前回の続きです。
そもそも銀行とのつきあいを考えると、通常のお金のやり取り――送金やカードの決済など――をする際、銀行の普通預金は極めて便利だ。もちろん、使い勝手がいい分、預金の金利は極めて低い。そうですね。決済は銀行口座で、運用は証券口座で、という使い分けが基本です。
であるならば、銀行の普通預金はあくまで決済をするための口座と割り切り、ある程度の金額を預けておけばいい。
決済に使う銀行はどこでもいいわけではなく、入出金の利便性やコストの点でネット専業銀行の優位性が際立っています。私は住信SBIネット銀行をメインバンクにして以来、実店舗型の銀行を使うことがほとんどなくなり、銀行に手数料というものを払った覚えがありません。
具体的には、月々の生活費の2~3か月分程度を普通預金に置いておけば、大抵のことは事足りるだろう。大まかな目安としては、おそらく300万円もあれば十分だ。300万円!?
山崎氏の生活レベルの高さがよくわかりますね。庶民とは一桁違うようです。
私は300万円どころか30万円さえ普通預金には置いていません。もしそんな大金があるならハイブリッド預金に置くでしょうね。
投資信託や個人年金保険には、本書で述べるごくわずかな例外をのぞいて「ろくなものがない」。まして、金融機関の窓口でセールスされるような商品はすべてダメと言って過言でないので、この点は注意してほしい。買ってはいけないものリストに追加しておきましょう。
個人向け国債(10年満期型)は安全で無難。とりあえずは、これだけ覚えておこう。財政破綻が懸念されている日本の国債が安全というのも意外な話ですが、個人向け国債は変動金利なので、金利変動リスクがかなり小さいところがミソですね。固定金利の定期預金などに比べたら、リスクの点でかなり有利であることは確かです。
投資と投機の違いについては諸説ありますが、
何らかのリスクを取って資本を提供するのが「投資」、ゼロサム・ゲーム的なリスクに賭ける行為を「投機」と呼ぶのが、筆者の考える「投資」と「投機」だ。リスクの大きさや心掛けではなく、リスクの経済的性質に着目して定義したい。この定義が一番しっくりきます。
手数料が高いアクティブファンドに投資する人は、控えめに言えば自信過剰であろうし、お人好しなのだろう。お金の世界(金融業界)の言葉で「お人好し」とは、人の悪い金融マンに食われる間抜けな獲物(別名は「カモ」)のことだ。これまた容赦のない言い方が気に食わない人もいるでしょうけど、実に正しいことを言っています。
結局、個人の運用は条件が多様で厳密な最適解を計算することが難しい一方、運用そのものの成否は、他の条件の伸縮性で吸収されることが多いということが分かった。個人の資産運用は、論理的には非常に難しいが、現実的には特にリスクの取り方の上で、ある程度大雑把でも大丈夫だということだ。他の条件の「伸縮性」とは、収入や資産の増減に応じて、たとえば生活レベルを上げ下げして支出を調整するようなことです。副業をして収入を増やしたり、(セミ)リタイアして収入を減らすといった収入の調整もこれに含まれます。
ある程度大雑把なリスクの取り方でもよいというのは、私のような楽観主義者にとっては心強い言葉です。
ただし、リスクは大雑把であっていいとしても、「コスト」は明らかな損なので、これを軽視するわけにはいかない。賛成です。
1円単位で生活費を節約している人でも、買うものが金融商品だとコストに無頓着になってしまう人が多いような気がします。
「ハイリスク・ハイリターンの原則」が長期的には有効だと信じて、長期投資でリスクを取っていればあなたは救われるだろう、という一種の宗教の教義のような「長期投資教」を押し付けるのは気が進まない。ぐはっ…。
言われてみれば確かに広い意味では宗教かもしれませんね。長期的には世界経済の成長と共に株価も上昇するという、当たる保証のない未来予測を信じて賭けているのですから。
しかし、何も信じないというのもまた一種の宗教であるのと同様、長期投資教を信じない人も、(長期投資は報われないという)未来に賭けている点では同じだと思います。たとえ本人にそのつもりがなくても。
何を信じて何に賭けるのかは、それぞれの個人投資家が自己責任で決定するしかありません。何も考えず、無意識のうちに何かに賭けているというのが一番良くないと思います。