2018年6月30日

公共の概念を拡張して営業の自由に干渉してはいけない

tak-tak-worldより。
「暑ちーなぁ、雨降らないかなぁ」と思っていたらホントに雨が降ってきた。 でも余計に蒸し暑くなったし。(;_;) 「エアコンいれようか、でも電気代も気になるしなぁ、どうしようかなぁ」と...
tak-tak-world.txt-nifty.com
ところで、サンダース報道官が予約していたレストランを閉め出された件、です。

知人十人ほどと訪れた際に、
「トランプ氏の政策は、移民・人種・LGBTなどを分断する政策なので、お引き取り願い」というオーナーの言葉に従い、敬意ももって退店したというニュース。(このお店にはLGBTの従業員もいたらしい))

これスゴイと思いません?

・・・サービス業であるレストランオーナーが特定のグループを廃除しようとした部分ではありません!!! これを報道官が公式の記者会見で述べたという所ですっ!
へ~、海の向こうではそんなことがあったのですね。知りませんでした。

元ネタはこちら。
サンダース米大統領報道官が22日夜、首都ワシントン近郊の小さなレストランに入った際、トランプ大統領の分断をあおるような姿勢に反対する経営者から店を出るよう求めら…
www.sankei.com


私人が誰と取引するかは本人の自由ですから、「あんたらの政策が気に入らないので入店お断り!」も当然アリですよね。サンダース報道官が「敬意をもって退店した」のは、私人の営業の自由を尊重する素晴らしい態度じゃないのかなと、産経の記事を読んだ時点では感じたのですが…。

米ホワイトハウスのサンダース報道官は25日の記者会見で、トランプ大統領の下で働いていることを理由にレストランから退店を求められた22日の出来事に触れ、より節度を持つよう促した。
jp.reuters.com
サンダース報道官は、「考え方や政治信条に関する健全な議論は重要だが、ハラスメントを呼びかけたり、トランプ大統領の支持者を公の場から締め出すような行為は容認できない」と述べた。
こんな発言も飛び出してるので、やっぱりアウトですね。政府関係者の良識に少しでも期待した私が間違いでした。

「公共であるレストランが、公共の場で拒んだ」とそれも世界中がみている公共の場で報道する姿勢。
そのとおりですね。
本来は私人の自由であるはずの領域を、無理やり「公共」の中に入れて干渉しようとする姿勢は最悪だと思います。

でもその手の干渉って、もともと日本政府の十八番だったような…。日本がアメリカに合わせていると言うより、アメリカ政府が日本政府の真似をし始めて劣化しているだけに見えます。

参考ツイート:

関連記事:
千葉市長熊谷俊人氏のツイートより。 詳しくは追っていませんが、コンビニにエロ本を裸のまま陳列するなという千葉市の「提案」についての発言のようです。 民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認しても、...
yumin4.blogspot.com
きっかけは柴田英里さんのこのツイートだと思うのですが、 (承前)人間には差別をする自由もあるでしょうが、それは当然に批判されるものです。ですが、いくら批判されるものであっても、その表現そのものを取り締まることは、「思想信条の自由」「表現の自由」などの侵害です。私は、それらの自由を...
yumin4.blogspot.com

2018年6月25日

株式投資を辞めるリスク

正吉さんのブログより。
正確に書くと、キャピタルゲイン狙いの個別株株式投資をやめることにしました。(この株はきっと騰がるだろう)と期待して個別株を買い、予想通り騰がったらその株を売って利益を得る。下がったら損切りをする。(この株はきっと下がるだ
www.iwannabefree.info
単純明快なバイ&ホールドを実践している投資家の視点からは、正吉さんが今までやっていたのは投資と言うより「トレーディング」ではないだろうか、という疑問を持ちました。

トレーディングは期待リターンの面でも、使われる時間や労力の面でも割に合わないものですから、ひとまず卒業されたのは良かったんじゃないかと思います。

過度な心配をしなくても運用を続けられるような、リスクとリターンのバランスをうまく取れるような運用をしていかなくちゃ、と考えています。(それが難しいんですけどね・・)
そうですね。自分にとって「過度な心配」になるようなリスクってどの程度なのか? を知ることが最初は難しいのだと思います。「~ショック」的なものを何度か経験するうちに、だんだんわかってくるのですが。

自分のリスク許容度さえわかってしまえば、リスク資産への適正な配分割合が決まるので、あとはそれに従って淡々と持ち続けるだけなので簡単ですね。

(生きていくには「お金」が必要だけれど、その「お金」ってそんなに全面的に信用できるものだろうか?)という気持ちも大きくなってきました。
(中略)
「お金」は好きだし、「お金」は大事だと思っているけれど、「通貨」(円とかドルとか)に依存し過ぎるのは危険かなぁと思い始めています。
円やドルのような法定通貨が全面的に信用できないからこそ、それに依存し過ぎないように世界中の株式にも分散して資産を持っておこうという発想になるわけですけどね。通貨と株式は「お金」で一括りにしてしまうには余りにも性質が違うものだと思います。

ここ数年の順風相場では株式投資の「お金を増やす」面ばかりが目立ちますが、通貨危機や慢性的なインフレに対しては「お金(購買力)を守る」面があることにも、もう少し注目されていいような気がします。

株式投資をやめて資産を日本円一本で持っておくことは、一種の集中投資になります。リスク許容度の低い人にとっては心の平穏をもたらす反面、有事の際には資産が大きく毀損するリスクを抱えることにもなると思います。

2018年6月20日

暗号通貨が普及する条件

大石さんのブログより。
暗号通貨の普及には国家のお墨付きが大切だというツイートを見かけました。 これに限らず、暗号通貨が普及するた
doublehash.me
暗号通貨の普及には国家のお墨付きが大切だというツイートを見かけました。

これに限らず、暗号通貨が普及するためには、

国が発行した公式の暗号通貨のほうがよい
銀行などが発行した暗号通貨のほうがよい
大企業などがリードする暗号通貨のほうがよい
という意見が少なからずみうけられます。というより最近では優勢になってきているようにすら感じます。
「普及」とは「広く一般に行き渡ること」なので、普及の条件として多数派に支持されるであろう「お墨付きのある暗号通貨」を推す声が出てくるのは当然かもしれませんね。

そういう暗号通貨が普及してもべつに構わないと私は思っています。もちろん、他の暗号通貨が規制で潰されたりせず、人々が自由に選択した結果そうなった場合の話です。普及しなかった暗号通貨も消えてなくなるわけではなく、自由な市場さえあればいつでも乗り換えることができますから。

暗号通貨にどっぷりハマった人は、国家や銀行・大企業こそ信用ならない人々と思っており、彼らの呪縛から離れてホントに自由な経済を作りたいから、暗号通貨を始めたわけです。
分かります。
どっぷりハマるどころか片足さえ突っ込んでいない私でも、この理念には共感しかありません。そういう皆さんをいつも応援しています。

ふたつ目の背景のほうが、厄介で、これには本当に疲弊しています。それは、値段があがれば株だろうが土地だろうが何でも構わななく、単に値上がりが見込めそうだから暗号通貨を買っている短期投資家の参入です。
(中略)
こうした投資家層と、暗号通貨の非中央集権性や、検閲耐性やプライバシーを重視する層は、水と油です。どうやっても議論が噛みあう余地を見いだせません。

国家や銀行、大企業マーケティングを否定すればするほど、そういうのを重視して値上がりを演出するコインの邪魔をしてしまい、それらに投資している短期筋と衝突してしまうからです。
自由な市場にはいろんな考えの人がいますが、お互いに関わることなく共存できます。水と油なら無理に混ぜようとせず、分離したままにしておけばいいのではないでしょうか。

議論が噛み合わないとか、衝突してしまうとか、大石さんが政治的なプロセスを踏んで白黒つけようとする理由が、この記事を読んだだけではわかりませんでした。

関連記事:
橋下徹氏のツイートより。 仮想通貨や電子マネーの理解には、通貨発行益の理解が不可欠。僕は莫大な通貨発行益が特定私人に属することを望まないので(といよりも癪なので)、中央銀行発行券しか用いない。仮想通貨の発行は偽札の発行と構造は同じ。 — 橋下徹 (@hashimoto_...
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現代ビジネスの記事より。 満員の「仮想通貨セミナー」で明かされたビットコインの光と闇(伊藤 博敏) 仮想通貨のトレンドは急速に右肩上がりだ。9月2日には過去最高値の1ビットコイン54万円を突破した。今年1月に10万円前後だったので5倍強。ビットコイン長者が続出している。 gend...
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2018年6月15日

経済的自由とは

九条さんのブログより。
昨今よく投資の成功者を「億り人」なんて呼びます。総資産が1億を突破した人のことですね。日本では長らく資産1億はお金持ちの仲間入り♪ みたいな雰囲気で語られることが多かったですが、ふと冷静に考えると1億円というのは微妙な金額だと思うわけです。 …
kuzyo.hatenablog.com
ところが、自由な人生を生きるなら富裕層=1億円=「億り人」では足りないというのはあまり知られていません。お金のことを考えずに生きられる人生を、「経済的独立」「Financial Independence」などと呼びますが、1億円の資産ではそれだけでは暮らしていけないのです。
1億円で足りるか足りないかは人それぞれなので、あくまでも自分のケースでは足りないという表現を超えて、このように一般論として書かれてしまうと違和感がありますね。1億円に限らず、X円で足りる足りないの話が出てくるたびにそう思います。

それと、1億円というきりの良い数字に特別な意味を見出し、「億り人」などと呼んで差別化する風潮も不可解です。数字は連続しているので、10進数でたまたま資産額の桁が一つ増えたことが、桁が増えないケースよりも特別な意味を持つことはありません。

この記事で「おや?」と思ったのは、九条さんが考える「経済的自由」の条件です。
1億円に対して、5%の利回りで運用したとしても年間500万円。税金を引かれて400万円です。これでは生活することはできても、「お金のことを考えずに支払う」のは難しい金額です。
なるほど、ただ望みどおりの生活ができるだけでは自由ではなく、「お金のことを考えずに支払う」ことができてこそ経済的自由があるとお考えのようですね。

目標とする経済的自由をどう定義するかも人それぞれで全く構わないのですが、この条件だとずいぶんハードルが高いなと私は感じます。

私は10年前に経済的自由を達成したと自分では思っていますが、お金のことを考えずに支払いをしたことは人生で1回もありません。支払う前に必ず価格を見て、高すぎると思えば諦めます。リタイアした後でも変わりません。

というか私の場合、経済的自由があろうとなかろうと、できるだけ賢い消費者でありたいという願望が強いのだと思います。政治を嫌い市場を好む自由主義者だからです。自由な市場でより良い品質の物やサービスをより安く供給している人を支持したいのです。一種の投票ですね。

それが幸福の条件の一つなので、コスパの悪い買い物を避けようとする癖が治ることはたぶん無いでしょう。こんな私が無理に「お金のことを考えずに支払」おうとしても、ストレスが溜まるだけです。

そんなのは経済的自由ではないと言われると返す言葉が見つかりませんが、べつにそれでいいのです。自分が幸福にならない経済的自由なんて追求しても仕方がありませんから。

参考ツイート:

2018年6月10日

自分を変えるのは楽なのだろうか

ツイッターより。

社会を変えるのは確かに困難(ほぼ不可能)ですが、自分を変えるのが楽かと問われると、決してそんなことはないように思います。特に、今いる環境が自分には合わないのに、自分を変えて環境に合わせることによって生存を図ろうとする場合には、大変な苦労が伴うのではないでしょうか。

一番楽なのは、自分の居場所(環境)を変えることではないかと。実はA1理論さんもマナブさんも、居づらい場所からさっさと抜け出したタイプの人であって、自分自身を変えたわけではないようにお見受けします。

私の場合は、最初は会社という環境にそこそこ適合していたのですが、自分の理想とは正反対の方向へ会社がどんどん変わっていったため、それに合わせて自分を変えることは諦めました。代わりに、早期リタイアすることによって好ましくない環境から抜け出すことを目指したわけです。

一口に「社会」といっても、いろいろあります。会社だって一つの社会だし、国単位の社会もあります。社会は一つではないので、今の社会が自分に合わなければ、より自分に適合する別の社会を探せばいいのです。

いろいろと問題の多い日本社会でさえ、早期リタイアした私のような人間にはそれほど悪くない環境だと思っています。今のところ。ただし、今後は個人資産の収奪が本格化して早期リタイア組の生活が脅かされる可能性はあると思います。もしそうなったらなったで、会社から抜け出したのと同じように、国からも抜け出せばよいと考えています。

参考ツイート:
関連記事:
うえしんさんのブログにこんな記事がありました。 仕事が不満な人はぜひ――『仕事はどれも同じ』 キッツ+トゥッシュ | 考えるための書評集 : けっきょく人間は果てしない不満を抱くものであり、欲望は限りなく、情熱や好奇心はいつか慣れるものであり、ルーティンになる。不満は仕事や職場環...
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2018年6月3日

ブログ開設10周年

旧ブログを開設してから丸10年になりました。我ながらよくこんなに続いたものだと思います。

ここまでの記事総数は、この記事を含めて603。年平均60。月平均5。

このくらいのペースが私には限界かなと思います。
ほぼ毎日更新されているリタイアブロガーの方もいますが、何もしない時間を大量に必要とする私にはとても真似できそうにありません。「リタイアすると時間を持て余す派 vs いやぜんぜん足りない派」の感覚の相違と同じで、時間が流れる体感速度が人によって全く違うのでしょうね。

10年とは言っても、平均余命まで生きるとするとまだ序盤です。30年後に「ブログ開設40周年」という記事を書ける日が来ればいいなとは思いますが、未来のことは誰にもわかりません。仮に「ブログ開設20周年」という記事が書けないまま死んだとしても、悔いが残らないように生きたいと思います。

今後気まぐれで更新が長期間止まることはあっても、年に一度のX周年記事だけは更新を絶やさないつもりです。もしそれさえ途絶えた場合は、死んだ(orよほどの大病を患った)と思ってください。50歳男性の100人に5人は60歳まで生きられないのですから、確率的には決してあり得ないことではありません。

1年前の記事:
当ブログ満9歳の誕生日を迎えました。 40歳で早期リタイアしてから早くも10年が経過し、ついに50代に突入。 最新の生命表 によると、50歳男性が50代のうちに死亡する確率は (96006-91308)/96006=4.9% もあります。 この数字を見ると、老化によっ...
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