人間には寿命があるのですが、その寿命がいつ尽きるのかは誰にも分からないのが問題なのでしょう。「寿命がいつ尽きるのかは誰にも分からない」について。
自分はいつ死ぬか分からない。
しかし、資産は確実に減っていく。
寿命が尽きる前に資産が尽きてしまったら、その時点で生きていけなくなる。
「わからない」の程度にも、皆目見当がつかないものから平均値や確率分布はわかっているものまで色々あって、人間の寿命については後者です。50年後の人口分布がかなり正確に予測できるのはこの性質によるものでしょう。たとえば未来の株式指数の確率分布は分散が大きいので、30年後ですら正確に予測することは困難です。そういう種類のわからなさと比較すれば、「寿命がいつ尽きるのかは、大体の範囲と確率はわかっている」とも言えます。
「寿命が尽きる前に資産が尽きてしまったら、その時点で生きていけなくなる」について。
そうとは限りません。現在資産がない老人も普通に(年金で)生きています。将来は資産がなければ生きていけない世の中になっているというのは一つの悲観的な未来予想図だと思いますが、当たる保証はありません。
もう一つ、「資産が尽きる」という事象は、ある日気付いたら突然訪れるというものではありません。そうなる以前に、あとX年で資産が尽きそうだという状態を必ず経由します。そのX年と自分の余命を比較して、何らかの手を打つ猶予があるということです。その間にBライフや外こもりなど、知恵を使って生活コストを抑え、資産が尽きるのを遅らせる余地は残っていると思います。
タイムリーなことに、老後不安について次のような記事を見かけました。
「老後不安」と資産運用|山崎元のマルチスコープ|ダイヤモンド・オンライン
特に、老後不安については、定年退職までに十分な資産がないと「老後難民」になる、などと脅かされると、心配がどんどん膨らんで来る。普通の人には過剰な想像力があるので、不安がゼロになることはほとんどない。そうですね。
不安があるからといってそれを消す方向に向かって努力するのではなく、不安が消えない事実を受け入れ、うまく付き合っていく方が、限られた人生の時間を無駄にせずに済むと思います。
稼ぎがゼロの前提で、老後の生活を現役時代と同様の水準で確保するためには、年金をあてにしないとすると、今後の運用益を考えても少なくとも年間支出額の20年分くらいの蓄えが必要だろうが、これは通常の人の現役時代の運用額では、よほどの高利回りがないと無理だ。60歳の時点で20年分の生活費を残すことは、早期リタイア志向の人にとってはごく控えめな目標に過ぎません。それを無理と言ってしまうということは、山崎氏の生活レベルが相当高いのでしょうね。
たとえばリタイア後から25年生きるとして(65歳でリタイアなら90歳まで)300ヵ月となるが、自分の純資産額を300で割り算してみよう。ちなみに、95歳まで考える人は360で、100歳まで考える人は420で割り算するといい(筆者は360で考えている)。早期リタイアの場合も基本的な考え方は同じです。分母が300や360ではなくもっと大きい数字になるという違いがあるだけで、想定する余命が長いからといって資産を取り崩すことを忌避する理由はありません。
こうして求められた金額が、リタイア後に毎月取り崩していい金額だ。
生活レベルが変わることはあるとしても、「暮らせない」という心配は案外小さいのではないか。「老後」を事前に怖がりすぎるのは考えものだと思う。同感です。
今の生活レベルが既に最低限でこれ以上下げることができないという感覚は単なる思い込みに過ぎず、使えるお金が少ないなら少ないなりに、何とかする知恵や手段はあるだろうと思います。今から老後の心配ばかりしていては、まだ老後でない今の人生を楽しく暮らせないのではないでしょうか。
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