人生の有限感 - Chikirinの日記で紹介されていたのがきっかけで読んでみた本です。
堀江氏は小学1年生のときに「死の恐怖」をはっきりと自覚し、恐怖のあまり時折発作に見舞われたと言うのです。私がそれを意識し始めたのは既に人生を数十年も過ごした後でしたから、そんな若さで!と驚くと同時に、やはり只者ではない人というのは、幼少の頃から既に一風変わったところがあるものだなと思いました。
死に怯えないためには、常に忙しくして、考えなければいい。これまた驚きの対処法です。
そうまでして逃れたいほどの強い恐怖って、凡人の私にはちょっと想像できません。
私は、楽とは思考が停止した状態であって、つまらないと思う。退屈なだけだ。それに、退屈な時間は「死」と向き合ってしまうので嫌である。世の中には、何も考えないでボーッとした時間を持てる人もいるようだが、私にはできない。ぼんやりすると、死を頭の中に招き入れてしまうからだ。私は逆に忙しいほうが嫌な人なので、このような感覚には共感できませんが、彼のこれまでの生き様を見ていると、なるほど辻褄が合うなと思いました。
保釈後、人々を刺激するような発言をすることをやめようか、とも少し考えた。しかし、やはり考えてみて、「私はそういう刺激的なことを言わなければならない役割なのではないか」と思う。素晴らしい決意だと思います。素直に拍手を送りたいですね。
ところで、マスメディアが刷り込みたい彼のイメージと、本人の著書やネット上のメディアの情報から構成できる彼の人物像との間には、けっこう乖離があるように見えます。これを利用して、「ホリエモンのことをどう思うか?」という質問にどう答えるかによって、その人のメディア・リテラシーのレベルをある程度見分けられる、リトマス試験紙として最適な人ではないかと思っています。
今でも私は、最低でも8時間は寝たいと思っている。そうですね、私も基本的に毎日8時間寝ています。
7時間までなら何とか減らせますが、それ以上減らすのはちょっと無理ですね。現役時代どんなに忙しいときでも、睡眠時間を削るという発想はありませんでした。
日本人は「行列マニア」である。並んでいる間、貴重な時間というものを浪費しているのに、それを浪費と思わない。でも、私は絶対に行列になど並びたくない。同感です。
人と同じことをするのは、一番損をすることなのだ。人と違うことをするからこそ、超過利潤が生まれるのであって、同じことをしていたら一番高いものを買わされるだけである。
忙しい堀江氏と違って暇人の私でさえ、人と同じことをしたばっかりに時間や自由を失うのは非常に不快です。もうこれは経済的な損得の問題ではなく、持って生まれた感性の違いなのかもしれません。
私は「小さな政府」であるべきだと思うし、いっそのこと政府などなくなってもいいのではないかとすら思う。官はものすごくコンパクトにすべきである。という主張に基づいてベーシックインカムの導入を提唱しています。賛成です。
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少し前に ホリエモンのブログに面白い記事 がありました。 農業革命で人々は飢えることからある程度開放された。 産業革命で人々は労働時間からある程度開放され、余暇の時間を持つことができるようになった。 実は、多くの人はもう働かなくてもよくなった状態にあるのかもしれない。 でも働かな...
すでに、今は働くのが尊いという時代ではない。必ずしも働くことが尊いと言わずとも、生きていける時代になったのだから、無理に働くことは惰性でしかない。その通りですね。
無理に働いて自分の時間を失うだけなら個人の勝手ですが、社会全体の富を食いつぶす負の労働をしている場合もあります。(関連記事: 『社会保障の「不都合な真実」』 鈴木 亘 (著))
なぜ人々が無理にでも働くかというと、今の社会制度が「働かざるもの食うべからず」という前時代的な思想に基づいて設計されているからです。負の労働をする人に罰を与え、何もしないでいる人にインセンティブを与えるように、制度の設計を根本的に変えていく必要があると思います。