p.198
ある程度の貯金があってこそ、隠居も屈託なく楽しめるってもんです。「ある程度の貯金」とは、半年分の生活費のようです。(p.197より)
基本的には明日死んでもいいように生きるけど、死ななかったときのためにもしっかり蓄えておきたいところ。
私の場合のそれは半世紀分の生活費なので程度の差は大きいものの、人生の長短両面に備えようとする基本スタンスは同じです。
では、将来の不安とどう向き合うか。分かります。
向き合いません。
これは、やるべきこともやらないという意味ではなく、必要以上に心配してもしょうがない、ということです。
不安という感情と真正面から向き合ってしまうと、不安の原因を解消することを際限なく要求されます。そんな要求を全部聞いていたらきりがないんですよね。あらゆる不安を解消することが人生の目的みたいな、奇妙な生き方になってしまいます。
では、まともに向き合わずにどうするのかと言えば、私はこんな風に考えています。
老後不安をどう考えるか
『未来の働き方を考えよう』 ちきりん(著) その1
p.202
寝るも起きるも、遊ぶのも働くのも、全部の決定権が自分にある生活です。同感です。
これほどおもしろいことはありません。
まさに自由そのもの。理想的な状態と言えるでしょう。
たまに、全てが自由だとかえって困惑する、みたいなことを言う人がいるのですが、そういう人は自分にとって不要だと思う決定権を手放すなり他者に委ねるなり、それこそ自由に処分すればいいだけかと。個人が不自由を求めるのもまた自由ですから。
つまり、自由という概念は、自由を求める人々だけでなく、自由を求めない人々にとっても使い道がある最強のカード、オールマイティーです。なので、自分が自由を求めているのかそうではないのか、まだはっきりわかっていない段階でも、とりあえず自由の獲得を目標にライフプランを考えるのは悪くない戦略だと思います。