2014年7月27日

NHKスペシャル シリーズ日本新生 『"超人手不足時代"がやって来る』

7月19日に放送された番組です。

このシリーズを見るのは、「熟年サバイバル~年金減額時代を生きる~」の感想 その1以来になりますが、以前にも増してグダグダ感のある内容でした。些末な論点について、あーでもないこーでもないと言い合っているだけだったような。

前回はオアシスのようだった宇野常寛さんやデーブ・スペクターさんの発言も、今回は今ひとつ切れがなかったように感じました。

最初の数分で紹介された人手不足の事例が介護業界だった時点で早くも失望感が…。そんなの労働人口減少とは関係ない社会主義的産業構造の弊害じゃないですか。医療、介護、保育。すべて莫大な公費が注入され、政府に価格統制され、市場メカニズムが破壊された産業で、需給のバランスが釣り合うわけがありません。政府が経済に介入するとろくなことがないのです。

ところで、そもそも"超人手不足時代" なんて本当に来るの? という疑問もあります。
こんな記事を読んでしまうと特にそう思います。
ラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンがGoogleを語る―ヘルス分野は規制が重荷、手を広げすぎた方が実は効率的 - TechCrunch

NHKの番組紹介ページには、2040年に日本の生産年齢人口が800万人足りなくなるとか書いてますが、四半世紀も未来の話です。その頃にはグーグルの自動運転車が道路を走り回っていると思うんですけど…。ロボットやコンピューターに置き換え不能な分野は、今よりずっと少なくなっているのでは?

800万人の生産年齢人口不足なんて、労働生産性が13%上がるだけで解消する程度の数字です。1年あたりわずか0.5%です。グーグルやアマゾンのような素晴らしい企業の力を借りれば、難なく達成可能でしょう。

人々が文化的な生活を送るために必要な労働資源は実はごく少ない。必要を満たすために全員が猛烈に働かなければならないというのは思い込みにすぎない。
その通りだと思います。
小飼弾さんも同じようなことを書いてましたね。(『 働かざるもの、飢えるべからず。』 小飼 弾 (著):「どう考えても、日本では半分ぐらいの人は怠けていてもらわないと、職の数というのが足りません。皆が一生懸命というのは、それはそれでけっこうやばいことなんです。」)

もちろんそこには社会的な問題―多くの人々はすることがないと満足できないという問題がある。そのために不必要な活動が膨大に行われ、地球環境が破壊されている。
必要ないのに働くのは満足のため、という捉え方がアメリカらしいですね。日本の場合は、「働かざるもの食うべからず」という旧来の固定観念に縛られているのだと思います。関連記事:
先日の記事 で、「働かざるもの食うべからず」という思想の弊害について触れましたが、同じようなことが書かれたブログを見つけました。 円高のいま、すべきこと。/日本を滅ぼす「働かざる者食うべからず」という強迫観念 - デマこいてんじゃねえ! より: 現在のように介入に失敗して円高ドル...
yumin4.blogspot.jp


このシリーズは「日本新生」という名前が付いているわりに、今まで見た2本は討論している内容が全然「新生」って感じがしなくて、いつまでたっても変わらない日本社会の閉塞感をたっぷりと味わえる仕上がりになっています。

2014年7月21日

『金持ちになる方法はあるけれど、金持ちになって君はどうするの?』 堀江貴文 (著)



本書はタイトルの「金持ちになって君はどうするの?」の部分に惹かれて予約したような記憶があります。

しかし残念ながら本書のメインは「金持ちになる方法」の方で、メルマガ読者からの多数の質問に手短に答える形式で、様々なビジネスのアイデアを紹介する内容でした。正直、ビジネスには全く興味がないのでそこは斜め読みして、各章の間に登場するゲスト解説者による「思考の補助線」というコラムと、本人によるあとがきだけつまみ食いしました。

夏野剛さん曰く:
 劇作家の寺山修司はかつて“若者よ、書を捨てよ町に出よう”と言いました。
 いまは違います。“若者よ、引きこもってググれ”です。
 家にこもってググった方が、よっぽど新しい情報が入ってくるし、精力的に発信もできます。書は捨ててOK。街に出るのも無意味。あんな古くてデータ量の少ないアーカイブを頼りにしても、これからは役に立ちません。
 引きこもってググれば、もう無限の世界、無限の情報にアクセスできるのです。
とても共感できる言葉です。
知識を獲得するのにインターネットほど効率的なものは他にありませんね。何かを知ることに興味がある人が引きこもりがちになるのは当然のことで、町に出ないとダメというのは実に古臭い考え方だと思います。

 また、この言葉も大切にしてください。“先輩の言うことは聞くな”。
 ネット社会の急成長によって、この10年でルールもモラルも変わってしまいました。10年前の常識を元に話している先輩の意見は、参考になるどころか邪魔なものでしかないことも十分にあり得るのです。
これも同意。
逆に言えば、10歳以上年上の人が言ってることに一切古臭さを感じないようなら、自分自身が時代の変化についていけてない可能性を疑ったほうがいいかもしれません。それぐらい、インターネットの浸透によっで変わった部分は大きく、その変化をどれだけ自覚しているかも世代によって大きな格差があるように思います。

船曳建夫さん曰く:
堀江君の特性は、徹底した合理主義。理性こそが神。理屈で考えて、理屈に合わないものには、一切屈しない。あの首尾一貫というか、ブレなさは大したものですね。
わかります。
仕事観や人生観にほとんど共通点がないのに彼に親近感を覚えるのは、この特性が一致しているからだと思います。

合理的に生きるのは、勇気が要ります。つまり好きなことだけして生きるということだから、周りのやっかみや嫉妬を受けやすくなる。それが怖いから、若い人の大半は合理を捨てて、いろんな理不尽を耐えているんでしょう。
合理主義を徹底するためには勇気もよりも何よりも、一番必要なものは理性だと思います。
放っておいたらいくらでも直感的、非合理的に振る舞う癖がある人間の脳を、どれだけ理性でコントロールできるかが重要です。東大生と違って、世の中の多くの人間はそういう癖があることさえ知らないまま一生を終えているのではないでしょうか。

 僕はいつも講義で学生に言っています。「自分が生きてきた20歳からの40年と、君たちのこれからの40年。絶対に君たちの40年の方がいいんだよ」と。
(中略)
40年どころか100年生きても遊びきれないほどの娯楽が、いまの若者たちは、これからいくらでも体験できるんです。ワクワクすることばかりじゃないですか。
同感です。
ワクワクすると同時に、このような恵まれた時代を生きていると、人生の残り時間が豊富な若者でさえも人生が短すぎることを自覚するのではないですか。ましてや、40歳を過ぎて人生を折り返した人間ならば当然のことでしょう。

2014年7月17日

「ザ・ノンフィクション お金がなくても楽しく暮らす方法」

関東ローカルの番組のようですが、あのphaさんが登場すると聞いてネットで見てみました。

印象に残ったのが32分50秒付近からのやりとり。
Q. 働きたくない若者ばかりだと日本はダメになるんじゃないだろうか?

A. まあ何とかなるんじゃないですか。
ダメになっていくかもしれないけど、別にダメになっていいんじゃないですかね、みんながそう選択した結果なら。
別に、国を支えるために国民がいるわけじゃないし、人間がどう生きたいかに合わせて国の形があるべきだと思うし。

ナレーション: 皆さん、どう思われます?
どう思うもなにも、phaさんの言う通りです。
この質問をさせた人に逆に質問したいのは、もしかして国をダメにしないために個人の幸福を犠牲にすることが正しい生き方だと思ってるんですか?
それは倒錯も甚だしい考え方だと思います。

小飼弾さんも次のように述べています。
404 Blog Not Found:紹介 - 発売開始 - 働かざるもの、飢えるべからず。
本書で扱う命題は、ただ一つです。それは、
社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。
ということです。


ガメさんのブログにもこんなタイムリーな記述がありました。
3つの断片 | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日
日本人なんてものはあの国には存在しないのさ、とまで述べたことがある。
だって、どこにも個人の生活なんて見あたらない。
日本人は個人として存在しない人間の総称なのさ。
みんな他人の目のなかで思考していて、個人が個人であるより社会の部品であるような奇妙な国なんだ、という、つまりは日本を訪問したぼくの友達がほぼ共通に持つ「日本人の印象」を分け持っている。
まさにこの日本人特有の潜在意識こそ、この番組全体にうっすらと漂うお節介臭の根源のような気がしますね。

番組の最初の方は価値中立的に「こんな生き方もあるよ」的な伝え方だったはずですが、だんだん番組制作者の本音が出てきたというか、ずっとこのままでいいわけないだろう的な、働かない怠け者を何とかして「更生」させたいというお節介な意図が見え隠れしていたように感じました。
特に露骨だったのが、上記のphaさんの素晴らしい回答の直後に出たまさかの質問。
Q. でもphaさん、働かないとモテないでしょう?

こんな不躾な質問にも真面目に答えるphaさん。
A. べつに、働いてたらモテるって感じもしない。
というか、働き始めたら急に寄ってくるような人間は、性別関係なしにロクな人間じゃないと思いますよ。お金の匂いによほど敏感なのでしょう。

mushoku2006さんのブログより。
お金がなくても楽しく暮らす方法 : 年間生活費100万円! 36歳からのドケチリタイア日記
これまた他の方々が既に言われていることですけど、
phaさんは、脳みそ的にも肉体的にも、十分に勤勉だと思いました。
この点についての私の印象は少し異なります。
やはり彼は怠惰な人に見えます。もちろんこれは最高の褒め言葉です。
彼がやっていること、たとえばアマゾンの欲しい物リストをこまめにメンテしたり、熊野で自発的に集まった人たちの労働力を利用して古民家を改装したりするのは、常に「自分ができるだけ働かない」という目的を上手く達成するための手段だと思います。
できるだけ怠惰に過ごしつつ、彼なりの幸福を実現するための最適解を常に探し続けていて、その一点に集中して頭を使うことだけは非常に勤勉なのがphaさんの行動様式の特長ではないかと。

あのビル・ゲイツもこんなことを言っています。
Choose a Lazy Person To Do a Hard Job Because That Person Will Find an Easy Way To Do It | Quote Investigator
怠け者に難しい仕事をさせると簡単な方法を見つけてくれるって、まさにphaさんのことじゃないですか。

単に普通の企業で普通に勤労をしていないというだけ、
形態が一般と異なるだけ。
普通の企業と雇用契約を結んで労務提供義務を負うということと、何の義務も負わずに気が向いた時だけ何かをやるということの間には、一見同じような作業に見えても質的には非常に大きな違いがあると思います。私も前者の労働は無理ですが、後者ならば無理じゃないですね。嫌になったらいつ休んでもいいわけですし。

2014年7月16日

金持ちにたかる醜悪な人たち

cubさんのブログ
シックスサマナで広がるHENTAIのWA!! cubの日記 コツコツ投資で2千万貯めました
がきっかけでウォッチしているブログ「タイでOL」に、こんな記事がありました。

タイでOL タイ人と結婚より:
タイ人はお金持ちと結婚しろと口を酸っぱくして言っています。
なぜならば、親戚の中で金持ちがいればたかれますから。
困った時に金を無心しやすいです。
彼らの中では、金持ちからもらうことは当然と考えてます。
だから、悪びれたりせず、金を借ります。
金を返せと請求すれば、貸した人間を悪く言います。
俺より金持ちなんだから多少の金でけちけちするなということです。
これがタイ人です。
インドなんかでは赤の他人の観光客まで集られるらしい(関連記事:『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』 ちきりん (著)  その2)ので、親戚に集るだけならまだマシなのかもしれませんけど、自らの金銭欲を「金持ちに集る」ことで満たそうとするタイ人のメンタリティは非常に醜悪に映ります。こういうのをカルチャーショックと言うのでしょうか。もし日本の金持ちがタイに移住するなら、日本にいるとき以上に金持ちであることをひた隠しにする必要がありそうです。

翻って日本人はどうなんだろうと、ふと考えました。タイ人を卑下できるほど立派なメンタリティの持ち主ばかりなのかなと。

2年以上前になりますがこんな記事があったことを思い出します。
「小さな政府」を語ろう : 当たり前の話 金持ちこそが我々を豊かにする
この前、駅前の寿司屋で寿司を食っていたら、後ろから話し声が聞こえてきた。
「野田の増税どう思うよ?」
「やっぱっさあ、金持ちが税金をたくさん払うべきだと思うんだよ」
「それは当たり前さ。でも、このタイミングはよくないよな。」
。。。。僕は唖然とした。
まあ、それなりの身なりの人間である。平然と金持ちから税金を取るのは当たり前と言ってのけ、みなが同意したのだ。
本当にそれって正しいのだろうか?
うん、私も唖然としますねこの会話。でも残念ながら彼らのような人たちが日本人の多数派を占めているのは間違いないでしょう。

金持ちに多くの税金を払わせることを当然だと思っている日本人。
金持ちからお金を貰うことを当然だと思っているタイ人。

税金という公的な仕組みを介するのか介さないのか(間接的か直接的か)という違いがあるだけで、金持ちから貧乏人への所得移転自体を当然視している点では、本質的な違いは無いようにも思えてくるのですよ。

もしかすると、相対的貧乏人でありさえすれば、赤の他人を含む相対的金持ちから(国家権力という強制装置を利用して)収奪してもよいと考えている多くの日本人よりも、あくまでも強制ではなく任意の施しを親戚の金持ちに求めるだけのタイ人の方が、よほどマシな人々なのかもしれないぞ…。

とまあ、そんなことをゆらゆらと考えた平日の午後。