ここで言う「ひとり勝ち」は、「豊かさや、経済力などが、先進国の、世界全体から見たらごくごくわずかな人たちに集中していること」を示す言葉だそうです。そして、
「化石燃料をエネルギーにした一回目の工業化の時代」のあとには、「太陽電池をエネルギーにした二回目の工業化の時代」がくるそのことによって、
世界中の約70億人の人たちも、「20世紀のアメリカ人と同じように裕福な生活」を実現できる。という、一見夢のようなお話です。
しかし本書によれば、現時点の太陽電池の発電効率のままでも、大量生産によって価格が現在の1/4に下がりさえすれば、従来の発電コストよりも安くなるところまで来ているそうです。価格を1/4にするには生産量を100倍にする必要があり、決して低いハードルとは言えませんが、そこを乗り越えれば爆発的に普及が進み、さらに価格が下がる好循環が加速して、最終的にはエネルギーコストがタダ同然にまで下がっていく・・・というところまで想像が膨らみます。そうすると、前述のような世界も決して夢物語ではないように思えてきます。
数ある自然エネルギーの中で太陽電池(太陽光発電)が主流になる理由は次の通りです。
①世界中のどこでも使える(公平性)。バイオ燃料は風力発電や水力発電に比べても劣っている点が多いので、太陽電池の比ではありません。いずれ消えてゆく運命にありそうです。
②未来にわたって使うことができる(持続性)。
③太陽電池だけで世界のエネルギーを全てまかなえる(最大効果量)。
④資源が無限にある(資源制約)。
⑤普及しても新たな問題が発生する心配がない(新たな問題)。
⑥他のエネルギーを得る方法に比べて、電気代がものすごく安い(限界コスト)。
⑦使うのにむずかしい技術がいらない(利用の容易性)。
地球温暖化については、次のように述べています。
高い経済成長のせいで、あるいは進みすぎた科学技術のために、また、過度に裕福な生活のせいで、温暖化が起きているというわけではないのです。二酸化炭素は地球温暖化の犯人ではない、という野暮な話は置いといて、環境問題を解決するのに、経済成長を抑制したり科学技術を忌み嫌ったりするのは完全に方向性を誤っているということです。
(中略)
問題は、せっかく、20世紀なかばからいまにかけて、量子力学を基盤として、本当の意味で新しい技術が生まれているのに、それを使わないまま、100年以上も前の科学的知識にたよった技術を使い続けていることが問題なんだ、ということなのです。
しかも、むしろ、新しい技術を使ったら、温暖化はなくなるどころか、さらに、エネルギーが行きわたって、人類は裕福になる、世界中でアメリカ人と同じようにエネルギーを使えるようになる……。
そんな脱「ひとり勝ち」の文明が、すぐそこにあるんだということでもあります。
全体を通じてとにかく明るい未来像が描かれており、わくわくしながら読みました。以前、『宇宙旅行はエレベーターで』を読んだときと同じような気持ちです。どうやら私は、SFの世界が現実になるシナリオに弱いようです。