ツイッターより。
仕事に行きたくない。本当に行きたくない。だからといって、じゃあどんな仕事がしたいんだと訊かれても「そもそもどんな仕事もしたくない」というのが答である。ずっと本を読んで映画を観てゲームをしていたい。お腹が空いたらパスタを茹でたい。音楽をかけてお話を書きたい。それだけである
— 三兎群青 (@azurite_mito) August 23, 2020
そうして仕事とかマネタイズしないと、まるで夢破れ、何者にもなれなかった人のように語られる。馬鹿か。何者かである人間などどこにもいない。せっかく楽しんでいるものを、いちいち仕事に結びつけようとするな。そうやってなんでも仕事という概念に押し込めようとするのは、貧しい
— 三兎群青 (@azurite_mito) August 23, 2020
余りにも同感なツイートが流れてきて、現役会社員時代の辛さを思い出しました。
「そもそもどんな仕事もしたくない」
そう、これです。私が早期リタイアを志向した動機、「セミ」リタイアを選択しなかった理由はこれに尽きます。
就職してから早期リタイアに至るまでの会社員時代、仕事が楽しいと思ったことは一度もありません。仕事以外なら楽しいことはいくらでもありますが、私が楽しいと思う事が金銭的対価を生むことはありません。むしろ対価を払ってでもやりたい事ばかりです。
何かを趣味として楽しむのは自分の需要を満たすだけの行為であるのに対し、何かを仕事にするのは他人(対価を払う人)の需要を満たす行為である、という大きな違いがあります。両者が一致していることは稀で、趣味を仕事にしようとする場合、他人の需要に応じて行動を修正する必要が出てきます。実際にこれを試みた経験はありませんが、自分が好きな領域だからこそ、他人に合わせる事がよりいっそう苦痛になるのは容易に想像できます。
中には、毎日楽しい仕事をしながら金銭的対価も獲得しているよ!と言う人もいるのは知っています。おめでとうございます。天職に巡り会えた幸運な人だと思います。
でも私には無理でした。楽しいことで稼ぐのは諦め、楽しくなくても効率よく稼げる仕事を淡々と続けることにしました。そんな仕事を40年も続けていたら絶望していたと思いますが、幸い16年で終えることができました。
このツイ主さんや私のように、どんな仕事も楽しむことができない人間にとって、「好きなことを仕事に」という方向に明るい未来があるとは思えないですね。
参考ツイート:
たいそうおかしいと思うことは、自分の好きな仕事を見いだせない者を蔑視する現代日本の風潮だ。「自分のやりたいことがきっと何か一つあるはずだ」というお説教は、正真正銘の嘘だ。ほとんどの人は、目を皿のようにして探してもそんなものは見つからない。『働くことがイヤな人のための本』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) January 1, 2020
働かねば生きていけないことと働きたくないこととはやはり区別していいことだ。人間が働かねば生きていけないことを知りながら、それにもかかわらず働きたくない気持ちが湧き起こるのは、ごく自然だと私は思っている。『生きるのも死ぬのもイヤなきみへ』
— 中島義道 bot (@yoshimichi_bot) August 23, 2020
好きな仕事をして自分らしく生きる、自分の中では矛盾に満ちた文章。仕事をすることと自分らしく生きることの間には、何の関係もないから。 https://t.co/r7Pgzf3hjy
— セミリタイアラー礼二郎 (@gaban10) August 28, 2020
海外移住して一番衝撃的だったのは、僕は仕事好きじゃなかったということ。
— ショーヘー@東フリCMO (@showheyohtaki) April 6, 2018
日本にいた頃は、「働くのが好きだから働いている」と思ってバリバリ仕事してたけど、生きるために頑張る必要がない環境に来てみたら「本当は働くの好きじゃないのに、そう言い聞かせて頑張ってたんだなぁ」と分かった。
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