね。
自由の価値を重視している点では私も同じですが、ここまで突き詰めて考えたことはありませんでした。「生まれてきた意味」まで考え始めると、哲学の世界にずっぽりと足を踏み入れそうで恐い気もします。私が自由を求める理由は単純に、不自由に生きるよりも自由に生きるほうが相対的に楽しいからに過ぎません。

昨年、長年勤めた会社をやめ、現在は「働かない生活」に入っています。そして今は、もう一度、自由に生きるということに挑戦してみたいと思っています。
自由に生きるために早期リタイアを決断されたことには、心から拍手を送りたいと思います。
私も同じ目的で早期リタイアしたつもりなのですが、ちきりんさんが求める自由のレベルは私よりも随分高いように感じました。さらにこちらの記事によると、生活レベルの方も高そうに見えます。

この本には過去5年間にブログに書いてきたことの中から、ちきりんの考え方が強くでているようなものをピックアップし、大幅な加筆・修正のうえ、新しい原稿も加えたものです。自分を含め多くの人が捕らわれがちな規範(といわれているもの)の滑稽さ、バカバカしさを表現してみました。読者の方だけでなく、自分に向けても「つまらない規範から逃れて自由になろう!」というメッセージを送りたかったのかもしれません。
ブログの読者であれば読んだことのある内容が多いのですが、表現が上手だし、自由に生きることの素晴らしさがよく伝わってきました。

特に共感した部分をメモしておきます。対応するブログ記事が見つかったものはリンクも付けています。
すべての人は、いつか人生を諦めなければなりません。なぜなら人はみんないつか死ぬからです。その時点では誰もが人生を諦めることになります。
(中略)
ちきりんは、日本人は他の国の人より全体的に「諦めるのが遅いのではないか?」と感じています。そしてそれが不幸の元だと思っています。多くの人は、もっと早めにいろいろ諦めたほうが楽に生きられるはずです。
人生は早めに諦めよう!

なぜそんなに忙しい生活が楽しいのだろう?
やたらと忙しい休日を過している人を見ると、そんな疑問が浮かんできます。
(中略)
退屈すること、予定が入ってないことが怖くなると一種の現代病です。ちきりんは時間さえあれば3日くらいボーッとして、「何一つ有意義なことをしなかった3日間」を過ごすこともできます。
退屈な時間を楽しもう

世の中で多くの人がやっていることをやらないと、「なぜ?」と聞かれます。定職についてないと「なぜ?」、40歳で結婚していないと「なぜ?」、結婚5年目で子供がいなくて「なぜ?」と問われる人も多いでしょう。

この「なぜ?」は、正確にいえば「なぜ多くの人がやっていることを、あなたはやらないのか?」という質問です。ですが質問者はたいてい思考停止状態なので、その質問の裏側に、「なぜみんなと同じことをする必要があるのか?」という問いも成り立ちうると気がついていません。
(中略)
働いている人へ:世の中の大半の人が働いていない世の中でも、あなたは働きますか?


どんなに事前に計画しても結果はやってみないとわかりません。これはビジネスも人生も同じです。「違っていた」とわかったら速やかにやめることです。人生の時間を無駄にする必要はありません。


個人的には、10年以上のローンが必要になる価格のものは、それが家であれ車であれ教育投資であれ、自分には分不相応なものだと考えています。そのあたりが、常識的でまっとうな経済感覚だと思うのです。

分相応に暮らしましょう。
10年以上のローンはだめです

民間の保険に入る必要があるのは、
・扶養家族がいる自営業、中小企業勤務等の人
・ 育児・介護の主担当の人
この2パターンの人たちだけです。
大半の保険は不要

自分の持っているものに、
自分が苦労してやっと手に入れたものに、
縛られて生きる私たち。

固定費を下げましょう!
維持費が蝕む自由

自分の分を知り、その範囲で生きることは、気楽に楽しく生きる途であり、自然で無理のない生き方なのです。


結婚するもしないも個人の自由だし、するべき・しないべきなどという議論自体がバカげています。
(中略)
一度きりの人生、自分の好きなスタイルで生きていけばよいのです。


旅することのメリットは、自分もまた地球上の生物の一個体に過ぎないということを体感できることです。地球上にはあまりに多くの人が存在していて、自分ひとりいようがいまいが何の影響もありません。特別な存在でも特別な人生でもないのです。


物事にはよい面と悪い面があるのです。どうせならよい面をより多く見て生きていけば楽しく暮らせます。わざわざ悲観的に考える必要など、どこにもないのです。


参考記事:
おちゃらけ社会派ブロガー・ちきりん初の出版 | ホンネの資産運用セミナー
ちきりん著「ゆるく考えよう」を読んだ - phaのニート日記
[書評] ゆるく考えよう - GkEc's Something