2018年2月25日

年金繰下げ支給の合理性

橘玲公式ブログより。

現行制度では65歳より受給開始を遅らせる繰下げ支給のほうが、受給開始を早める繰上げ支給よりも、プレミアムが上乗せされている分だけ支給総額の期待値が高くなるという話は、確かにその通りだと思います。

それにしても、ですよ。
超高齢社会でひとびとの不安は「長生きしすぎること」に変わったが、生涯現役ならそのぶん老後が短くなり、年金受給額が増える。そう考えれば、繰下げを80歳に止めるのではなく、90歳にしたっていいのではないか。

「その前に寿命がきたら無駄になる」というかもしれないが、死んだあとのことまで心配しても仕方がない。長く働き、たくさん年金をもらい、平均余命まで生きられなかった分は国庫に返納する。早晩、そんな人生設計が当たり前の時代がくるのではないだろうか。
ここまで来るとさすがに荒唐無稽では? 
仮に、85歳まで生きた人が年金支給をさらに5年遅らせると相当なプレミアムが乗って支給総額の期待値が高くなるとしても、必ずしも期待値が高い方を選ぶことが合理的とは言えませんよね。高齢になればなるほど、一銭も貰えずに死ぬ確率の大きさを無視するわけにはいかなくなってくるので。

「その前に寿命がきたら無駄になる」というのは、単純ながらけっこう合理的なロジックなんですよ。その大事なポイントを「死んだあとのこと」の一言で片付けていいのなら、どんなに無茶苦茶な制度だって正当化できるのではないですか? 繰り下げ支給のために年金を一銭も貰えずに死のうが、自分の死後どれだけ資産が残ろうが、国庫が潤うのだからそれでいいという考え方には1ミリも共感しません。そういう愛国者がいてもべつに構いませんけど、人々が自ら進んでそんな人生設計を選ぶのが当たり前になるという感覚はぶっ飛んでいると思います。

より現実的にありそうなのは、今後着実に実質年金支給額が減額されていくにつれて、通常の年金額では生活できなくなり、仕方なく老体に鞭打って70歳や75歳まで働き、繰下げ支給の年金で何とかしのぐパターンでしょうか。そんな人生設計を望んではいないのに、そうせざるを得ないというのは、実に不幸なことだと思います。

橘さんが「生涯現役」宣教師に転向されてから久しいですが、今回の記事を読んで正直どこまで本気なのかわからなくなってきました。もしかすると、橘さん流の手の込んだ皮肉のつもりだったのに、察することができずにマジレスを返しているだけかも…。

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2018年2月20日

海外口座を使う意味



1年ほど前の記事になりますが、クロスパールさんと次のようなコメントのやりとりがありました。
図書館で予約して忘れた頃に回ってきました。著者はこちらのブログでお馴染みのITTINさんです。 独身一人暮らし女だからこれからどうやって生き抜いていくか考えるブログ ittin.blog.fc2.com 以前からブログは拝読しているのでほぼ違和感なく読めました。 p.41 現金と...
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クロスパールさんの質問:
お金の置き場所についてはどうなんでしょうか?
国内金融機関、証券口座で十分なのか?それとも海外の金融機関にも分散した方がいいのか?
私の回答:
最近は国内でも低コストで世界分散投資ができるようになってきたと聞いています。コスト面だけで言えば国内で十分だと言えそうです。ただし将来海外移住の可能性が視野に入っている場合は、国内の金融機関だと非居住者は口座を維持できないケースがほとんどだと聞きますので、海外口座は必須になると思われます。
クロスパールさんのコメント:
投資環境は国内で十分だと私も思います。
たぶん、私が生きている間は貯金封鎖なども行われないでしょうから海外の金融機関は必要ないと考えるのが妥当ですね。
ありがとうございました。

読み直してて思ったんですが、国内の金融機関だけで十分になったと言えるのは、あくまでも資産運用の「コスト面だけ」を見た場合の話なんですよね。逆に言うと、コスト面のメリットがほぼ消失しただけで、その他のメリットは健在です。やはり最大のメリットだと私が思うのは、海外移住しても口座がそのまま維持できる点ですね。

もし国内の金融機関に全資産が集中していると、いざ海外移住しようとしたときに国内口座を解約しなければなりません。全資産を売却して現金化して、税金も払って、海外の口座を開設して、海外送金して、国内口座を解約して…。というような一連の手続きを終えないと日本から出られなくなります。実質的には海外移住への道は閉ざされ、日本に骨を埋めるしかなくなるでしょう。

まだ平均余命が30年も残っている段階で、住む国を固定する覚悟は私にはできません。国家の運命と自分自身の運命を切り離すためにも、いつでもどこへでも移住できる身軽な状態でいたいと思っています。

現状では国内口座をそのままにしている海外移住者も多いようですが、マイナンバー登録が義務付けられると口座の維持は困難になるでしょう。こういう動きを見ていると、日本の「金融鎖国」状態が解消される日はますます遠ざかっているように思います。

日本が開国する日よりも、ブロックチェーン革命によって銀行や証券会社に資産を預ける必要がなくなる日の方が早く到来するかもしれません。

2018年2月15日

Blogger への引っ越しは一筋縄ではいかなかった

ブログの移転作業なんて基本はエクスポートしてインポートすればいいだけでしょ、なーんて思っていた自分が甘かったです。

喉元過ぎて熱さを忘れないように、どこでどうハマったかを記録する記事を残します。

まず、Seesaaの全過去記事をMovable Type形式でエクスポート。これは簡単でした。
Bloggerへのインポートにはxml形式のファイルが必要なので、MTからxmlへの変換ツールを使わせてもらいました。

しかしxmlファイルをBloggerでインポートしようとすると、なぜかうまくいきません。「ブログの投稿を書き込み中」と表示したまま、何時間も処理が終わりません。おかしいと思ってキャンセルすると、一つもインポートされていませんでした。

ファイルサイズ(3MB弱)が大きすぎたのかと思い、元のMTファイルを年ごとに分割。2017年以降の記事をインポートすると成功。ただ、記事の日付が全部インポートした日付になっているのは問題あり。ググると、Blogger独自形式の日付に変換しておかないと過去の日付にはならない事が判明。そのための変換ツールを使わせてもらいました。
GAE/J とか、JavaScript とか、Blogger の仕様のこととか。プログラム関連の備忘録です。
programming.kuribo.info

ツールを適用する順番は、
MTファイル→(日付変換ツール)→(MTからxmlへの変換ツール)→ xmlファイル
になります。

変換後のxmlファイルを見てみると、ところどころ文字化けしています。どうやらxmlへの変換時に全角の左括弧「(」が??に化けてしまうみたいです。テキストエディターで一括置換を使って修正。

新しいほうから順番にインポートしていくと、なぜか2015年の記事がインポートできません。最初と同じく、「ブログの投稿を書き込み中」で処理が止まります。先に2014年の記事をインポートしてみるとできたので、2015年のxmlファイルに何らかの問題があるようです。現在その問題が何かを調べています。

過去記事を完全に移転するには少し時間がかかりそうです。

2018年2月10日

暗号通貨の発行は偽札の発行と同じ?

橋下徹氏のツイートより。


電子マネーと暗号通貨を一緒くたにして語り始めているのもおかしいのですが、「仮想通貨の発行は偽札の発行と構造は同じ」はよくある誤解だと思います。

偽札って、本物の法定通貨そっくりに作られていて、それを受け取る人が偽物であることに気づかないからこそ、偽札を作った人に利益が転がり込んでくるものですよね。

それに対して暗号通貨は、はじめから法定通貨とは別物として作られたものです。それを使う人も受け取る人も、別物であることをはっきりと認識しています。

暗号通貨をどうしても何かに喩えたいなら、偽札より「こども銀行券」の方がまだマシではないかと。それが法定通貨とは別物であることを皆が知っているという点だけは同じなので。もちろんそれ以外の点では、こども銀行券と暗号通貨は似ても似つかないものですが。

「莫大な通貨発行益が特定私人に属する」というのも、確かにそういう設計の暗号通貨もあるのでしょうが、暗号通貨すべてがそうだとは言えません。主語が大きすぎます。たとえばビットコインの場合は、通貨の新規発行(マイニング)には誰でも参入できるので「特定」私人ではありませんし、それにかかるコストも法定通貨の印刷ほど安くはないため、得られる発行益も「莫大」にはなりません。

通貨発行益が(特定)私人に属するのは癪なのに、中央銀行発行券を使うことによって莫大な通貨発行益が中央銀行という特定政府機関に属することには何も感じないと? 私は全く逆に、私人が権力を利用せずにどれだけ利益を得ても癪ではない(どころかむしろ尊敬する)けれど、中央銀行が権力を利用して通貨発行益を独占しているのは非常に癪にさわるのですが…。

どちらを好むにせよ、彼の言うように「私は◯◯しか用いない」という個人の意思表示で済んでいるうちは無害です。どの通貨を決済に使うかは、取引の当事者同士で決めることができますから。「XXは信用できない」と思えば取引しない自由があります。

しかし個人の意思を通り越して、なぜか「XXは信用できないから規制すべき」とか言い出す人がいるのは困りものです。橋下氏のツイートがそのような意図でなされたものではないことを祈るばかりです。

2018年2月5日

公共サービスのコスト=受益とみなして税負担と比較する論法は、よくある詭弁

ツイッターより。
こんな奇妙なツイートがなぜか好評のようで、この公務員の言い分に何の疑問も持たない人が圧倒的に多いところが、日本がいつまでも公務員天国であり続ける所以だと思います。

公共サービスは公権力によって独占されており、市場競争で適正価格が付いているわけではない、ということを忘れてはいけません。

以前にも似たようなツイートがあり、今回同様人気になっていました。やまもといちろう氏が書いた記事を田端信太郎氏がツイートしたのがこちら。
私も危うく騙されそうになりましたが、muu(@Meo011)さんの喩え話による的確な指摘があり、この手の話は詭弁であることがはっきりしました。
公務員が独占していなければ100円で買えたかもしれないサービスに、役所が2万円の値札をぶら下げているのを見れば、そりゃ「民間じゃこんな対応ありえないぞ!」と言いたくなることもあるでしょう。

それに対して公務員が、あなたは1万円しか納税していないのだから、この2万円のサービスを受けたら「逆に社会に支えられている」んですよって、そんなわけありません。そもそもその2万円という値札には何の根拠もないのですから。

誰が誰を支えているかを的確に表現するならば、「納税者全員で公務員を支えている」と言うしかないですね。市場価格ではないコストをそのままサービス利用者の受益とみなしたり、高額納税者のおかげで低額納税者は云々みたいな話にすり替えるのは、公務員による盛大な中抜きを誤魔化すための詭弁です。騙されないようにしましょう。

参考ツイート: