2009年9月29日

「損切り」の不合理

資産運用の基本スタンス
分散投資だと必然的に含み損を抱える銘柄も多くなりますが、下がったから損切りするという発想ほど馬鹿げているものはないと思っています。何%の利益が出たら売るというのも同様です。
と書いた通り、いわゆる「損切り」や「利確」などの小手先のテクニックには合理性のかけらもなく、特に長期投資家が最もやってはいけないことの一つだと思っていますが、同じような意見を見かけたので紹介します。

「損切り」するな - 投資の消費性について より:
「損切り」と呼ばれる投資行動は、僕にはまったく理解できない。理解できないばかりか、もっといえば嫌いだ。というか普通に損だと思うよ、それ。
同感です。
投資の判断は、未来に向かってするんじゃなかったのか?「上がると思った」から買ったんだろ?「下がると思った」から売るのならいいよ。そうじゃなくて「下がっちゃった」から売ったの?なんて情けない奴なんだ君は。そう、実は一行で済む話なのだが、投資判断てのは常に、未来に向かってすべきものだ。それ以外にあり得るわけがない。
実にシンプルですが、損切りがなぜ不合理なのかは本当にこの一行で済んでしまいます。今までうまく説明する自信がなかったことを、この秀逸な記事が代弁してくれている気がしました。

2009年9月15日

理系の人々(166)

理系の人々(166) オーガニックって根性論の匂いがするんです - エンジニア★流星群 @Tech総研 - Yahoo!ブログ が傑作です。
 200円で10分毎食寿命が延びるとして、200円稼ぐのに10分かかるとするなら、僕はべつに普通の野菜でいいです。 苦労した分長生きなんかしたくない! 働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!
こういう損得勘定、いかにも「理系の人々」らしくて私も好きですねえ。100%共感します。

2009年9月11日

『おしえて!科学する麻雀』



統計的に正しい麻雀のセオリーがよくわかる本です。
具体的なセオリーの数々は前著の『科学する麻雀』と同じなので割愛しますが、どれも意外にシンプルで機械的判断ができることが特徴で、麻雀はそれほど奥の深いゲームではないということがわかると思います。技術よりも偶然に大きく左右されるゲームという点において、資産運用との類似性を強く感じます。
オリに対する心構えとしては、結果的な振り込みを気にしないことが重要です。
(中略)
たまたまオリウチになったり「ミエミエ」らしきものに振り込むケースもあるでしょうが、長期的に見るなら、危険度グラフに基づいて正しくオリているかどうかは成績に直結します。1回1回の結果を気にしすぎていては、正しい方法は身につきません。偶然を偶然と認める勇気が必要です。自分勝手な後付けの理屈はいりません。
前著のエントリーにも書きましたが、このような心構えは、資産運用にもそっくりそのまま応用できる非常に合理的なものだと思います。

本書の最後に、前著に対する麻雀のプロたちの賛否両論が載っています。
「読み」の精度を上げる努力を放棄したほうが有利? そんなことはないでしょう。「読み」は正しく学習することで、精度を高めることはできるんですよ。
のような意見に代表される反論の多くが、資産運用におけるパッシブ派に対するアクティブ派の態度とそっくりに見えてしかたありません。

2009年9月7日

『経済成長は、もういらない』



超斜め読みしたので全体の評価は保留します。

ランチタイムを2時間以上取り、決して残業はしないというスペイン人の働き方は日本人と対極的で、
日本人は、働くために食べるのだが、スペイン人はまさに食べるために働くのだ。
という表現がぴったり当てはまります。
 そもそも働くとは、現在の楽しみを未来に先のばしして、そうしてガマンした代わりに、将来使うべきお金を得る行為にほかならない。
私の労働観を簡潔に表現してくれる文に出会えた気がしました。
さらっと書いてありますが、日本人でこういう割り切った労働観を持っている人はまだ非常に少ないのではないかと想像します。

2009年9月3日

『この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言』



 よく、格差を市場経済における弱肉強食の結果だという人がいますね。たしかに市場経済が機能していれば、そこには競争力格差が生じます。しかし、いま日本で問題となっている格差の多くはそれではない。この労働市場の正規社員と非正規社員のように、反市場経済的な制度や規制によって発生する格差のほうなのです。
 市場経済の競争が原因ではないにもかかわらず、格差があるのは市場経済のせいだということにして、さらにその格差を是正するために、規制や補助金といった反市場経済的なものを次々と導入するものだから、その結果、格差の壁がどんどん厚くなっていく。そういう「官製」格差みたいなことが、いたるところで起こっているというのが、日本の現状なのです。
言われてみればその通りかもしれません。
 労働力でいえば、正規と非正規の壁なんてなくしてしまったほうがいい。そのほうが全体としての生産性は上がるでしょう。その結果、個々の能力に応じて新たな格差が生まれるとしても、それはフェアな競争の結果ですから、むしろあるべき姿といってもいいのではないでしょうか。
正論です。
正規労働者の強固な既得権だけは保護したまま、非正規労働者だけが競争にさらされているというのは全くフェアではありません。
しかし正規労働者の強固な既得権をぶち壊して市場の自由競争に委ねるとなると、労働者は平均的にどんどん貧しくなっていくでしょうね。
 国民の税金を使うのであれば、そういう競争ができるよう環境を整えるために使うべきです。そうすれば、日本人の能力はまだまだ伸びます。
 ところが、政府がやっていることをみると、農業の補助金に国民の血税を注ぎ込んでいる。あれは内容をみると農業の生産性を上げる目的ではなく、逆に生産性を低い状態で維持するためにお金を使っているわけです。あのような、国民の潜在的に大きな能力を、あえて生産性が低いところにとどめておく、一種の愚民化政策のような税金の使い方というのは、国家の犯罪といってもいいのではないでしょうか。
同感です。
このような政策のせいで、われわれ消費者は税金の無駄遣いをされた上に、コストパフォーマンスの劣る農産物を買わされるという二重の損失を被っているのです。
そこにある格差はなぜ生まれたのかという原因の追究もきちんとせずに、ただ弱者がかわいそうだという情緒的な側面ばかりを強調して、格差はいけないという方向に無責任に世論を誘導していくというメディアの姿勢には、大いに疑問があると思います。
同感です。
格差の存在自体を問題視する風潮こそ問題だと思います。
 人の行動を決定づけるのは何かといったら、それはインセンティブである、しかも単純な目先の利潤の最大化といったものではなく、もっと多様で複雑で、たとえば心理的要素もインセンティブ因子として考えなくてはならないというのが、行動経済学の基本的な考え方です。そして、いま世界の最先端の学者や政策立案者は、この行動経済学に基づいて、いかに社会が効率的に動くようなインセンティブ・デザインを描けるかを研究しています。
 ところが、既得権益層の利益を守るためにわけのわからない規制をつくり、それで問題が起こるとパッチワークのように、次から次へと規制を増やして穴をふさごうとする、そうかと思えば突然ルール事態を変えてしまう日本の政治や行政には、インセンティブという概念の影も形も見当たりません。
なるほど。日本は「パッチワーク行政」の国だというのは当たってますね。
日本の経済政策議論はいまだに、すべてを市場に任せる新自由主義か、それとも市場を制限するケインズ主義か、どちらを選択しましょうかというレベルです。それで、ちょっと新自由主義的なものが行き詰まると、すぐにオールド・ケインジアンが出てきて財政出動による所得の再配分を主張するということが繰り返されている。
 でも、もう一度言いますが、世界を見渡せば、そんな議論はとっくに終わっているのです。ミルトン・フリードマンがレッセ・フェール(自由放任主義)を主張したときのようなイデオロギー論争なんて、もはやどこもやっていません。
世界の経済政策議論がそれほど進んでいるとは知りませんでした。現在の議論の中心はインセンティブ・デザインだそうです。そこでは政府による市場介入こそが悪であるという考え方もまた否定されます。

日本においてインセンティブ・デザインができていない例として、経済犯の罰金が挙げられています。
 最低でも検挙率の逆数を不正利益に掛けた金額を罰金に設定しないと、儲かる確率のほうが高くなるので、やったほうがいいということになってしまう。つまり現行の法律は、経済犯罪を計画している人に、むしろインセンティブを与えてしまっているのです。
確かにその通りです。これでは食品偽装などの経済犯罪がなくならないのも当然と言えましょう。
日本の政治家や官僚は、確率や期待値の計算が苦手なのでしょうか。
 結論をいってしまえば、いまの年金制度にどう修正を加えたところで、破綻を避けることはできませんから、これは解散しかありません。
これ、ありそうでなかった提言じゃないでしょうか。
確かに一番シンプルでスッキリする解決方法かもしれません。