20代の若者向けのタイトルですが、40代の私にも十分共感できる内容でした。
人生はルールのない旅。
安心感が欲しくて、あえて重い荷物を持つのか。
自由を感じたくて、荷物を減らしていくのか。
人によって楽しみ方はそれぞれだと思う。
僕は減らす方を選んだ。それも長い時間をかけて。
旅好きな人ならよくわかると思いますが、旅と人生は本当によく似ています。
旅に出るとき、旅の道中や旅先で困らないようにと色んな物を準備すればするほど、荷物がどんどん多く、重くなっていきます。単純な話、荷物が重いと移動が大変です。
旅も人生も、不便や不安が多少増えたとしても、できるだけ身軽な方がいいと私も思います。
ぼくが今自分にとって
心から満足のいくライフスタイルを送ることができているのは、
とにかくモノをストイックに捨て、
身の回りを徹底的にミニマムにしたこと。
若い人でまだ持っている物が少ない人は、まずは余計な物を買わないことが一番大事だと思いますが、歳と共に物を増やしてきた人は、余計な物を捨てることも重要ですね。
それを墓場まで持っていきたいかどうかを自問自答しながら。
この基準で考えると、ほとんどの物が要らないことになりそうですが…。
あまりストイックになりすぎず、もう少し緩めの基準でもいいかなと。
”ストック”という概念を捨てる。
使いたいその瞬間に、手元に無い。
そう言うと不便な暮らし方に思えるかもしれない。
たしかに買い置きをやめれば、使いたいときにその都度手に入れないといけないし、安いときにまとめ買いしておかないと高くつくという考え方もあるだろう。
ええ、必要に迫られてから慌てて買いに走るというのは、消費者としてかなり間抜けな行動に見えます。やはり生活必需品などは、最低限のストックが必要だと思いますね。
”生活レベルの向上”という発想を捨てる。
社会人になって、好きに使えるお金が増えると、多くの人が生活レベルを上げてしまう。
(中略)
お金から自由になるために、”ミニマム・ライフコスト”という発想を持とう。
一年間生活する上で、最低限必要なランニングコストはいくらか。
(中略)
勝負の時は、いつ目の前にやってくるかわからない。
そのときのために、どれだけ”ミニマム・ライフコスト”を下げられるかが重要だ。
「どうなっても、生きていける」ことを確信した瞬間、人はお金から自由になれる。
概ね同意します。
かけたコストに比例して生活レベルが自動的に上がり、誰でも幸福になれた時代はもう終わったのではないでしょうか。
だとすれば、先日の
金子さんの本にも出てきたように「ランニングコスト」を低く保つほうが幸福への近道かもしれません。「勝負の時」に備えるとか備えないとかは関係なく。
一つ付け加えるならば、生活レベル≠生活コストなので、生活コストを低く抑えたまま、生活レベルを上げることも可能で、そのために知恵を絞るのも面白いと思います。
朝の生産性が高いのは、人類が狩猟生活をしていた頃からの変わらぬ事実だ。
異議あり。
会社員時代から朝は苦手で、午後にならないと生産性が上がらないタイプの人も大勢いました。
正午になったからランチ、夜7時になったから晩飯、ではなく本来は「減ったから食べる」が正しい。
同感です。
現代人は食べ過ぎによって健康を害しているという見方には首肯せざるを得ません。
荷物は軽い方がいい。これは絶対だ。
「持っている安心」よりも、「ほとんど手ぶら」で味わう自由さを。
ここは人生ではなく、旅や山歩きの場合の話ですけど、同意します。荷物の重さ次第で疲れ方が全然違います。
会社をやめたいと思ったら、まず余計な付き合いや買い物をすべてやめよう。
生活レベルを下げて、どこまでミニマムライフコストを下げられるかを実験しよう。
15年間仕事をがんばって、それなりに給料も上がった。
けれど、生活水準はまったく変えなかった。
まわりにはピカピカの高級車にのっていた人もいたけど、ぼくは一台のボロボロのワンボックスカーに雨漏りするまで13年間乗り続けた。
(中略)
なぜか。
「ニュージーランドの湖畔で暮らしたいから」
著者は仕事をリタイアすることが目標ではなく、現在も自由なスタイルの仕事をバリバリやっている方のようですけど、目標達成までの道筋は早期リタイア志向の場合ととても良く似ていて、参考になるところが多いと感じました。