2017年7月25日

貨幣の信用って誰かが担保しているのだろうか

ツイッターを眺めているとこんなツイートが目に入ってきました。

「もう一度」と言っているので元ツイートがどこかにあるはずで、これですかね。
(税や国家が無ければ)「貨幣の信用は何者が担保するのでしょうか。」という問いを発する人の頭の中には、おそらく「税や国家のおかげで貨幣の信用が担保されているはずだ」という前提が隠れているのだろうと推測できます。

しかしながら、政府や中央銀行が発行、管理する貨幣であっても、「貨幣の信用」が何者かによって担保されているわけではないと思うのです。

1万円札を差し出すと1万円分の価値の物と交換できるのは、どこかの誰かがその価値を保証しているからではなくて、1万円札を受け取る相手がその紙切れにそれだけの価値があると信じているからにほかなりません。もし1万円札にそんな価値はないと思っている人が相手なら、その取引は成立しません。別の決済手段を要求されるでしょう。

ですから、日本銀行券といえども人々の信用を失えば誰にも受け取ってもらえず、その交換価値を失って紙屑同然になることもあり得ます。国家も含め、「日本銀行券は絶対に紙屑になることはない」と保証している人や機関はどこにも存在しないのです。実際に70年前の日本では預金封鎖と新円切替によって旧円は紙屑になり、国家が発行しているからと安心しきっていた多くの国民が馬鹿を見たわけです。

誰もその価値を保証せず、人々からの信用に大きく依存しているという意味では、日本銀行券と暗号通貨(ビットコインなど)の本質的な違いはそれほど無いんじゃないかと思えてきます。現状では暗号通貨よりも日本銀行券の方が圧倒的に人々から信用されているだけのことで、将来それが逆転する可能性も十分あると思います。人々が自発的に暗号通貨を決済に使うようになり、グローバル通貨として広く流通している未来が来るとしたら、素晴らしいことだと思います。

あ、今すぐ日本円をビットコインなどに換えておけと言っているわけじゃないですよ、念のため。通貨はあくまでも決済手段ですから、その通貨で決済する用事もないのに持っていても仕方がありませんので。
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yumin4.blogspot.jp
去年書いたこの記事では「仮想通貨」と呼んでいましたが、不換紙幣よりも現物に近い性質があると知ったので今後は「暗号通貨」と呼ぶことにします。

参考ツイート:





2 件のコメント:

  1. 全くこの通りですね。
    文中、(おそらく遠慮して)2回ほど「思うのです」「思えてくるのです」を使用されてますが、断言しても全く問題ないほど、自明の理です。
    「皆が日本銀行券の価値を信用している」=「国家の信用度」とも言えますが、決して日本が担保してくれる訳ではないですね。
    これからも面白いエントリーを!

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  2. 「利便性」という着眼点が欠けていますね。
    バスや地下鉄に乗るのは歩くより便利だから。
    同様に、お金を使うのは便利だから、という側面もあります。
    保証や担保だけしか考慮しないのは、明らかに人間行動学という面からは、足りない検証だと思います。

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