2020年5月10日

問題は「コロナ脳」ではなく「規制脳」

最近はツイッター界隈で「コロナ脳」という言葉を目にすることが増えてきました。新型コロナウイルスの感染リスクを過剰に恐れる人の考え方や行動を揶揄する言葉です。

たとえばこんなふうに批判する文脈で使われます。

私もコロナ脳ではないので気持ちは分かるのですが、世の中がこんなことになってしまった原因は本当に「コロナ脳」なんでしょうか。

ある人がコロナ脳を患っているとして、その人自身がウイルス感染を恐れる余り自宅に引きこもっているだけなら、何も責められるようなことはしていませんよね。それは完全に個人の自由です。

逆もまた然り。ウイルスのリスクを過小評価している人自身が外出、移動しまくったり、通常通りレストランを営業したりすることも、完全に個人の自由です。

今回はその個人の自由であるはずの領域にズカズカと公権力が介入してきて、緊急事態宣言という規制によって後者の自由だけを奪いました。飲食店がバタバタと潰れたりしているのは、ウイルスそのものによる被害よりも、規制が原因で発生した人災成分の方が多いと思います。

コロナ脳を批判する人が、「そんなに怖がる事自体が間違っている。なぜならこういうデータがあるから」みたいな切り口で論じているのをよく見かけますけど、その論点、なんかズレてません? リスクや便益の評価は人それぞれ主観的に決まるものであって、万人に共通する客観的な基準なんて有るはずがないのですから。

本当の問題は、コロナ脳な人の多くが同時に「規制脳」も患っていて、他人の行動を勝手に自分の基準でジャッジして、公権力による規制を正当化しようとしている点に尽きるのではないでしょうか。この規制脳の問題を放置したまま何を論じたところで、価値観の違う人間同士の不毛な論争が永遠に繰り返されるだけでしょう。

他人の考え方や行動が自分とは異なることが問題なのではなくて、民主的に何が「正しい」かを決めて全員にそれを強制する事が問題なのかもしれないと、この機会に少しでも多くの人に気付いてほしいと思います。

参考ツイート:

参考記事:
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