たとえばこんなふうに批判する文脈で使われます。
こういうのが残念なんよね。
— タピオカン😁パンケーキ食べたい。 (@tapitapigood) May 5, 2020
コロナ後で食べに行こうと思ったら店がない。
コロナ脳、よくもよくも。
私もコロナ脳ではないので気持ちは分かるのですが、世の中がこんなことになってしまった原因は本当に「コロナ脳」なんでしょうか。
ある人がコロナ脳を患っているとして、その人自身がウイルス感染を恐れる余り自宅に引きこもっているだけなら、何も責められるようなことはしていませんよね。それは完全に個人の自由です。
逆もまた然り。ウイルスのリスクを過小評価している人自身が外出、移動しまくったり、通常通りレストランを営業したりすることも、完全に個人の自由です。
今回はその個人の自由であるはずの領域にズカズカと公権力が介入してきて、緊急事態宣言という規制によって後者の自由だけを奪いました。飲食店がバタバタと潰れたりしているのは、ウイルスそのものによる被害よりも、規制が原因で発生した人災成分の方が多いと思います。
コロナ脳を批判する人が、「そんなに怖がる事自体が間違っている。なぜならこういうデータがあるから」みたいな切り口で論じているのをよく見かけますけど、その論点、なんかズレてません? リスクや便益の評価は人それぞれ主観的に決まるものであって、万人に共通する客観的な基準なんて有るはずがないのですから。
本当の問題は、コロナ脳な人の多くが同時に「規制脳」も患っていて、他人の行動を勝手に自分の基準でジャッジして、公権力による規制を正当化しようとしている点に尽きるのではないでしょうか。この規制脳の問題を放置したまま何を論じたところで、価値観の違う人間同士の不毛な論争が永遠に繰り返されるだけでしょう。
他人の考え方や行動が自分とは異なることが問題なのではなくて、民主的に何が「正しい」かを決めて全員にそれを強制する事が問題なのかもしれないと、この機会に少しでも多くの人に気付いてほしいと思います。
参考ツイート:
政府も警察もできないといっている私権の制限。われわれ市民は先人の知恵によって、ずいぶん守られているものだ。それなのに、コロナ感染の恐怖から正義に思える私権の制限を、市民みずからが合唱する。自粛を守らないやつらの私権を奪え。でも私たちもいつ向こうの私権を奪われる側に回るかわからない
— うえしん (@ueshinzz) April 29, 2020
民主主義は決して権力を国民の数で分割していない。多数決に影響を与えないような真の少数派はまったく権力をもたない。つまり、多数による暴力の肯定が民主主義。
— ユキノシバリ (@yukinoshibari) January 24, 2020
自由主義社会におけるシェアとは、単により多くの消費者に選ばれていることしか意味しない。自由主義は暴力を否定するだけ。 https://t.co/dQza7Sb7nD
参考記事:
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うえしんさんのツイートより。 独身イメージが商品なのはわかる。だけど個人の幸福や人権に抵触して奴隷になる歪みの元だな。これこそ法で抑止すべきでは。 武井咲 違約金は10億? 所属事務所はお詫び行脚(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース https://t.co/TO...
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