2011年6月23日

『お金とつきあう7つの原則』 山崎 元 (著) その4



前回の続きです。

そもそも銀行とのつきあいを考えると、通常のお金のやり取り――送金やカードの決済など――をする際、銀行の普通預金は極めて便利だ。もちろん、使い勝手がいい分、預金の金利は極めて低い。
であるならば、銀行の普通預金はあくまで決済をするための口座と割り切り、ある程度の金額を預けておけばいい。
そうですね。決済は銀行口座で、運用は証券口座で、という使い分けが基本です。

決済に使う銀行はどこでもいいわけではなく、入出金の利便性やコストの点でネット専業銀行の優位性が際立っています。私は住信SBIネット銀行をメインバンクにして以来、実店舗型の銀行を使うことがほとんどなくなり、銀行に手数料というものを払った覚えがありません。

具体的には、月々の生活費の2~3か月分程度を普通預金に置いておけば、大抵のことは事足りるだろう。大まかな目安としては、おそらく300万円もあれば十分だ。
300万円!?
山崎氏の生活レベルの高さがよくわかりますね。庶民とは一桁違うようです。

私は300万円どころか30万円さえ普通預金には置いていません。もしそんな大金があるならハイブリッド預金に置くでしょうね。

投資信託や個人年金保険には、本書で述べるごくわずかな例外をのぞいて「ろくなものがない」。まして、金融機関の窓口でセールスされるような商品はすべてダメと言って過言でないので、この点は注意してほしい。
買ってはいけないものリストに追加しておきましょう。
個人向け国債(10年満期型)は安全で無難。とりあえずは、これだけ覚えておこう。
財政破綻が懸念されている日本の国債が安全というのも意外な話ですが、個人向け国債は変動金利なので、金利変動リスクがかなり小さいところがミソですね。固定金利の定期預金などに比べたら、リスクの点でかなり有利であることは確かです。

投資と投機の違いについては諸説ありますが、
何らかのリスクを取って資本を提供するのが「投資」、ゼロサム・ゲーム的なリスクに賭ける行為を「投機」と呼ぶのが、筆者の考える「投資」と「投機」だ。リスクの大きさや心掛けではなく、リスクの経済的性質に着目して定義したい。
この定義が一番しっくりきます。

手数料が高いアクティブファンドに投資する人は、控えめに言えば自信過剰であろうし、お人好しなのだろう。お金の世界(金融業界)の言葉で「お人好し」とは、人の悪い金融マンに食われる間抜けな獲物(別名は「カモ」)のことだ。
これまた容赦のない言い方が気に食わない人もいるでしょうけど、実に正しいことを言っています。

結局、個人の運用は条件が多様で厳密な最適解を計算することが難しい一方、運用そのものの成否は、他の条件の伸縮性で吸収されることが多いということが分かった。個人の資産運用は、論理的には非常に難しいが、現実的には特にリスクの取り方の上で、ある程度大雑把でも大丈夫だということだ。
他の条件の「伸縮性」とは、収入や資産の増減に応じて、たとえば生活レベルを上げ下げして支出を調整するようなことです。副業をして収入を増やしたり、(セミ)リタイアして収入を減らすといった収入の調整もこれに含まれます。

ある程度大雑把なリスクの取り方でもよいというのは、私のような楽観主義者にとっては心強い言葉です。

ただし、リスクは大雑把であっていいとしても、「コスト」は明らかな損なので、これを軽視するわけにはいかない。
賛成です。
1円単位で生活費を節約している人でも、買うものが金融商品だとコストに無頓着になってしまう人が多いような気がします。

「ハイリスク・ハイリターンの原則」が長期的には有効だと信じて、長期投資でリスクを取っていればあなたは救われるだろう、という一種の宗教の教義のような「長期投資教」を押し付けるのは気が進まない。
ぐはっ…。
言われてみれば確かに広い意味では宗教かもしれませんね。長期的には世界経済の成長と共に株価も上昇するという、当たる保証のない未来予測を信じて賭けているのですから。

しかし、何も信じないというのもまた一種の宗教であるのと同様、長期投資教を信じない人も、(長期投資は報われないという)未来に賭けている点では同じだと思います。たとえ本人にそのつもりがなくても。

何を信じて何に賭けるのかは、それぞれの個人投資家が自己責任で決定するしかありません。何も考えず、無意識のうちに何かに賭けているというのが一番良くないと思います。

2011年6月19日

『お金とつきあう7つの原則』 山崎 元 (著) その3



昨日の記事の続きです。

「インカムゲイン」と「キャピタルゲイン」については、投資家が正確に理解していないことが多い。
(中略)
動かせない大原則は、インカムゲインとキャピタルゲインを合計して自分の損得を考えるということだ。
ところが、実際にはこの点をよく分かっていない投資家をよく見かける。
(中略)
本来、最終目的がお金を増やすことである以上、インカムゲインとキャピタルゲインとを足し合わせてトータルで考えるべきなのだが、なぜか目先のインカムゲインを過大評価する傾向が多くの人にあるので、気をつけてほしい。
確かによく見かける傾向だと思います。グロソブなどの毎月分配型投信が、この過大評価につけ込むボッタクリ金融商品の典型であることは、皆さんご存知の通りです。

付け加えるなら、早期リタイアして無収入になった場合でも、わざわざアセットアロケーションを変更して、給与収入に代わるインカムゲインを追い求める必要はありません。べつに追い求めてもかまいませんが、大抵の場合は余分な税金を払うことになるでしょう。関連記事:
世の中には「不労所得でリタイアしよう!」みたいな怪しい話がそこら中に転がっていて、リタイアするためには労働所得の代わりに「不労所得」というものを手に入れることが必須であるかのように思われているかもしれません。 しかし、リタイア後の生活費をすべて不労所得で賄う必要はありません。 資...
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社債をわざわざ個人向けに売るということは、その発行者の債券をその条件では機関投資家が買わないからだと考えていい。
なるほど。
では個人投資家に大人気のSBI債券の金利は、機関投資家からみれば低すぎてリスクに見合わないのですね。それでも個人投資家が殺到して3分で完売するなら、売出価格が不適正だったことに変わりはないと思いますが。

何はともあれ、借金というのはバカバカしく、保険もこれに負けないくらいバカバカしい。何とかそれらを避けられるように、自分で自分に資金を融通、すなわち自己金融ができるような状況をつくることに、まずは取り組んでほしい。
同感です。
基本的には、お金を貯めてから買い物をする、保険料を払ったつもりで貯金するといったところでしょうか。

人間は「安心」に対するこだわりがとても大きい。これは、本能に近いレベルの判断上の癖だと考えていいだろう。
しかも、困ったことに、安心に対して人は「絶対」を要求しがちだ。現実の安心は、この程度には安心というような「程度」の問題なのだが、人間はこうした把握が苦手だ。
これもよく観察される傾向です。
コストを度外視して「絶対」を要求する不合理は、「ゼロリスク探求症候群」とも呼ばれているようです。元々BSEなど、食の安全の分野でよく見られる現象ですが、最近だと反原発運動などもこれに該当するように思います。

もちろん資産運用のリスクについても、ゼロリスクを追求して安心しようと思ってはいけません。本能的にそう思ってしまう人は、良くない癖だということを理解し、修正していく必要があると思います。

(つづく)

2011年6月18日

『お金とつきあう7つの原則』 山崎 元 (著) その2



昨日の記事の訂正から。
山崎氏の著書を読んだのはこれが初めてではありませんでした。2年前に『超簡単 お金の運用術』を読んだことをすっかり忘れていました。こんな時に役立つ備忘録、やっててよかったです。

確かにお金は大切なものだが、お金自体が永続的に価値を持った確かなものだという思い込みをせずに、その時々に合った方法で少しドライに扱うのがいいのではないか。
「お金との距離感」の前提として、筆者はそのように考えたい。
そうですね。
お金に無頓着でもダメですが執着しすぎるのも考えもの。程よい距離感を保とうと思います。

お金について思うのは、ツール(道具)としてのお金は感情的に扱うのではなく、むしろ機械的に、計算に基づいて合理的に扱うのがいいということだ。
この点に関しては、誰のお金であっても、金額の大小も関係ない。つまり、自分のお金もあたかも他人(顧客)のお金であるかのように扱うのがいいということなのだ。
そのためには、お金の性質を知ると同時に、自分の状況と感情を客観視することが大切だ。素人の直感と、素朴な感情のいくつかを修正しなければならないが、これはお金について正しい知識を持つことで十分可能だと思う。
お金の知識もそうですが、直感や感情が陥りやすい不合理のパターンを知っておくことも重要ですね。たとえば『予想どおりに不合理』に書いてあるような。

お金の世界では、「好み」だからとか、「気が済むから」といった感情に基づいて行動するのではなく、確率を考えるとこれが得で合理的だという方法、これ以上は少なくとも大きくは改善できないという方法を淡々と実行するほうがいい。しかし、合理的なお金の扱い方は、しばしば自然な感情と対立するし、金融ビジネスの側は、そこにできるギャップを儲けの種にしようと狙っている。
お金は原則に忠実に、感情を込めずに扱うべし。カモにならずに、爽やかにお金とつきあうためには、そうするのが一番いい。
「大らかな合理主義」ですね。賛成です。
自然な感情に反する行動をとるのは、しっかり意識して訓練しないとなかなか身につかないかもしれませんが、それだけの価値はあります。これができない人からお金を吸い取る仕掛けがそこらじゅうにある世の中ですから。

山崎氏個人の「お金の思想」=お金のために頭を下げることは平気だが、お金のために嘘をつくのは嫌だ。
この正直さが災いして、マネー誌の連載コラムの仕事は回ってこないそうです。広告主の商品を全否定することになりかねませんから。
業界寄りの嘘を言ったり書いたりする評論家やライター、ファイナンシャルプランナーについては、そのメッセージ自体が嘘であることは強く指摘したいが、彼ら彼女らのそうした商売の仕方自体は、それぞれに事情もあるのだろうし、プライドの持ち方が違うのだろうと理解している。こういう人たちを指して「人間のクズ」などと言うことがあるが、これは私がいけない。正しいけれども、言い過ぎである。
(斬殺音) 強烈です。
この業界の人たちの多くが、スポンサーからの広告収入や販売手数料のキックバックなどに依存しているため、嘘をつかざるを得ないという事情が見えてきます。人間のクズと言うより、そんな仕事してて苦痛ではないのだろうかと思いますね。

逆に、山崎氏のような正直者の業界人は貴重な存在なのです。マネー雑誌なんか買うお金があるなら彼の本を買いましょう。

お金の管理方法について。
お金の出入りを細かく把握することが重要な場合も時にはある。しかし、あえて言わせてもらうと、お金のことを気にせずに生活して結果的にはつじつまが合うような金銭感覚を持っていることが理想的ではないだろうか。
気にせずに生活してたらつじつまが合わなくて常に金欠状態の人も、いくらでもいそうですけどね。大雑把でも把握しているのと、まったく気にしないの間には大きな隔たりがあると思います。

自分のお金が余る方向に間違えるのはいいが、足りなくなる方向に間違えてはいけない。
これも程度問題な気がします。
絶対に足りなくなってはいけないと思い込んでいると、死ぬ寸前まで貯蓄を続けることになりかねません。実際、日本人の高齢者はそうなってますけど。
余る方向ならいくら間違えてもいいかというと、そんなことはないのです。

(つづく)

2011年6月17日

『お金とつきあう7つの原則』 山崎 元 (著) その1



投資ブロガーの間では著名な方で、ブログは時々拝見していますが、意外にも著書を読んだのは初めてです。

前書きの一行目:
お金よりも人生の時間のほうが大切だ。筆者はそのように思っている。
私も常々そう思っているので、時間の切り売りをやめました。

保険について知らなかったこと。
絶対にやってはいけないのが、保険の乗り換えなど、新規の保険契約を伴う操作だ。新たにごっそりと営業費見合いの付加保険料を取られて、保険会社のカモになる。
べからず集に追加しておきましょう。
もちろんこれは、生命保険や医療保険の話です。自動車保険に限っては毎年比較して有利な会社に乗り換えたほうがいいと思います。

国内株と外国株の比率は概ね半々でいい。
この大雑把な感じが山崎流アセットアロケーションの特徴の一つですね。市場ポートフォリオよりも為替リスクを取りたがらない傾向があるようです。

投資家としては「バブル崩壊」をできれば避けることと、崩壊後の金融緩和からの資産価格上昇のプロセスをぜひ狙うことの二つを心掛けたいが、簡単ではない。
もちろん、簡単ではないのだが、努力はしてみようというのが、本書での筆者の立場だ。
バブルの発生と崩壊のサイクルを利用して超過リターンを狙うのが山崎流だとは知りませんでした。私に先入観があっただけかもしれませんが、とても意外な気がします。
このような立場から、ページ数はわずかとは言え本書の最後のほうで具体的なタイミング投資の手法を提案する部分があります。正直、絵に描いたような蛇足だと思いました。

なぜなら、プロの山崎氏が「簡単ではない」と言うようなことが、我々一般人に真似できるとは思えないからです。努力した結果もし裏目に出たら、時間もお金も失うことになります。下手な賭けに出るよりも、バブルが発生しようがしまいが、淡々と市場平均に乗り続けるほうが合理的だと思います。

自分の買値から何割上がったら売る(「利食い」売り)とか、あるいは何%下がったら売る(「損切り」売り)というルールを決めておいて機械的にこれに従うことを推奨する向きもあるが、間違いだ。その時の情報を見ずに、売り買いを事前に決めておくのは愚かだ。
効果音に時代劇の斬殺音がぴったりな歯切れの良さですね。
完全に同意します。関連記事:
資産運用の基本スタンス に 分散投資だと必然的に含み損を抱える銘柄も多くなりますが、下がったから損切りするという発想ほど馬鹿げているものはないと思っています。何%の利益が出たら売るというのも同様です。 と書いた通り、いわゆる「損切り」や「利確」などの小手先のテクニックには合理性の...
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(つづく)

2011年6月15日

海外投資と海外ファンド

先日の記事のコメントで長期投資オヤジさんから次のような質問をいただきました:
資産運用ですと海外投資にはどういう
ご意見をお持ちか教えて下さい

長期投資派を自認しているオヤジです。
最近、投資信託を調べていくうちに海外ファンドへの興味がでました。

(中略)

リターンが良いようなのですが
遊民様は、実践されていますか?

ボラティリィ10%、リターン実績30%のようなヘッジファンドもあるそうです。

日本の投資信託で3年以上実績あるものをランキングで並べてみても、3年間でボラティリティ15%以上、リターン実績15%程度の質の低い商品しかありません。

だから海外投資に興味があるのです。
遊民様は実践されていますか?

もしされていない場合には、その理由などを教えて下さい (最低投資単価は500万円からのようです)
ここで言う「海外ファンド」とは、ほぼヘッジファンドのことを指している、という前提でお答えします。

海外投資には興味があり実践していますが、海外ファンドには興味がないので保有していません。

私の資産運用の基本スタンスは長期、分散、パッシブ運用です。
分散の観点から海外投資は必須ですが、いわゆる海外ファンドと呼ばれているものはすべてアクティブ運用ですよね。その時点でもう私の守備範囲外です。

なぜアクティブファンドを避けるかというと、コストが高いからです。アクティブファンドの期待リターンの平均は、このコストの分だけ市場平均に劣ります。過去の運用実績の優れたファンドを選んでも、未来の期待リターンが良くなるわけではありません。

海外投資=ヘッジファンド だった時代は10年以上前に終わり、現在は海外投資の手段が多様化、大衆化しています。もはや海外だからと身構えて500万円も用意する必要はなく、ヘッジファンドやIFAに高い手数料を落とす必要もありません。もっと安上がりな海外投資の手段が誰にでも開かれています。このような大衆化の流れは、海外旅行の歴史に似ていますね。

まだ不自由なことが多いとは言え、国内のネット証券でもクリックひとつで海外ETFが売買できます。その不自由を取り除きたければ、海外の証券口座を持つこともできます。

海外ETFのExpense Ratio(経費率)も、最近は驚くほど安くなっています。
25 Lowest Expense Ratio ETFs ? Cheapest ETFs | ETF Database
最近は0.5%でも高すぎ、0.3%で普通、0.1%未満なら安いなという感覚です。アクティブファンドとは文字通り桁が違います。

いい時代になったものです。

2011年6月14日

SBI債券の金利

私は個別債券を投資対象として見ていないので他人事とは言え、いつも疑問に思っていることがあります。

SBI債(第20回) 発売開始3分で完売 - インデックス投資日記@川崎

最近こういうニュースをよく見聞きします。
わずか数分で完売してしまったのなら、明らかに需要>>供給、つまり販売価格が安すぎた(金利が高すぎた)ということです。はるかに低い金利でも売れるのに、なぜわざわざ行列ができるほど魅力的な金利を提示するのだろうかと。いくら考えても合理的な理由が見当たりません。

もしSBIホールディングスの株主だったら、債権者に余計な金利を払った分だけ会社の利益が減るという不利益をまともに被ることにもなります。非常に理不尽な、株主軽視の会社経営に見えてしまいます。

また、需給のバランスしない不適正な安値でモノやサービスが販売されていると、行列に並ぶことのできる暇人だけが得をします。公的健康保険制度を見ればわかります。まったくフェアではありません。まるで社会主義国のようです。

次回からは是非、適正価格で売り出してもらいたいものです。

2011年6月3日

ブログ開設3周年

当ブログ3歳の誕生日です。

3年間の総PVが365,000で、1年前の記事では20万PVだったので、この1年で16万ほどですか。
たくさんの訪問と、コメントやトラックバック、拍手をいただいた皆様、ありがとうございました。


リタイア生活はブログ開設の前年からなので、5年目に突入しました。読書やネットサーフィンが中心で変化に乏しい毎日ですが、特に飽きることもなく、のんびり楽しく暮らしています。

先日の記事にも書いたように、インターネットの存在によってリタイア生活は多様化し、従来のイメージから一変する可能性があります。
従来だとリタイア後に楽しい時間を過ごすためにはそれなりのお金が必要で、自由な時間がたくさんあっても自由に使えるお金が少なければ、何もやることがない退屈な時間ができるだろうと考えます。この不安が、既にある程度豊かな人々さえも過剰労働、過剰貯蓄へと駆り立てていたのではないかと。

しかし現在は図書館だけでなくインターネットにもほぼ無料で無限に近いコンテンツがあり、時間がいくらあっても消費し尽くすことはできません。今の時代に、このようなコンテンツに興味がもてる人であれば、リタイア生活で自由な時間を持て余すことなどあり得ないだろう、というのがリタイア生活4年経験者の率直な感想です。

このような時代には逆に、知りたいことをすべて知り、やりたいことをすべて経験するには人生は短すぎる、という人生の有限感を、より早い時期に体感することになるはずです。

以上、一番大事な時間の話でした。
以下、二番目に大事なお金の話を少し。

2年目の2008年には株式市場の大暴落で、資産残高マイナス41%という恐怖を経験しましたが、その後の資産残高は
2009年:+16.6%
2010年:-4.1%
と推移しています。
この数字はあくまでも残高の変動率であって、資産運用のリターンを意味するものではありません。1年間の資産運用のリターンだけを抜き出すには、年末の残高に年間支出を足したものを元に計算することになるので、この数字よりは高くなります。

読者の方から次のような質問のメールをいただきました。 遊民さんは、何歳で、幾らの資産を持って早期リタイアを成し遂げたのですか?また月々の生活費の内訳や一日のタイムスケジュール等、可能でしたら今後の参考にしたいと思いますので、ご教授の程よろしくお願いします。 おそらく他の読者の方も...
yumin4.blogspot.jp
(年齢+ACR)>平均寿命
に2010年の資産残高(A)と生活コスト(C)を当てはめてみると、基準をわずかに満たしていませんでした。(汗)

つまり、今後の資産運用リターン=生活コストの増加率ならば、平均寿命まで生きる前に資産が底をつきます。(年金制度が破綻して全くもらえないと仮定した場合)

仮に今現在リタイアするか否か選択できるのであれば、もう少し待つか、セミリタイアにとどめるのが良さそうな状況です。だからといって、今からバイトでもして時間をお金に替えようとは思いませんけどね。もう少し切羽詰った状況になったら、その時にまた考えたいと思います。