夏休みの思い出づくりに暗号通貨マイニングをしてみたので、そのレポートをしてみます。
電気代が確定しないことには何とも言えませんが、おそらく結論的には
儲かるか、というと多分もういまから参入しても儲からないと思う。こうなるでしょうね。
誰でも新規参入できる完全オープンな市場で、電気代の高い日本のマイナーは最初から重いハンデを背負っているのですから、勝負は見えています。
今となっては直接採掘するよりも、ツルハシやジーンズを売る方がまだ望みがありそうです。そういう商売もやがて飽和して割に合わなくなっていくとは思いますが。
いずれにせよ、「いかにして金を稼ぐか」という視点で物事を考えなくなって久しい私にとっては、マイナーやトレーダーとして暗号通貨市場へ参入する動機は皆無なんですけどね。ただただ、一人の消費者として使える通貨の選択肢が増えればいいなと思っているだけです。
そして最大限に共感したポイントはここですね。
夏休みの暇な時間に考えてみた。Bitcoinは貨幣なのか。そもそも貨幣とは何なのか。不換紙幣になった時点で、それは本質的には何の価値もない紙切れだが、それをみんなが使えると信じているから価値がある。Bitcoinは所詮ただの情報じゃん、と思っていたが、それを言ったら貨幣も金やプラチナとは本質的に異なる、ただの紙切れなのだ。その価値の根源が人々の信用に依存しているという性質は、暗号通貨と日本銀行券に共通しています。気付いている人はまだまだ少ないようですが。
そこまで考えると、Bitcoinもたいがい胡散臭いが、日本銀行券もおなじぐらい胡散臭いということに気づいた。
では、円とBitcoinの本質的な違いは、中央銀行の存在なのか……?そう思います。
中央に管理者がいる日銀券と、いない暗号通貨(一部例外はあるようです)。
管理者がいないより、いる方が信用できると思いますか? そうとも限りません。たとえば今では完全に普及したインターネットにも中央に管理者はいませんが、その仕組みや動作が信用できないと思っている人は少ないでしょう。
日銀券だと通貨の供給量に上限はなく、日銀が必要と判断すればいくらでも増やすことができます。暗号通貨の場合、供給量の上限がオープンソースのコードで予め決まっている(これも例外あり)ので、誰かの独断で供給量を増やして価値を薄めることはできません。
「誰かを信用するリスク」自体を排除する(trustlessな)仕組みを用意したこと、これこそがブロックチェーンによる画期的な技術革新であり、暗号通貨最大の利点だと思います。
関連ツイート:
それからtrustlessを信頼無しという意味に誤解して捉えいる人も居るようなんだな。
— Tetsu NO2x 大石哲之 (@tyk97) 2017年8月15日
どっちかって言うと信頼の前提を置かないとか信頼できなくても動くとかそういう意味なんだよね。
trustlessによって今までできなかった取引ができて実は信頼のネットワークはさらに大きくなる
関連記事:
ツイッターを眺めているとこんなツイートが目に入ってきました。 それと、もう一度言いますが、あなたの言ってる「お金」はいったい誰が作り、誰がその信用を担保しますか? https://t.co/Dlb1OmUzDo — 住友陽文 (@akisumitomo) 2017年7月22日 「...
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