リバタリアンの目指す社会がこれ。 https://t.co/50ekWJudhe
— skyred (@skyred001) January 19, 2018
「これ」とは何かというと…。
軍閥、盗賊、要するにヤクザみたいな連中が群雄割拠して支配するおめでたい世界になるのである。
— ふくろうKKO(抵抗勢力) (@sunafukin99) January 19, 2018
え? これは酷い。
できるだけ強制を排除して一人ひとりの自由意志を尊重するのが自由主義(リバタリアニズム)ですよ。
「軍閥、盗賊、要するにヤクザみたいな連中が群雄割拠して支配する」のは、強制以外の何ものでもありません。自由主義の対極に位置する世界です。
ごく一部の強者だけが無制限の自由を謳歌して、大多数はそいつらに抑圧される社会。
— skyred (@skyred001) January 19, 2018
誰かが自由を謳歌すると他の誰かが「抑圧される」んであれば、ここで「自由」と呼んでいるものは、自由主義者(リバタリアン)が尊重する消極的自由とは別の概念であることは確定です。積極的自由?リベラリズム?なのか何なのか知りませんけど、リバタリアニズムとは関係ありません。
参考ツイート:
消極的自由と、積極的自由。
— 若年寄 (@numawkdsyr) October 20, 2017
こうも中身が異なるとは。
積極的自由って、自由と言いながら政府による統制でしょ?
消極的自由を否定する積極的自由はあるか?
— Augustin (@grateaber) January 7, 2018
「ない」とするのがリバタリアニズム。認めるのはそもそも消極的自由だけなのだから矛盾ではないし、何もぶっこわれないね。言葉遊びだよ。 https://t.co/10YNQYDcr6
もういっこ。
リバタリアニズムの究極形は「万人の万人に対する闘争」なので、あまり賛同できない。
— PuANDA (@shoichirosm) January 17, 2018
これも酷い。
その「闘争」とやらを回避するためにあるのが自由主義ですよ。
政治権力を通じた強制こそが醜悪な権力闘争を生んでいるのであって、強制を嫌う自由主義が闘争を生むことは原理的にありません。
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