2015年12月31日

2015年末の資産残高推移

年に一度の残高集計の時期になりました。
去年の記事はこちら
一年前の記事。 2013年末の資産残高推移 今年の資産残高は+15.4%という結果になりました。 年間支出の方は5%ほど減少。消費税増税や円安インフレで体感的には支出増の一年だったのですが、やや意外な結果となりました。 リタイアした年である2007年からのデータを並べてみましょう...
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asset-graph-2015.png

今年の資産残高はJPYベース(青線)で-1.0%という結果になりました。
赤線はUSD換算した資産残高推移で、今年は-1.9%でした。

年間支出の方は去年より8%も減少。特に節約に励んだつもりは無いので、どうしてこうなったかというと、この記事で触れたように、支出のマイナス入力をするようになったからだと思います。

リタイアした年である2007年からのデータを並べてみましょう。
2007年: +6.8%
2008年: -37.4%
2009年: +17.3%
2010年: -4.7% 年齢+ACR=77
2011年: -13.7% 年齢+ACR=76
2012年: +19.2% 年齢+ACR=89
2013年: +31.5% 年齢+ACR=106
2014年: +15.4% 年齢+ACR=120
2015年: -1.0% 年齢+ACR=126

3年連続で名目資産プラスというボーナスステージが終わり、平常運転に戻りつつある感じですね。それでもまだ、想定していた資産減少率からすると上振れしていることになりますが。

余命の割に資産過多の状態になっていることは明らかです。そろそろ如何にして財布の紐を緩めていくかを考える時期に来ているのかもしれません。

2015年12月24日

1億総クレクレ社会へ向かう日本

東京都議会議員おときた氏の公式サイトにこんな記事がありました。

【メモ】3人目以降の保育無料←1人目から無料にした方がいいんじゃ… | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト
保育士不足の解消策といい、どうにも政府がいま打ってくる手は
すべて的はずれなもののように思えてなりません。
その通りです。
保育士不足の件で言えば、問題の原因は政府の市場介入と規制なのだから、政府がそれをやめれば市場メカニズムによって需給が釣り合うのに、180度逆に政府がさらに「対策」とやらを上塗りして何かを改善したつもりになっているところとか。

バターの「緊急輸入」とまるで同じ構造のマッチポンプですよ。省庁が違っても日本政府のやることはワンパターンでわかりやすいですね。
関連記事:
こんなニュースを見かけました。 農水省 クリスマス前に家庭用バター供給要請 NHKニュース : スーパーの店頭などで家庭用のバターが品薄になっていることから、農林水産省は、28日、乳業メーカーに対して、クリスマスの需要期に向けバターを最大限供給するよう文書で要請しました。 ...
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さて、彼の記事で触れている毎日新聞の元記事を見てみましょう。
<子ども貧困対策>保育無料を拡大…3人目以降一律 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
今回の支援策では、子どもが3人以上いる年収約360万円未満の世帯は兄弟の年齢にかかわらず2人目は半額、3人目以降を無料とする。幼稚園にも同様に適用する。住民税非課税のひとり親家庭は保育料を第1子、第2子ともに無料化する。
なんだ、住民税非課税のひとり親なら1人目から無料って書いてるじゃないですか。
ということは、彼の主張は、その条件を満たさなくても年収360万円未満の世帯なら、ケチくさいこと言わずに1人目から無料にしろということなんでしょう。

おときた氏の記事に戻りますと、
それが財源がないから、という身も蓋もない理由だとすれば、
軽減税率やバラマキ政策を改めて見なおして欲しいと強く思います。
とのことですので、要するに「老年世代へのバラマキではなくて、子育て世代へのバラマキをやれ」という主張にしか見えないのですが…。

年収360円未満の世帯だけが対象だからバラマキではないと?
いや、年金世代向けの臨時福祉給付金だって住民税非課税世帯だけが対象ですけど、それをバラマキだと批判しているのではないのですか?

私に言わせれば両者とも完全にバラマキですよ。なぜか子育て世代へのバラマキなら許されると思っている人が多いようですが、所詮は同じ穴のムジナです。「少子化対策!」と書かれた錦の御旗を振りかざしている分だけ、なにやら社会正義の実現のために戦っているように錯覚しているだけのことで。やっていることは何の変哲もないクレクレ行為でしかありません。

結局、政府が税金を使って福祉を充実しようとすればするほど、こういう不毛なクレクレ合戦になるという典型を見ているように思います。
「そのカネをあいつらではなく俺たちによこせ!」「カネが足りない? 誰かから奪えばいいだろ!」
という風に、誰から奪って誰に与えるべきだという卑しい争いを際限なく続けることになるでしょう。

関連ツイート。


ほんとその通りですね。大多数の国民がたかり根性なので、たかり行為がどんどん正当化、合法化される国になってしまったわけです。民主主義の原理から、そうなるのは必然です。
そして、社会のシステムがたかり行為に最適化されればされるほど、個人の戦略としてもたかられる側ではなくたかる側に回るのが合理的になるという悪循環。これが急に逆回転を始めて、たかり行為が縮小していく日本の姿が全く想像できません、残念ながら。

日本の行く末は、1億総活躍どころか1億総クレクレ社会になるのではないかと危惧しています。

2015年12月19日

「ココマネ」サービス終了で家計簿をどうするか

半年前、家計簿の付け方で取り上げたばかりのオンライン家計簿「ココマネ」が、12月25日でサービス終了となります。

【重要】ココマネ サービス終了のお知らせ|ネット家計簿ココマネ

どうせなら31日まで使わせて欲しかったなあ。年の途中で家計簿切り替えると、年末の集計の手間が増えてしまいます。

類似のオンライン家計簿に乗り換えようかと色々試してはみたものの、どれも今いちしっくりこないんですよね。せっかく乗り換えても、いずれまたサービス終了になったら面倒だということもあり、GoogleフォームとGoogleスプレッドシートを使ってシンプルな家計簿を自作してしまいました。

参考記事:
家計簿をつけています。簡単なやつです。 「いつ」「どこで」「何に」「いくら」お金を使ったかをメモしておくくらいのライフログのようなものです。 あんまり面倒なことはしたくなくて、プラットフォームに縛られない形で検討した結果、Googleドライブのスプレッドシートを使うことにしました。 専用のフォームを作成し、htmlが開けるオンライン環境でフォームを開いて、いくつかの項目を入力して送信することでスプレッドシートに書き込まれていくという流れです。 スプレッドシートはMicrosoft OfficeのExcelのようなもので、オンラインストレージであるGoogleドライブ上に保存されており、以下の形…
azuma006.hatenablog.com

Googleスプレッドシート(Excel互換)やGoogleドキュメント(Word互換)は今までも利用していましたが、Googleフォームなるものがあって、自作フォームがこんなに簡単に作れるとは知りませんでした。

自作した支出データ入力用のフォームはこんな感じに。

家計簿入力フォーム.jpg

必須入力はたったの3つだけ。私にはこれぐらいシンプルなもので十分です。

自作したフォームで収支データを入力していくと、指定したGoogleスプレッドシートにデータが蓄積されていきます。同じファイルの別シートに、そのデータを集計する仕組みを作り込んでおけば、リアルタイムで自動集計してくれます。集計はピボットテーブルを使う方法もあるようですが、私はよりシンプルにsumifs関数を使いました。

参考記事:
さて、あと半月もしたら2015年ですよ!というわけで、2015年用の家計簿をGoogleドライブを使って作りました。 Googleドライブには「Googleフォーム」という機能が用意されていて、アンケートフォームのような画面を簡単に作ることができます。フォームから入力したデータは、関連付けられた表計算ファイルへ自動的に蓄積されていきます。
risa.hatenablog.com

たとえば支出項目別の合計金額を出したいセルは次のようになります。
=sumifs('フォームの回答 1'!F:F,'フォームの回答 1'!C:C,A5,'フォームの回答 1'!B:B,">="&$B$1,'フォームの回答 1'!B:B,"<="&$B$2)

'フォームの回答 1'は支出データが書き込まれているシートの名前で、F列に金額、C列に支出項目名、B列に日付が入っています。
集計シートのB1に集計開始日、B2に集計終了日を入力しておきます。このセルの値を変えることによって、任意の期間の集計結果が得られる仕組みです。

さっそく12月の収支から新家計簿を使い始めました。

2015年11月29日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その9



p.198
 ある程度の貯金があってこそ、隠居も屈託なく楽しめるってもんです。
基本的には明日死んでもいいように生きるけど、死ななかったときのためにもしっかり蓄えておきたいところ。
「ある程度の貯金」とは、半年分の生活費のようです。(p.197より)
私の場合のそれは半世紀分の生活費なので程度の差は大きいものの、人生の長短両面に備えようとする基本スタンスは同じです。

 では、将来の不安とどう向き合うか。
向き合いません。
これは、やるべきこともやらないという意味ではなく、必要以上に心配してもしょうがない、ということです。
分かります。
不安という感情と真正面から向き合ってしまうと、不安の原因を解消することを際限なく要求されます。そんな要求を全部聞いていたらきりがないんですよね。あらゆる不安を解消することが人生の目的みたいな、奇妙な生き方になってしまいます。

では、まともに向き合わずにどうするのかと言えば、私はこんな風に考えています。
老後不安をどう考えるか
『未来の働き方を考えよう』 ちきりん(著) その1

p.202
 寝るも起きるも、遊ぶのも働くのも、全部の決定権が自分にある生活です。
これほどおもしろいことはありません。
同感です。
まさに自由そのもの。理想的な状態と言えるでしょう。

たまに、全てが自由だとかえって困惑する、みたいなことを言う人がいるのですが、そういう人は自分にとって不要だと思う決定権を手放すなり他者に委ねるなり、それこそ自由に処分すればいいだけかと。個人が不自由を求めるのもまた自由ですから。

つまり、自由という概念は、自由を求める人々だけでなく、自由を求めない人々にとっても使い道がある最強のカード、オールマイティーです。なので、自分が自由を求めているのかそうではないのか、まだはっきりわかっていない段階でも、とりあえず自由の獲得を目標にライフプランを考えるのは悪くない戦略だと思います。

2015年11月27日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その8



p.188
 介護事業所に支払われる介護報酬が約3%引き下げになるそうで、ただでさえ介護者たちは労働に見合わない薄給で働いているのに、さらに給料が減らされる可能性がある、という内容でした。
あのー、介護って実際はほんとに重労働なんですけど、介護に対する社会の評価ってそんなもんなのか……と思うとやるせないです。
介護報酬なんて政府が懐具合に応じてテキトーに決めてるだけですから。決して、「介護報酬=社会の評価」では無いと思います。

介護業界で賃金が労働に見合わなかったり、常に需要過多で供給が追いつかなかったりするのは、政府の価格統制や参入規制によって市場メカニズムが破壊されているから、ということに尽きます。医療や保育の問題もすべてそれが原因です。要は、日本は資本主義の外見をしているけれども、その中に決して小さくない規模の社会主義経済圏を内包する不思議な国なんです。

政府が価格統制をやめ、介護サービスの売り手と買い手が自由な価格で取引できるようになって初めて、その価格が「社会の評価」と言えるのではないでしょうか。

p.190
 私は定年っていう考え方にも無理があると思います。
十把一絡げに65歳で定年といったって、健康状態も能力も希望も人それぞれですよね。
同感です。
他人が決めた一定の年齢に達するまで働くというのは、自分の人生を生きている気がしません。
関連記事:
オールドマンさんのブログにこんな記事がありました。 リタイアする理由をもう一度考える - 毎日が日曜(^^)   セミリタイアメント : いろいろ、理由つけたが、リタイアしたいのは、「仕事がいやなだけだ」、それだけで十分理由になる。 確かに、それで十分ですよね。 ・理由などないの...
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p.190-191
 私だったら、今のペースで死ぬまで現役で働かせていただきたいです。
(中略)
そんなわけで、私の場合は、毎日働くとしんどいし、かといってまったく働かず社会との関わりがなくなるのも不安なので、週2日ぐらい働くのがちょうどいいみたいです。
ここは私のライフプランとの明確な相違点ですね。労働を細く長くやるのか、太く短くやるのかの違いです。
私の場合は、週2日労働と言えども、それが一生続くとなると「しんどい」と感じますね。肉体的な疲労や拘束時間は問題ないかもしれませんが、労務提供義務を負うことの精神的な負担は、週5日でも週2日でも大差無いように思います。

p.195
 思うに、隠居者というのは、意識的に社会との懸け橋を最低限に抑えて生きていくことを心がけている人のこと、ではないでしょうか。
世のしがらみを自ずから断ち切り、自分の世界へとひきこもること。
つまり、過剰に建設された世間との懸け橋を封鎖しつつ、自分との懸け橋を建設するわけです。
破壊ではなく封鎖、というところがミソです。
なるほど、これがただのフリーターとは異なる点だそうです。
私にもほぼ当てはまっているので、ネガティブなイメージを刷り込まれた「無職」ではなく「隠居者」を名乗ればいいかもしれませんね。「早期リタイア」も一般的には今いちピンと来ない言葉みたいなので。

(つづく?)

2015年11月25日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その7



p.168
 この人たちの言う「自由」って、マネー資本主義社会の中だけの自由じゃん。
 お金がないと自由になれないなんて、超不自由!

 私がずっと知りたかったのは、お金がなくても自由になれる方法でした。
ここは本書で数少ない、同感じゃなかった箇所。
私の感想は逆で、お金があれば自由になれるなら、既に相当自由な社会だと思います。広い世界に目を向けると、お金があっても自由になれない人たちもいるということを、ちきりんさんの本を読んで知りました。

資本主義社会の外に出たら本当の自由があるはずだ、という思想の行き着く先は、それを試みてきた人類の歴史を見ればわかるように、自由とは程遠い社会でした。自由市場の存在を前提とする資本主義は、もともと個人の自由との親和性が非常に高いのです。結局、資本主義社会の様々なメリットを賢く利用し尽くすことが、個人がその短い人生の中で自由を獲得する最短コースではないかと思います。

関連ツイート。

(つづく?)

2015年11月23日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その6



p.149
 それに、人に言われたからっていうのはラクだけど、私は自分で何かを選ぶときの、誰のせいにもできない、後にもひけないシビれるような緊張感が好き。
 どんなにラクなのが信条でも、あの楽しさだけは譲れません。
 いつでもどこでも、なんでも自分で選びたいっ!
分かります。
自分で選んだ結果なら、もし失敗しても納得がいきます。

p.153
 さて、いざ東京に出てきて、何に驚いたって、生活するだけでお金が膨大にかかることでした。
 とにかく家賃が高い!
phaさんはこの状態を「毒の沼地」と表現していましたね。
そこを通らないと手に入らない何かがあるなら、ヒットポイントを減らしながらでも突っ込んでいく価値があるのでしょうが、東京でなくてもできることを東京でやる価値って何なんだろうと、いつも疑問に思っています。

p.154
 若い人に家賃や仕事の話をすると、結構な割合で「そんなのフツーじゃね?」と言われますが、断じてフツーじゃありません! 東京がおかしいんです!
同感。
私は東京に住んだことも東京で働いたことも無いので、実体験に基づく感想じゃないですけどね。ごく稀に用事があって東京を訪れると、人口密度が高すぎて息が詰まりそうになります。

人口減少時代だからこれからは都市部に集まって暮らしたほうがインフラなどの効率が良くなる、と言われてますが、集まるにしても限度ってものがあるでしょうと。限度を超えて人が集まりすぎた東京は全然効率が良くない街だと思います。

(つづく?)

2015年11月21日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その5



p.131
 こうして、だんだんと、アルバイト以外の時間をほぼひとりで過ごすようになっていきました。
もともと自分といるのが快適なので、私にとってはとても自然なことだったのでしょう。
ひとりで本を読んだり、ひとりで料理をしたり、ひとりで音楽を聴いたり、ひとりで映画を観たり……。
高校卒業後3年間は、こんな感じの生活だったそうです。
なぜか本人はこの時期をやや自虐的に「ひきこもり」だったと振り返っているのですが、客観的にはフリーターですよね。孤独好きのフリーター。何の問題もありません。

p.134
 誰にも会わず、外にも出かけず、ただひとりでいることに熱中するのは、どこまでも限りなく楽しい体験でした。
p.138
 誰にも会わずに、自分の好きなことだけをして終わっていく一日。まじサイコーです。
同感。孤独って本当に素晴らしいものだと思います。
人は放っておくと自然に孤独を求めるのか、それとも他者との交流を求めるのか。言い換えれば内向的か外向的か。同じ隠居系の生き方をしている人でも、ここで性格が大きく二分されると思うんですよ。大原さんや私は前者、phaさんや山崎寿人さんは後者という風に。

私は前者の性格の持ち主のほうが無職の適性が高いと思っています。
関連記事:
ブログ開設6周年 にコメント下さったretire2kさん、mushoku2006さん、mikeさんありがとうございます。 mikeさんのコメントに次のような質問がありましたので、お答えしたいと思います。 はじめまして。 ブログ楽しく読んでます。 以前はセミリタイアしてて、今は正社...
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p.142
 そういうわけで、私の好きな言葉は「ハタチ過ぎたら人生引き算」。
(中略)
今すぐやらなくていいことを、バシバシ引いていって、あとに残ったものからどうしても死ぬ前にやっておきたいことだけをするのです。
早死にリスクに備えるには最適な考え方だと思います。
正直、20歳からだと少し早過ぎるような気がする私は、もう少し長生きリスクにも備えておきたいというバランス感覚の持ち主だからです。

バランス感覚は人それぞれですが、長生きリスクを重視する一方で、早死にリスクは軽視(あるいは無視)するの人の方が、世の中には圧倒的に多い気がします。
関連記事:
cubさんのブログより。 無職への道 40代で一区切り : 健康寿命はあなたが思っているよりずっと短いですよ 大体、男性で70代前半 簡易生命表から自分の寿命を考えよう 最近は老後破綻やら下流老人などぶっそうな話がゴロゴロ出てきていますが そんなに老後が不安ですかね ...
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(つづく?)

2015年11月19日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その4



p.64
 毎日あくせく働かなくても楽しく生きていくためには、お金のかからない、かつひとりでも没頭できる趣味を見つけるのが得策です。

 まずは読書です。
(中略)
 読書の際は、もっぱら図書館をフル活用します。
同意。基本中の基本ですね。
読書が趣味だと言えるような人なら、それだけで十分な無職適性があると思います。ほぼ必須条件に近いかも。無職系の人で読書に興味が無いと言っている人は見たことがありませんので。

大原さんは古本屋も活用されるようですが、私は図書館オンリーなので本当に一銭もかかりません。コストパフォーマンスは∞。

p.69
 少しお金はかかりますが、青春18きっぷを使って、日帰り温泉にもときどき行きます。
私も青春18きっぷは格安の移動手段としてたまに使います。
しかし春夏冬の繁忙期しか使えないのが最大の難点ですね。混んでいる時期に安くしたら混雑に拍車がかかるだけなのに…。
むしろ閑散期しか使えない「閑散18きっぷ」を作ってほしいんですが。

 隠居をしていると、平日が日曜日みたいなもんで、混んでいない日時を見計らって優雅に行けるのが嬉しいです。(中略)
 休日は混むので外に出たくありません。
 人ごみが嫌いなので、平日もできる限り通勤ラッシュの終わる9時以降に出かけ、帰宅ラッシュの始まる5時前に帰るように努めています。
同感。
満員電車、渋滞、人混みをほぼ完全回避できる選択肢を持っていることは嬉しいですね。できるだけ混雑に参加しないようにするのは、時間リッチな人だからこそできる社会貢献の一つだと思います。

最近は3連休がやたら多くなってきて、隠居の身としては逆に自由に過ごせる平日がどんどん減らされて悲しいです。休みの取り方まで「みんないっしょ主義」が刷り込まれている日本社会、何とかならないものでしょうか。

(つづく)

2015年11月17日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その3



p.38
 節約生活のポイントは、自分でできることはできるだけ自分でやる、ということです。お金はないけど、今たまたま手元に時間はあるから、時間を使う。
 逆に時間がなくてお金のある人は、お金を払って洗濯でも料理でも事務仕事でも人にやってもらえばいいですし。
同意。
ただ、「できるだけ」自分でやると書いてある通り、限度はあります。どうやっても自分ではできないこと(例:インターネットへの接続)もありますし、できるとしても著しく生産性が低いこと(例:食糧の生産)は、別の生産性の高い労働で稼いだ金を介して外注するほうが可処分時間は多くなります。

p.39
 では、両方ない人はどうするか。
 これは今ちょっと答えが見つかりません。
 でも、私だったら、どっちにしても苦しいならとりあえず働きます。
時間もお金も両方ない人って、実はそんなにいません。多くの人は時間だけは必ず持っています。ほんとに時間がない人は寿命が近づいてきた老人ぐらいのものです。

なになに、毎日仕事が忙しすぎて時間がない?
それはせっかく持っていた時間を売っ払ってお金に換えたからですよね。それで可処分時間がなくなったのなら、時間の使い方が間違っていただけです。無駄遣いばかりしてお金がないない言う人に向かって、
「お金がないんじゃなくて、お金の使い方が間違っているだけでは?」
と指摘するのと全く同じことが、時間貧乏な人にも言えると思います。

p.41
 一日の食費は、だいたい300円ぐらいでやりくりしています。多くても500円以下。
素晴らしい。
一日300円だと一年で11万円! エンゲル係数かなり低そうですね。
しかも、ただ安いだけじゃなくて、玄米食や無農薬にこだわったりして健康志向が高いのが特徴です。

(つづく)

2015年11月15日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その2



p.37
 それにしても税金ってほんとに大変ですよね。
隠居する前は、後述するように杉並区に住んでおり、フルタイムで働いていたときもあったのですが、家賃光熱費と生活費、税金などを払ったら手元にいくらも残りませんでした。
今もそんなに残らないという点では同じだけど、同じ残らないなら、はじめからつらい思いはしないほうがましです。
同意。
大事なのは見かけの年収ではなく可処分所得ですからね。その点、低賃金のフルタイム労働ほど割にあわないものは無いと思います。税金や社会保険料をたっぷり持っていかれるので、(可処分所得/労働時間)を計算すると最低レベルになってしまいます。

どうせ低賃金なら税金がかからないレベルまで年収を落とす、というのは(可処分所得/労働時間)を最適化する合理的な戦略です。この戦略を極めるには、第一人者の寝太郎さんのデータは必見:
年収と税金・社会保険料の関係、最新版を作りました。詳しいバージョンはこちらです。・平成27年現在(前年の所得に基づく)、山梨県、独身での計算。各値には地域差あります。・表内の「収入(給与)」とは、給与収入のみで給与所得控除を適用した場合、表内の「収入(事業)」とは、事業収入のみで青色申告控除65万円を適用した場合です。事業収入の値は経費がゼロだった場合なのであくまで参考値です。・表内の「収入(給与と事...
mainennetaro.blog.fc2.com


p.37-38
 でも、どっちがましかはやっぱり人によるでしょう。
私はお金のなさと、清貧の生活を引き受け、そのへんの草を食べたりしてしのぐ代わりに、過労から解放されています。
税金を払っても、会社勤めのほうがましと思えば、そうすると思う。
いずれにしても私は、自分のためだけに働こうと思うとこれぐらいしかやる気が起きません。お金がなくたって、悪いことをせずとも、自分の力とアイデア次第で生きてはいけるのです。
そうですね。
私の場合は、馬鹿高い税金や社会保険料を払いながらでもフルタイム労働を続けるほうが資産形成が早く進み、人生における総労働時間を最小化できると判断したため、結果的に隠居が40代までずれ込みました。

その分だけ金銭的な余裕ができて労働から完全に解放されるメリットはあるものの、20代~30代の20年間という貴重な時間の殆どは学業と労働に費やされ、二度と戻ってくることはありません。
ライフプランにおける時間とお金のトレードオフは、いつも悩ましい問題です。

(つづく)

2015年11月13日

『20代で隠居 週休5日の快適生活』 大原扁理 (著) その1



20代から既に安定した隠居生活に入った大原扁理さんの本です。

考え方はphaさんと似ている部分もありますが、ライフスタイルはかなり違いますね。大まかなイメージとしては山崎寿人さんの生活をもっとストイックにした感じでしょうか。野草の調理法がイラスト付きで丁寧に書かれているのには驚きました。文字通りの「草食男子」の登場です。

週2日は介護の仕事で月収7~8万円とのこと。知る人ぞ知る理想の年収に収まってそう。

p.4
 ところで私は、どこにでもいるフツーの人と同じで、ITや株などの特殊能力も持ち合わせていないし、宝くじが当たったこともないし、親の遺産もありません。不労所得はゼロです。
それでも隠居できちゃったんですから、自分が一番びっくりしています。
私もこの条件をすべて満たすどこにでもいるフツーの人ですが、40代でやっと隠居できましたと言ったところで誰も驚いてくれません。
しかしこれが20代でとなるとさすがに衝撃的ですね。

p.4-5
たまに人に会う機会があったりして、「何してるんですか?」とか聞かれるとすご~く困る。
(中略)
「週休5日みたいな感じなので、わりと遊んで暮らしています」とか、「とくに言うほどのことは何もしてません」などと気分で答えたりするので、聞くたびに答えが変わってる……ということになり、結局、「何してるか得体の知れない人」という印象を与えてしまうようです。
私としては、嘘をついているつもりはないのですが。
そのときの反応は十人十色です。
何かを察知してそれ以上触れず、話題を変えてくれる上品な人、さりげなくもっと突っ込んでくる下品な人、見下すような目つきをする人など、いろいろいます。
分かります。
私も「早期リタイアして毎日遊んで暮らしています」とは正直に答えにくいので、いつも適当にお茶を濁しています。

確かに答えにくい質問ではあるのですが、相手の価値観次第で多様な反応が観察できるという意味では、ある種のリトマス試験紙の役割を果たしてくれるQ&Aなのかな、という気もします。こちらが世間体の良い職業に就いていないと見るや、見下してきたり哀れんでくるような相手ならば、付き合っても毒にしかならないと思いますね。

p.5
「お前みたいなのがいるから国力が衰退するんだよ」といった内容のことを、キレ気味に言われることもあります。
うーむ、これは酷い。
いわゆる天然全体主義者ってやつでしょうか。参考ツイート。

幸い私はこういう人と現実に関わったことはありませんが、不幸にも関わってしまった場合は速やかに繋がりを断ち切るのが吉ですね。

(つづく)

2015年11月8日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その8



その7の続きです。

p.118
 なんかそんな風に、お金をかけなくても日常生活の中でやりたいことや面白いことはたくさんあるし、どっちかというとお金よりも時間のほうがやりたいことを全部やるには足りない。だから仕事とかしている暇はない、というのが僕の実感だ。
同感。
過去にも述べたように、人生の時間という希少資源は金融資産とは違って、現在の正確な残高がわからない上に、毎年マイナスリターンになることが確定している特殊な資産なのです。しかも、年齢を重ねるごとにその減少率が確実に大きくなっていく恐怖…。それに比べたら毎年貯金が減っていく恐怖なんて屁みたいなもんです。

p.119
 お金をかけずに生活を楽しむコツというのは一度身に付ければ一生残る資産だ。年をとってからとかお金がギリギリになってから新しいことを身に付けるのは結構しんどいし、人生のうちで早めに身に付けておくことを全ての人に勧めたい。
同意。
変な言い方になりますが、「余裕のある貧乏生活」を一度経験しておくといいですね。これ以下は耐えられないという生活レベルの下限は人によってかなり幅があるので、予めそれを把握しておくことは早期リタイアを計画する上でも重要な作業です。

p.119-120
 お金がなくても楽しく暮らすための心がけとして一番大事なのは、「他人と自分を比べない」ということじゃないかと思う。そして他人と自分を比べなくても平気になるためには、「自分の価値基準をはっきり持つ」ということが必要だ。
同意。
為末大さんが書いていた「幸福の基準を内に持つ」という話とほぼ同じですね。

p.121-122
 ブログを書いていると不特定多数の人が読みにくるので、僕のブログにもときどきよく知らない人(大体ちゃんと文章を読んでいない)が「あなたの考えは間違っています」とか「もっと働いてください」とかコメントをしてくるんだけど、そういうのは全部「あー、あなたの宗教ではそう考えるんですね、僕は違うからよく分かんないけど」って思ってスルーしている。
phaさんクラスの有名人のブログで、いまだにコメント欄が完全オープンになっているケースは珍しいですが、これだけのスルースキルがあればこそできることだと思います。凡人は真似しないほうがいいかも。

p.123
 株とかFXとかは損することも儲かることもあるだろうけど、たとえ儲かってもお金の使い道がないのにさらにお金を増やしても仕方がない気がするし、ゲーム性という娯楽を求めて株やFXをやるんだったら、テレビゲームでもしてたほうが安くて完成度が高くて楽しいんじゃないだろうか。
同感。
資産運用を趣味や娯楽にしてしまうと、合理性よりも楽しいかどうかという感情が優先するのでおかしなことになりがちです。「趣味と実益を兼ねる」のは簡単ではありません。

どちらかと言えば「好きなことは仕事にするな」の法則の方が有効で、趣味と実益は完全に切り離して、趣味はお金を払って楽しむものだと考えるほうが良いと思います。

(つづく?)

2015年11月6日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その7



その6の続きです。

p.114
 僕は本を読むのが好きなんだけど、本はすごくコストパフォーマンスが高い暇潰しだから読書を趣味にするとお金をあまり使わずに済む。
(中略)
図書館の大きな本棚の前に立つたびに僕はいつも、まだまだ読んでない面白い本がこの世界には無数にあってすごく豊かで嬉しいという気持ちと、「これは一生かけても全部読みきれないだろうな……」という悔しい気持ちとを二つ同時に感じて複雑な気分になる。
同意&同感。
本でもブログでも漫画でも何でもいいんですが、興味があることについて読むのはとても楽しいものです。私の場合、ほかに何もやることがなくて暇なときに、何もせずにぼーっとしているか、何かを読んでいることが多いですね。

何もしない時間が無駄だと思う人なら、「暇だ」と思った瞬間にすぐ読み始められるように、常に近くに読み物を準備しておくといいでしょう。この習慣さえ身に付いていれば、暇を持て余すことは無いように思います。それでも暇だって言う人は、おそらく読むこと自体が好きじゃないのでしょう。

そして、膨大な活字の量に圧倒される人生の有限感は、図書館一つあれば十分実感できますね。それに加えてインターネットまである現代は、時間という資源の希少性がさらに際立つ時代と言えるでしょう。

p.115
 読書、将棋、散歩、園芸が趣味だというと、「老人みたい」って言われたりする。自分でも確かにその通りだと思うけど、まあそれでいいんじゃないだろうか。お金がかからなくて面白いものをお年寄りだけにやらせておくのはもったいないし、(以下略)
同意。
老人には老人らしい趣味があって、若者には若者らしい趣味がある、っていう考え方はおかしいですね。何を面白いと思うかはその人の個性であって、年齢は関係ないでしょう。

p.116
 あと何より安上がりな趣味としては、今ではインターネットの存在がすごく大きい。ネットには無料で無限に暇を潰せる面白コンテンツが無数にあるし、友人や知人との繋がりを持ち続けるツールとしても必須だ。
同意。
無職やるのがこんなに楽しいのもインターネットのおかげです。本当に素晴らしい時代に生きていることを実感します。

関連記事:無職の才能 - phaのニート日記

(つづく?)

2015年11月4日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その6



その5の続きです。

p.104
 結局人間にとって一番大事なのは「孤立しないこと」なのだと思う。そのために家族という概念が有用なら家族という概念を使えばいいし、それが他のもので代替できるなら他のシステムでもいい。
その1で書いたことの繰り返しになりますが、「孤立しないこと」が大事かどうかは人によります。「人間にとって」みたいに言われると自分が人間でない気がしてきます(笑)。

p.105
家族でも家族以外でもなんでも、孤独にならないためにありとあらゆるツールを利用して生きていけばいいんじゃないかと思う。
このあたりに書いてあることを読んでいると、本書全体を通じてphaさんが繰り返し「孤独にならない」ことを強調するのは、寂しがり屋だから人と繋がっている方が幸福を感じるとか、そういう性格的な嗜好を満たすと言うよりも、人的なセーフティーネット構築という実利面の重要性を説いている、そちらの成分の方が多めなのかもしれないですね。

p.109
普段の生活の中で「お金があればもっと楽なのになー」という場面は結構あるし、お金があれば人生の大体の問題は解決する。お金は万能で素晴らしいツールだ。
そう、その通りです。
ならば、生きていくために利用する「ありとあらゆるツール」の中に、当然お金も含まれていいことになります。万能で素晴らしいツールなんですから、お金があるなら利用しない手はありません。

そうすると結局、孤立していても生きていけるだけの十分なお金さえあれば、人的なセーフティーネットは特に必要ないってことにもなります。人との繋がりを生存のためのツールとして見る必要が無くなった時に初めて、人は人と繋がることが本当に好きかどうかわかるのではないでしょうか。

(つづく)

2015年11月2日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その5



その4の続きです。

p.064
人間の脳には繁殖を有利にするような行動パターンが遺伝子によって刻み込まれている。例えば性欲や、子どもをかわいいとか育てたいとか思う気持ちなどがそうだ。
だけど人間は、遺伝子に組み込まれたプログラムに従うだけの他の動物に比べてそれほど行動パターンがきっちりと定められていなくて、人生の中でそれぞれがいろいろな変なことをする。
(中略)
人間の行動は遺伝子に全てが決められるのではなくて後天的に受け取る文化などによって形作られる部分がかなり大きい。そうして人間は単にメシを食って繁殖するだけの生き物であることから抜け出して、言語や文化や思想などを作り上げて、他の動物にはできないような複雑な生を生きるようになった。
この特徴こそヒトが高等生物である所以。
逆に言うと、こういった複雑さに乏しく、ひたすら本能の命ずるままに行動することを優先する生き方に、人間らしさは感じられません。

かなり昔の記事で、「単に本能的な欲求を満たすだけの行為なら無いほうがマシ」みたいなことを書いた記憶があるのですが、今でもそう思ってます。
関連記事:
まず著者による「自由」の定義から。  自由というのは、「自分の思いどおりになること」である。自由であるためには、まず「思う」ことがなければならない。次に、その思いのとおりに「行動」あるいは「思考」すること、この結果として「思ったとおりにできた」という満足を感じる。その感覚が「自由...
yumin4.blogspot.com

やはり私の考え方は森博嗣先生とのシンクロ率が高めのようです。

p.065
 遺伝子から見れば、生物というのは遺伝子をコピーして増やすための乗り物に過ぎない。自分を運んでいる生物がどんな生き方をするか、楽しく生きられるかどうかは遺伝子にとってはどうでもいいことだ。
確かにその通りです。
だからこそ、遺伝子に乗り物として利用されるだけの一生なんて御免被りたい、遺伝子の都合ではなく私という個体の幸福を優先させる生き方をしたい、と強く思いますね。遺伝子から見たら、とんでもない変種の個体に乗っかってしまって失敗したなと思ってるでしょうけど。

p.068-069
「宇宙から見ればどうでもいい」という言葉を僕はよく思い出すようにしている。
宇宙の持つ数百億年という膨大な時間と数百億光年という膨大な空間の中では、自分という人間が何をやってどう生きようがケシ粒みたいなどうでもいいことだ。全てはほんの一瞬の些細なことに過ぎない。
同感。良い言葉、良い世界観だと思います。
全てがどうでもいい些細な事であるなら、あれこれ悩まずに自分の好きに生きればよいだけではないかと、非常にシンプルな人生観をもつことができます。

(つづく)

2015年10月31日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その4



その3の続きです。

p.063
 僕が考える人間の面白さは、生の多様性というか、「ものすごくいろんな生き方に開かれているところ」だ。だから、「子どもを作る」というのも結局一つの選択肢に過ぎないと思っている。別に子どもは作ってもいいし作らなくてもいい。僕やあなたが子どもを作らなくても人類は存続していくし、作りたいと思う人が作ればいいのだ。
同意。
子孫を残すことは生物的な本能がもたらす結果であって、それ自体が人生の目的ではないし、子孫を持つことが個人の幸福につながるとは限りません。

特に最近は、日本の社会保障制度の問題を少子化のせい、つまり子供を作らない人のせいにしたがる人が多くて閉口します。各種メディアで「少子化問題」というミスリーディングな用語が極めてナチュラルに使われ、定着してしまったことが、問題の真の原因を一層わかりにくくしています。

もう何度も言ってますけど、少子化そのものは「問題」ではありません。少子化になるととんでもない世代間格差が生まれたり、持続可能性が失われていくような制度設計の方に問題があるだけです。今この瞬間も莫大な世代間格差を生み出し続けている現行制度を何とかする以外に対策などありません。それとは全く逆方向の、制度を維持するために国民の人生をいかに修正、誘導すべきか、みたいな議論を真顔でやるなんて狂気の沙汰だと思います。

関連ツイート。


(つづく)

2015年10月29日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その3



その2の続きです。

p.051
 家に鉄道模型をひたすら集めている人がいたとして、彼の家族は鉄道模型に全く興味がなくて、「わけの分からないガラクタが家にいっぱいあって邪魔だ」「つまらないものにお金をつぎ込んで馬鹿みたい」と思っていたら彼は不幸だ。
本当にそうでしょうか?

家族が~と思っている ⇒  彼は不幸だ
が成り立つための大事な条件が一つ欠けているのではないですかね。

正しくは、
(彼は家族に~と思われたくないのに)家族が~と思っている ⇒ 彼は不幸だ
ではないかと。

家族にどう思われようが気にしない人ならば、この事例では全く不幸ではないと思われます。

鉄道模型で真っ先に思い出したのが森博嗣先生。(関連記事:『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣 (著) その5
彼は大好きな庭園鉄道に囲まれて、とても幸福そうに見えます。家族がどう思っているかなんて気にしているそぶりが全くありません。

そもそも自分の金を何に使おうが他者には関係ないです。家族ならああだこうだと口出ししても良いと思っているのだとしたら、自由主義、個人主義の何たるかがわかっていない証拠だと思います。

(つづく)

2015年10月27日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その2



その1の続きです。

p.024
「生きてるからには仕事をしないともったいない」とか「何もしないのは人生を無駄に過ごしている」とか言う人が世間には多いけど、それは一種の宗教みたいなもので、なんかちょっと違うな―、と思う。仕事をするのも大事なことだけど、仕事をするために人生があるのではなくて、より良く生きるための手段の一つとして仕事というものがあるに過ぎない。
同意。
お金も手段なので、お金を稼ぐための仕事は手段のための手段といったところでしょうか。

p.025
 朝起きたときには全く予定がなくて、あくびをしながら「今日は何をしようか……」とかいうような生活がいい。それで家でゴロゴロ寝ながらネットを見たり本を読んだりして、ちょっと気が向いたり退屈したらふらっとどこかに出かけたりしてもいい。そんな生活がずっと続けば理想的だ。
同感。
というか、今の私の生活そのまんまですよこれ。
こんな感じの生活をもう8年続けてますが、実に良いものです。

二十八歳のときに「もういいやー」って思って勤めていた会社を辞めて、そうやって毎日ひたすらゴロゴロする生活に入って気がつけばもう八年だ。
ということは、私とほぼ同時期(2007年?)に無職になられたんですね。もう少し先輩かと思っていたので意外でした。

p.026
そんな感じで毎日やらないといけないことは少ないんだけど、暇を持て余して困るということは意外となくて、それどころか「暇なはずなんだけど何故か毎日結構やることがあって忙しい……」と思っていることが多い。まあやることと言っても「洗濯をする」とか「猫の世話をする」とか「メールの返事をする」とか「風呂に入る」とか、全部大した用事ではないんだけど。
分かります。
私の場合は「忙しい」と感じることは稀で感覚としてはほぼ常に暇ですけども、元々のんびりした性格なので、それで退屈したりして困ることは一切ありません。

p.027
 要は、みんな何もせずにぼーっとしているのが苦手だから、何か意味のありそうなことを見つけてやって時間を潰しているだけ、ということが世の中には多い気がするのだ。
これも同感。
私は性格的に「何もせずにぼーっとしている(ように見えるだけで実は深く考え事をしていることもありますが)」ことがたいへん得意なので、その類の時間つぶしは全く必要ありません。これは無職をやる上で重要な適性の一つではないかと思います。

関連ツイート。


(つづく)

2015年10月25日

『持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない』 pha(著) その1



人気本の割には半年も待たずに回ってきました。ラッキー。

p.011
 じゃあ、生きるにおいて本当に大事なことは何かというと、「一人で孤立せずに社会や他人との繋がりを持ち続けること」と「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」の二つだと僕は思う。
後者は確かにその通りで、それがわかっていないうちは何も始まりません。最優先事項と思います。

ただ、前者については人によるとしか言えないでしょう。少なくとも私にとっては全く大事なことではありません。(関連記事:早期リタイアと孤独
後者の条件さえ満たしていれば、前者の条件が自分に必要かどうかも既にわかっているはずです。

 僕の場合の好きなものは、インターネットだった。
同じく。厳密には、インターネットそのものが好きと言うよりは、インターネットを使ってできるあんな事やこんな事が好きなわけですが。

もしインターネットが存在しない世界に生きていたら、今でもまだ好きなものが見つからないまま漫然と会社員を続けていたかもしれません。なので、インターネットが無かった時代を何十年も生きてきた旧世代の人たちに早期リタイアという発想が出てこないとしても不思議ではありません。

p.018
 でも成長するにつれていろんな本を読んだりしていくと、「今の世の中のメインになっている価値観は絶対的なものじゃなくて、それはここ何十年かで出てきた一時的なものに過ぎない」「世界にはもっといろんな価値観や生き方がある」ということを知ることができて、そうすると「会社や学校に違和感を持つ自分の生き方もまあありなんじゃないか」という風に、自分の生き方にある程度自信を持てるようになった。
同感です。
本にしてもネットにしても、自分から読みたいものを選択して読むPull型のメディアであることがポイントです。義務教育やテレビのように勝手に情報を選別して送りつけてくるPush型のメディアと決別すると、視野が一気に広がります。

(つづく)

2015年9月24日

『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』 日野 瑛太郎 (著)



図書館で予約してから半年以上かかってやっと回ってきた人気本です。
著者名に見覚えがない場合、脱社畜ブログの中の人、と言えばピンと来る人もいるでしょう。

p.162-163
 大切なのは、世間の評価基準ではなく自分の評価基準です。
(中略)
 あなたの人生を生きるのは、あなた以外に誰もいません。
 だから、あなたにとっての幸せは、あなた自身が主観で考えればいいのです。
(中略)
 あなたに価値観を押し付けてくる会社も、上司も、同僚も、しょせんは他人にすぎません。
 他人の人生を生きるのは、人生最大の浪費です。
 もっと自分の価値観に正直に、自分のために生きましょう。
良い言葉ですね。全面的に共感します。
会社員やってる間は気付きにくいことですが、会社関係で出会う人たちってほとんどみんな似たような労働観、人生観で固まってますからね。自分にとって何が幸せかを真剣に考えず、ただ空気を読んで周りに合わせるだけの生き方をしていると、いつの間にか自分も「世間の評価基準」に基いて動く人になってしまいます。

p.164 おわりに
ここまで読んで、
「なんだ、全部あたりまえのことじゃないか」
と思った人もいるかもしれません。
その人の認識は、完全に正しいです。
はい、全部当たり前のことだと思いました。そういう意味では、半年も待った割には読み応えのない本でした。当たり前すぎる内容だと、ブログに引用してもコメントが「そうですね」的な同意以外に書くことがないので困ります。

 この本の目的は、1人でも多くの人に会社独自のいわゆる「社畜」的な価値観から脱却してもらい、「あたりまえ」のことを「あたりまえ」だと認識してもらうことにありました。
そうですね。
脱社畜ブログの読者であれば内容が被っているので、あえて本書を読む意味はないでしょう。

2015年9月18日

30代早期リタイアのために「全力リスク運用」は必要か?

さいもんさんのブログより。
超早期リタイアなら全力リスク運用が基本│ひとり配当金生活
30歳代での超早期リタイアを目指すなら資産運用は全力でリスクを取るのが基本です。
30代と言っても30歳と39歳ではだいぶ違いますね。
私のイメージでは30歳ならまだ超を付けてもいいけど、35歳を超えてくると怪しくなってきて、39歳だったら普通の早期リタイアだと思います。
ついでに、50代に入ってからだともう「早期」ですらないような気が。それぐらい人生は短く若い時間は貴重なんです。おっと話が逸れました。

最初に記事のタイトルを拝見したときは、
全力リスク運用=リスク資産100%のポートフォリオを持つ
という意味かなと思いました。

それならわかります。本人のリスク許容度次第では無謀な選択にもなり得るものの、39歳で早期リタイアを狙うなら呑気に無リスク資産なんか組み入れている場合ではないだろうと。
因みに現代ポートフォリオ理論では、リターンとリスクの調整はリスク資産(市場ポートフォリオ)と無リスク資産の比率を変えることで行います。期待リターンを最大化するには、それを100:0にすればいいだけです。

ところが、さいもんさんの記事の中身を読んでいくと、どうも全然違ってました(汗
その結果資産を失ったらどうするか?どうするも何も、また金を貯めて最初からやり直すしか無いのですが、
株式投資で成功した人の多くは一回は全財産を失うような経験をしています。
こんな物騒な話が次々と出てくるではありませんか…。
さいもんさんが言うところの「全力リスク運用」とは、全財産を失うリスクを取るという意味のようです。これには驚きを隠せません。

ただしわずかでも成功の確率を高めたのは、資産10倍増を最初から狙っていたのが大きいと思います。
資産10倍増とかサラリと書かれてますが、プラス900%です。これを何年間で? 10年かけていいのだとしても年平均25%です。正直、狙って取れるようなリターンじゃないと思います。

おそらく、さいもんさんのイメージする「超早期リタイア」達成や「株式投資で成功」の基準が、私に比べて遥かに高いレベルなんでしょう。目標とする資産額もリタイア後の支出レベルも。

なぜ全財産を失うリスクを冒してまで超ハイリターンを狙う動機があるのでしょうか。隠れた前提として、収入と支出の差額によって自動的に積み上がっていく資産よりも遥かに速いスピードで資産を増やしていかないと目標に到達しない、という事情があるのではないかと推察します。目標が身の丈に合っていないという意味でもあり、逆に言えば、目標の割に収入が少なすぎるand/or支出が多すぎるという意味でもあります。

因みに私の独自基準では、現在何歳であってもACRが平均余命を上回っていればリタイア可能です。極端な話、まだ30歳でも支出が寝太郎さんレベルなら1300万円で足りる計算になります。超早期リタイアだからと言って必ずしも莫大な資産が必要とは限らず、すべては本人の支出レベル次第なのです。30代でのリタイアを狙うなら、投資で一山当てるという発想よりも、支出レベルを下げる方がより確実な効果が期待できると思います。
関連記事:
『年収200万円からの貯金生活宣言』
こんなタイトルの記事が目に止まりました。 分散されたポートフォリオで早期リタイアするのは極めて困難:インデックス投資と労働で経済的自由を目指す:So-netブログ 私の頭にある常識とは正反対の結論なのでちょっと驚きました。中身を見てみましょう。  株式投資で分散されたポートフォリ...
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なんか既視感があると思ったら、こんなのもありましたね。
貧乏人はリスクを取らなければ金持ちになれない | 日刊SPA!
分散投資を考えるのは、1000万を超えてからの話。玉砕覚悟で資産10倍、20倍増を狙う姿勢が大切です。元手が無くなったらまた貯めて出直せばいいんです
いやいや、そんな無茶な。
この理屈だと、玉砕覚悟で全財産で宝くじを買うことだって正当化されません? 10倍20倍どころか、1本当たれば即3億円ですよ。

金持ちになる可能性が有るか無いかという二分法で単純思考してしまうと、このようにリスクや期待値を度外視したおかしな結論になることが多いと思います。

2015年9月12日

長生きリスクと早死にリスク

cubさんのブログより。
無職への道 40代で一区切り
健康寿命はあなたが思っているよりずっと短いですよ
大体、男性で70代前半
簡易生命表から自分の寿命を考えよう
最近は老後破綻やら下流老人などぶっそうな話がゴロゴロ出てきていますが
そんなに老後が不安ですかね
だって、誰でも必ず死ぬんですよ
老後破綻が心配・・3000万円あっても破綻する、年金を沢山貰えるためには、出来るだけ長く働こう
自分だけは100歳まで生きると思っているのですかね?
心配しなくてもあなたは100歳まで生きません
同感です。
メディアが煽っているせいだと思いますが、最近は長生きリスクを過剰に恐れる傾向に拍車がかかっているような気がします。

メディアの煽りで不安を感じたら、cubさんの別記事でも取り上げられている簡易生命表を冷静に眺めてみましょう。

平成25年簡易生命表(男)

年齢40歳の行の生存数を見てみましょう。
まさか、40歳のあなたが今生きていることが当たり前と思ってませんよね?
40歳まで生き残っているのは10万人中98,115人。つまり不運な1.89%の同級生は既にこの世に存在しません。大体クラスに一人弱の割合。おっと話が逸れました。

次に100歳の行。
生き残っているのは10万人中わずかに1,493人。
40歳男性が100歳まで生きる確率は、
1,493/98,115=1.52%

では40歳男性が50歳になる前に死ぬ確率は?
50歳の生存数が96,385人なので、
(98,115-96,385)/98,115=1.76%

100歳まで生きる確率より少し高いものの、ほぼ同レベル。

なので、100歳まで生きてしまったらどうするのかと老後の備えを万全にしようとする人ならば、それと同時に、50歳までに死ぬ場合に備えた行動は取らなくてよいのだろうか、という疑問が出てきます。
発生確率が同程度の二つのリスクがある場合に、どちらか一方には備えるけど他方は無視して何もしない、というのはバランスを欠いた行動に見えます。

このバランス感覚の欠如、どこかで見たような気が。
そう、宝くじの高額当選確率と、交通事故で死ぬ確率です。
後者が前者の40倍程度なのに、認知の歪みによって正しい評価ができないという話がありました。
関連記事:『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘 玲 (著) その2の真ん中あたり。

二つのリスクに対する私の考えは、どちらにも万全の備えをするのは無理があるし相互矛盾を生ずるのだから、両者のバランスをとりつつ程々に備えればよいと思っています。

長生きリスクによる老後不安への向き合い方については、既にこちらに書いた通りです。
前回の記事、 リタイアに型というものがあるならば に次のようなコメントがありました: 人間には寿命があるのですが、その寿命がいつ尽きるのかは誰にも分からないのが問題なのでしょう。 自分はいつ死ぬか分からない。 しかし、資産は確実に減っていく。 寿命が尽きる前に資産が尽きてしまった...
yumin4.blogspot.jp


早死にリスクへの備えは、早期リタイアそのものが私の答です。
平均寿命まで生きたとしても短い人生。もし早死にしても後悔しないためには、やりたくもない仕事で時間をお金に換えている場合ではありません。やりたいことだけをやる人生にできるだけ早く移行すべきだと思います。

2015年8月6日

アウトバーンと自由主義

調布飛行場の事故の件でアクセスを集めている記事。

調布飛行場の墜落事故(2015.7.26)の原因は分かっている|Bokensdorfのブログ
ですから「飛行場の危険性」をあげつらうのは的が外れている。この事故の原因は飛行場ではないからです。
納得しました。
たいへん説得力のある良記事だと思います。
マスメディアの「珍しい事故ほど熱心に報道する」バイアスにやられて日頃から飛行機のリスクを過大評価しがちな人には、ぜひ一読をお勧めします。

Bokensdorfさんの過去記事をざっと拝見したところ、他にも面白い記事がたくさんあって、宝の山を見つけた気分です。

特に面白かったのがアウトバーンシリーズ。
13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン|Bokensdorfのブログ
アウトバーンは先進国で唯一速度制限のない高速自動車専用道路である。

しかし実際に走ってみると、
色んなところで速度制限標識が出ている。
(中略)
アウトバーンでは追い越し車線と走行車線が完全に守られている。
(中略)
これが保証される事は自分を含めて全体の利益になることだから全員がよく守る。
このことと関連して、高速道路の出口は必ず右にある。
(中略)
このように見てくると、
アウトバーンというのは、
速度制限のない無法地帯というのとは対極の、
あらゆる規則を徹底的に配置した上で初めて成立している場所であることが分かる。

規律の上での自由であり、
東名高速道路から速度標識を取り除いたらアウトバーンになるなどというものではない。
なるほど。すごく合理的というか、洗練された大人の社会だなと思います。

必要最小限の規則を守る不自由を受け入れてこそ、速度無制限という自由が守られているわけです。
その点でアウトバーンと自由主義って似ているかも。中身を知らない人からイメージだけで「無法地帯」と誤解されるところとか、そっくりじゃないでしょうか。

13. 日本とドイツ 生活の質の違い/アウトバーン-3|Bokensdorfのブログ
日本ではスピード=危険=悪という単純図式である。

世の中にはまったく違う価値観で成立している場所があるという事を日本人に知らせるには、アウトバーンは良い見本である。
(中略)
急ぐ車には先に行ってもらう。
全体の流れも良くなる。
ドライバーの高い安全意識と道路交通システムと車の安全性能がそれを支える。

何も早く行きたい人の足を引っ張る必要は無い。

アウトバーンは国際結婚と関係無さそうなのにここまで長々と書いたのは、実は「個人」というものの成り立ちが日本とドイツではおおもとから違うのでは無いかという事をこの頃考え始めたからである。
確かに両国の道路や交通ルールの違いに着目すると、リスクとコストのトレードオフや、個人の自由をどこまで制限すべきかという点で、価値観が根本的に違うことがわかります。

トレードオフの観点で言えば、日本の交通行政って、たとえば交通量の少ないT字路などにもすぐに信号機を設置するなど、とにかく事故のリスクを減らす方向しか考えていないこと、その代償として失われる信号待ちの時間とか燃料のコストをほぼ無視しているか、空気のように軽いものとみなしているのが特徴だと思います。

信号機と言えば、日本の十字路は両方赤の時間が異常に長いと思いませんか。赤に変わってから突っ込んでくる無法者があとをたたないから安全マージンを長めにしたつもりなんでしょうけど、青に変わるまでの時間が長いと見るや、ますます赤で突っ込んでくる車が増えるという悪循環。結局安全マージンは変わらず、正直者の待ち時間が増えただけで何の改善にもなっていません。

他にも制限速度をやたら低めに設定しておいて、実際はそれより緩い基準で取り締まりを行う慣習も、合法と違法の境界線をわざと曖昧にして行政の裁量権を拡大する、いかにも日本的なやり方です。アウトバーンのように、すべての人が必要最小限のルールを厳守することによって安全と効率の最適化を目指す価値観とは程遠いと思います。

個人の自由という観点でも、ドイツでは自由の制限を最小限に留める意識が常にあり、その最小限のルールがよく練られている印象です。自由を制限するケースはあくまでも例外的な扱いになっていると思われます。
それに対し、日本では公共の安全という錦の御旗さえ振りかざせば、個人の自由なんてものはいくらでも気軽に制限してよい、という全体主義思想が透けて見えます。どちらかと言えば、原則禁止だが例外的に個人の自由をお上が「認める」という扱いになっている物事が多い。調布飛行場の事故で言えば、実質的には遊覧飛行だったのに誰がそんなものを「認めた」のだ? みたいな批判が自然に口をついて出てくるのは、自由軽視の思想が骨の髄まで染み付いている証拠だと思います。

なぜ日本に自由主義が根付かないのかと考えたとき、こんな風に価値観が完全に反転している人が圧倒的多数派であることが根本原因ではないかと思えます。ガメさんのツイート参照。



2015年7月18日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その4



その3の続きです。

p.190
日本という国は、税金で集めた額のほぼ倍の金を使っている。
(中略)
こういう話をすると、「税金の無駄遣いをなくせ」という話になるが、倍ですよ、倍。無駄遣いとか節約どうこうという額ではない。公務員を減らすとか、そういう額では全然ないのだ。
たしかに政府は気が遠くなるほど分不相応な浪費をしていますね。
ですが、どうしてこんなことになったのかを突き詰めていくと、やっぱりありとあらゆる無駄遣いの蓄積なんですよ。その中でも大ボス級の無駄遣いは社会保障費で、年金にしろ、健康保険にしろ、公金を注入する必然性が全く無いものに莫大な金を浪費し続けるという愚策。

p.191
(国民年金や税金の前納割引制度を指して)
そうやって、金を少しでも早く集めようとしているわけだ。
二年分を前払いで納めさせれば、今年の「売り上げ」が倍になる、という決算をするのである。国債を発行して、予算を倍にするのと同じ理屈だ。さきざきのことを考えたら、全然得ではないのに、今が良ければ良い。政治家はみんなご年配だから、自分が生きているうちは、金が回っていれば、それでやっていける、と考える。将来のことなんか知らないよ、というわけだ。それは、「今の若い者がまた考えろ」ということなのか。
年金や税金の前納分って、ほんとに納付した年の売り上げに計上されているのでしょうかね。もしそうだとしても、全員が一斉に前納しないと倍にはなりませんが…。

「将来のことなんか知らないよ」という政治家の態度は、バラマキをこよなく愛する有権者たちの醜い姿が鏡に映っているだけです。多数派の政治的暴力によって闇に突き落とされた将来世代は、さらに厳しい受難の時代を迎えることでしょう。

 年金などは、明らかに「ねずみ講」である。国がやっていることだし、国民がみんな参加しているし、利回りがそれほどでもないので、破綻するまでに時間がかかった、というだけだ。まあ、破綻したら、また国債を発行すれば良い、と考えているのだろう。
年金はねずみ講に同意。
強制参加なら我慢するしかないですが、参加しなくてもいい状況なら参加しないに限ります。
「破綻したら国債発行」とか呑気に構えている段階ではなくて、既に実質破綻しているし既に借金で回しているのが現状です。

 民主主義というか、資本主義というのか、つまりは、今の社会は、こんなふうに破綻するのかな、というイメージがだいぶ現実的になってきた。ギリシャやイタリアをよく見ておこう。
民主主義はともかく、この文脈で資本主義を持ち出すのは筋違いでしょう。関連記事:
貧BPさんのブログより。 ギリシャ金融危機に関して | 貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅 : 資本主義の矛盾のしわ寄せを一気に押し付けられ、庶民としてはまさに迷惑千万の事態と言ってよいでしょう。 ギリシャ政府の財政危機の話に、初っ端から「資本主義の矛盾」という言葉が出てきたので...
yumin4.blogspot.jp


ギリシャの例を見るまでもなく、国債が頻繁にデフォルトしている国はいくらでも存在します。国家の財政って放っておくと自然に破綻に向かうものなんだな、という物理法則が学べます。

歴史に学ぶなら、財政破綻を防ぐためにどうすべきかを必死に考えるのではなく、もし政府が財政破綻したら生きていけなくなる、というような政府依存型の人生設計をしないことが肝要だと思います。

2015年7月16日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その3



その2の続きです。

p.178
よく想像するのは、核爆弾なのか細菌兵器なのか、とにかく世界中の人間が死んでしまって、僕だけがこの世に残されたというシチュエーションだ。粗大ごみ置き場は、僕にそれを連想させる場である。たぶん、そんな世界になっても、僕はきっと楽しく生きていけると思う。もちろん、病気や怪我ですぐに死んでしまうかもしれないし、食料が尽きるかもしれないけれど、それも含めて、かなりわくわくして毎日を生きることになるだろう。
面白いことを空想するものですね。
私はゲームや映画の中の設定なら面白そうだなとは思うものの、現実に自分が地球最後の人類になるなんて状況は、余りにリアリティが無さすぎて想像できません。

p.179
 一人の時間ほど貴重なものはない。この孤独の時間が、すべての価値を生むといえる。あらゆる創作は、ただ一人で黙々と行うものだ。ここに人間としての最上の価値があると僕は考える。その作品を見る他者がたとえ一人もいなくても、自分が見る。それこそ、純粋な創作というものだろう。
概ね同意。
孤独な時間の何が良いかって、何にでも好きなだけ集中できることですね。本を読むにしてもブログを書くにしてもゲームをやるにしても、とにかく捗ります。

当ブログを見る他者がたとえ一人もいなくても、自分が見る!(笑)
実際、当ブログ唯一の目的は、今の自分が何を見て何を考えているのかを未来の自分へ書き遺すことですから、読者は自分一人で構わないわけです。

 孤独は嫌なものだと思っている人が多い。それどころか、悪いもの、恐いもの、異常なものだと見る人もいる。特に、子供や若者は、孤独を必要以上に恐れている。それがどうしてなのか、僕もよくわからない。
(中略)
一人では生きていけない。これは事実だが、それでも、孤独を抱いて生きることは、けっしてそんなに酷い状態ではない。
同感です。
孤独を恐れる感情は、孤独になることが極めて生存に不利だった原始時代に、孤独を恐れる個体のみが生存し子孫を残すことを繰り返した結果、人類の遺伝子に深く刻み込まれたのでしょう。

現代人の脳には他にも色々と原始時代の習性が色濃く残っていて、現代社会を生きるのには最早必要のない恐怖や不安を感じやすいようにできているのです。(関連記事: 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘 玲 (著) その1

(つづく)

2015年7月14日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その2



その1の続きです。

p.162
 ブログやツイッターなどで、一般大衆が書いている文章を読むと、そもそも始めから最後までが個人的な意見であって、そのなかで「個人的には」と断って書かれている部分があっても、単なる「ちょっと本音を言えば」くらいの強調でしかない。つまり、「個人的には」の意味を成していない。
これは同感。意味のない前置きだと思うので、私は使わないように気をつけている言葉です。

正直、他人様のブログを読んでいて「個人的には」が出てくるたびに違和感がありました。この言葉が出てくると、それより前に書いてあることは個人的でないと宣言しているようなものだからです。個人ブログに書いてある内容が個人的でない何かであることの方が例外なので、個人的でないことを書き始める場合にのみ断りを入れれば済むと思います。

p.177
 電話はかかっても出ないし、ファックスもない。仕事は、全部断れるものばかりだが、ときどき、これくらいはやっても良いかな、というものだけOKする。疲れるから、仕事は一日に一時間以上しない。仕事関係では人に会わない。だから、自分のためだけに、ほとんどの時間を使うことができる。
本も沢山読めるようになったし、調べものもゆっくりとできる。なによりも、じっくりと取り組んで、新しいものに挑戦ができる。そう……、これは小学校のときの夏休みなんかに、「毎日がこんなふうだったら良いのにな」と空想した理想の生活だ。
素敵なリタイア生活ですね。
一日一時間以内とは言え、まだ仕事をしているのは意外です。お金はもう要らないはずなのに。
小説を書く仕事はとんでもなく儲かったけど好きじゃなかったそうです(関連記事:『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣 (著) その1)から、リタイアしてからやっと好きな仕事が見つかったということかな。

小学校の夏休みの喩え、分かります。毎日全力で遊んでましたからね。時間リッチだった学生時代の楽しい経験が、早期リタイアを渇望する原動力になっていたような気がします。

学生時代の場合、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、宿題や新学期という現実が待ち構えているわけですが、大人になってからのリタイア生活には宿題もない上に、使えるお金は桁違い。学生時代よりずっと幸せなのは間違いありません。

p.177
 時間的な余裕の大切さがわかった。物事をとことん考えることができる。また、余裕があれば、下らないことで腹が立たないのもわかった。
同感です。
時間の余裕はどれだけあっても困りません。その点はお金と同じ。

(つづく)

2015年7月12日

『素直に生きる100の講義』 森 博嗣 (著) その1



p.035
 お金がないから、体力ないから、才能がないから、時間がないから、などの「できない理由」のうち、切実だなと思うのは、時間がないからという言い訳だけである。時間さえあれば、ほかのものはなんとかなる。そして、生きている人間には、必ず時間はある。
概ね同意。
他のすべてが揃っていても、時間がなければ何もできないですからね。時間の確保が最優先なのは確かです。

ただ、どんなに時間リッチでもどうにもならないものもあって、それは肉体的な限界である体力や思考力、記憶力、視力、聴力などです。老化や病気でそれらの能力が劣化するのもけっこう切実だと思います。肉体的能力がある程度高くないとできないことはいっぱいあって、いつかそれをやりたかったのだけどいつの間にか歳をとってできなくなってしまった、というパターンの後悔は避けたいですね。

p.114-115「43/100 国が悪い、と声を上げるまえに、自分にやれることを少しは考えよう。」
 災難というものは誰にでも降り掛かる。地震も事故も台風も大雨も大雪も、誰かが起こそうと思って企てた悪事ではない。そういう災難に自分が遭遇したとき、なんとか助かったけれど甚大な害を被った。自分は被害者、被災者だ。自分はなにも悪くはない。普通に生活していただけだ。それなのにこんなに損をした。国になんとかしてもらわなくてはならない。援助が必要だ。こんな事態なのに対処が遅れた。予防が不十分だった。これは人災だ。こういうふうに考えていくと、悲しみが怒りに変換される。悲しむよりは怒る方が楽だ。何故なら、責める相手がいるからである。この気持ちは大変よくわかる。
しかし、まずは、自分になにかできることがなかっただろうか、と少しは考えてもらいたい。「そんなこと考えられるか。まったく予期しない事態だったのだ」と叱られるかもしれないが、宇宙人が攻めてきたというのではない。自然災害はすべて考えられるものだ。事故だって、絶対に起こらないとは絶対にいえない。たいていの場合は「まあ、大丈夫だろう」という解釈を自分がしているのである。
大雪が降ってビニルハウスが壊れたから、政府が援助するというニュースを聞いて、僕は、「雪が降ったら壊れるものでしょう?」と呟いてしまった。そのつもりで、作ったものではないのか(援助が出ることが歴史的な認識なのかもしれないが)。
万が一こうなったら、そのときはこうする、というくらいは自分で考えておいてほしい。もし考えていなかったとしたら、まずは、その点を反省してほしい。「人災だ」と怒るのはそのあとにしてほしい。つまり、「信じた私にも責任の一端はあるけれど」という言葉をまず発してもらいたい。「助けてもらって当然だ」では困るということである。
(中略)
自分を責める気持ちがなければ、またいずれ同じ災難に遭うだろう。避けられるものをまずは自分の知恵で避けていく、という気持ちが大事なのではないか。
引用が長くなりましたが、本来は全文引用したいくらいに、この2ページに書いてあることに共感しました。

自然災害なら誰の責任でもないはずです。しかし、何が何でも誰かの責任にしないと気が済まない人々(主にマスメディア関係者)が少なくないように思います。たとえば昨年の御嶽山の事故でも、噴火をまったく予知できなかった火山噴火予知連絡会の責任を問うような報道が見られました。

「まあ、大丈夫だろう」という判断でリスクを引き受けたのは自分自身であって他者ではない以上、いかなる結果が生じても他者のせいにしてはいけないでしょう。関連記事:
愚行権で検索していたところ、こんなツイートが目にとまりました。 http://t.co/RYZYzhSTq5 頑張れファイターズ。失明してしまった女性はお気の毒だが、とにかく人類の貴重な「愚行権」を守り抜こう。最後まで戦い抜いて欲しい。最高裁までいって負けたら、市民運動起こしま...
yumin4.blogspot.jp


どうしても避けたいリスクなら保険をかけるなど自分でコストを払ってヘッジすべきだし、登山のように楽しみとリスクが背中合わせのものは、リスクを受け入れて楽しむか、楽しみを放棄してリスクを避けるかの二択になります。

(つづく)

2015年7月1日

国家の財政危機は資本主義のせいなのか?

貧BPさんのブログより。
ギリシャ金融危機に関して | 貧BPの人生オワタ\(^o^)/旅
資本主義の矛盾のしわ寄せを一気に押し付けられ、庶民としてはまさに迷惑千万の事態と言ってよいでしょう。
ギリシャ政府の財政危機の話に、初っ端から「資本主義の矛盾」という言葉が出てきたので驚きました。このあとも、ギリシャ問題とは一見して無関係と思われるリーマンショック等の事例を引き合いに出したりして、資本主義への恨みつらみが述べられています。

ギリシャが財政破綻の危機に瀕しているのは、ギリシャ政府が財政規律を守らず、赤字国債を乱発して身の丈に合わない歳出拡大を続けてきたことが原因です。仮にギリシャ経済が資本主義ではなく共産主義だったとしても、政府があのような放漫財政を続ければ財政破綻は必至。この極めてシンプルな因果関係をスルーして唐突に資本主義のせいにするのは無理があると思います。

逆に、資本主義は間違っているから政府の介入が必要だと思い込んでいる人々の方こそ、財政危機に加担する側にいるのが現実ではないかと。
なぜなら、彼らは自分らの都合で大きな政府や公営社会保障というモンスターを召喚しておきながら、そのモンスターを維持するためのエサ代を自分ではろくに払おうとしないからです。どこまでも虫の良い国民の要求が、赤字国債乱発を民主的に正当化してしまうのです。

この受益と負担のアンバランスによって赤字国債が積み上がっていく構造は、明らかな民主主義の欠陥と言っていいでしょう。特例公債法みたいな悪法は即刻廃止すべきですね。

2015年6月25日

ファウルボールによる事故は自己責任

愚行権で検索していたところ、こんなツイートが目にとまりました。


いやほんと、ひどい判決だと思いますね。

元記事より。
ファウルボールでケガ→賠償 プロ野球界はどう向き合うべきか (ITmedia ビジネスオンライン) - Yahoo!ニュース
この裁判で札幌地裁(長谷川恭弘裁判長)は3月26日、同社に対して約4190万円の支払いを命じる判決を言い渡した。原告側は「投手は打者の思い通りに打撃させないことを目指して投球するため、プロ野球でも選手でも打球の方向や角度は予想困難だ。老若男女を問わず安心して観戦できる防球ネットなどを備えておくべきだった」と主張。判決でも長谷川裁判長は札幌ドームの内野席前に設けられていたフェンスではファウルボールを遮ることはできなかったと指摘し「球場の設備は危険を防止するに足りず、安全性を欠いていた」と断じて、原告側の主張を全面的に認めたのである。
原告も裁判所も一体なにを言っているんだ? という感想しか出てきません。

原告の方は、ファウルボールが飛んでくるリスクを承知の上で、内野席の中でもネットが無かったのか低かったのかはわかりませんが、そういう席で観戦していたのでしょう? 主張している「防球ネットなど」を備える席(バックネット裏など)で観戦しなかったのは自分自身の選択なのに、他者に責任転嫁するなんて…。

安全が何よりも大事という価値観をお持ちの方でしたら、ファウルボールが飛んでくる可能性がある席で観戦しなければいいだけです。外野席でもホームランボールが当たる可能性はあるので、もうテレビ観戦でいいのでは? 安全だ安心だとお経を唱えるような人は。

球場で観戦するのかしないのか、観戦するならどんな席を選ぶのか、一投一打に集中してファウルボールをよける努力をどの程度するのか、そういった選択をすべて自分自身が自由に決定できるのですよ。曲がりなりにも自由主義の国ですから。

その自由のトレードオフとして、自己選択の結果このような事故が起こった場合は自己責任に帰する。これが自由と自己責任の切っても切れない関係です。この大原則を覆した札幌地裁の判決には危惧を覚えます。二審以降で原告の主張が退けられることを願ってやみません。

関連記事:
テレビ番組でのホリエモンの発言が物議を醸しているようですね。 堀江貴文氏が高齢失業者を擁護するジャーナリストを論破「自己責任」 - ライブドアニュース : 堀江氏は、格差に対して個人は余裕のあるうちに、賃金を資本収益に転換すべきと指摘したのだ。 堀江氏は「とにかく消費にね、バンバ...
yumin4.blogspot.jp

2015年6月9日

住居の所有と賃貸の損得

最近、自分が住むための家は買う方が得か、それとも借りる方が得かについて考察する記事をよく見かけます。

「持家」と「賃貸」を比べると「持家」が得に決まってるよね。: 人は株のみで食べていけるか?
持ち家と賃貸、どちらが得か? | 自由になりたくて47歳で会社を辞めたらこうなった
「賃貸で一生家賃を払い続けても手元に何も残らない」は本当か? | Step to Next Life
賃貸と持ち家の生涯コストは同じはウソらしい | セミリタイア資金3000万を目指すブログ
2年毎に引っ越している私の賃貸 VS 持ち家への考え方。 | フクリの海外ETF長期投資ブログ

買うにしても借りるにしても、寝太郎さんが言うところの「超高級家屋」しかないのが、オーバースペックな国ニッポンの特徴ですからね。(関連記事: 『Bライフ―10万円で家を建てて生活する』 高村 友也 (著)
衣食住の中でも最も厄介なコストであることは確かです。結果的に生涯生活コストの多くを占めることになるので、特に早期リタイア志向の若い人にとっては、一体どちらが得なのかは気になるところでしょう。

私の場合は、早期リタイアなんてまだ眼中になかった20代の頃、今から思えば「何も考えてない」レベルの直感で35年ローンを組んでマンションを購入するという勇ましい行動に…。その後ローンは10年足らずで完済できたから良かったものの、マンションの価格は順調に右肩下がり。これまでのローン金利+含み損+固定資産税+管理費などの総コストを計算してみると、賃貸に住み続けていた場合と同程度になります。

しかし自分の場合はこうだったという過去のデータはただの結果論に過ぎないので、「所有も賃貸も結局損得は変わらない」などと結論付けるつもりはありません。

所有にも賃貸にも、それぞれ固有のリスクがあります。たとえば所有の場合は大地震や大津波などの災害リスク、賃貸の場合はインフレリスクなど。
所有と賃貸ではそれぞれどういう種類のリスクを負担するかが異なるだけで、どちらか一方を選びさえすればあとは何が起こっても安心、などということはありません。

損得についても、未来に発生する事象は予測できない以上、最終的にどちらが得になるかは「わからない」としか言えないでしょう。早期リタイアを目指す場合でも、それぞれのリスクとメリットを理解した上で、自分に合っていると思う方を選択すれば良いと思います。

2015年6月3日

ブロク開設7周年

当ブログ満7歳の誕生日を迎えました。
総PVは7年かかってやっと100万を超えたところです。感謝。

人生の時間があと何年残っているかわかりませんが、ここまでは思い描いた通りの自由なリタイア生活を送ることができているので大変満足しています。

無理に近況報告ネタを書こうとすると1年前の記事のコピペになりそうなので、最近共感した記事を一つ。

いや、事件が起こりましてね。Elder Scrolls Onlineがタダになったんで初MMOってことではじめたら結構面白..
d.hatena.ne.jp
いや、事件が起こりましてね。Elder Scrolls Onlineがタダになったんで初MMOってことではじめたら結構面白くてさ、まぁんで例によってハマってってそれがもうだいぶ前でんでそっからMMO自体が結構面白いんじゃね?って思ってさ、んで他にどんなのがあるのか?っつってそういえばFFとかドラクエだよなって思って割と評判が良いドラクエを始めたらまたそっからもう永遠とですよ。目の奥が毎日痛いレベルでやり続けててもう廃人ですね。
私も大学時代にファミコン版のドラクエシリーズを相当やり込んだクチなので、このハマりっぷりには恐ろしいほどのリアリティを感じます。初めてPCでMMORPGをプレイしたのは確かリタイアする直前だったと思いますが、従来のオフラインゲームとはスケールが違う奥深さに衝撃を受け、夢中になってやり込んだことを覚えています。

まさに「ハマり倒す」という表現がぴったりの状況において、足りないものはお金じゃなくて時間なんですよね。圧倒的に。
リタイアしたら時間を持て余すと言う人は、寝食を忘れるほど何かにハマり倒した経験が乏しくて、時間がいくらあっても足りない状況が想像できないのかもしれません。

ゲームが面白そうだからやってみようかなと思ったときに、金銭的コストがネックになることはまずありません。最近のMMORPGは基本プレイ無料、アイテム課金制のものが多く、無課金でも十分遊べてしまう不思議。ドラクエ10は月額課金制のようですが、それでも月々1000円程度。消費する時間の膨大さと比べたら微々たる金額だと思います。それよりもまず、自分の人生の残り時間の中から、このゲームにトータルで何時間消費することになるのだろうか、と慎重に計算するようになりました。

歳をとるにつれてどんどん時間が希少になるので、何事にもそう簡単にハマるわけにはいかなくなります。面白そうなものに一直線に向かって行って心ゆくまでハマり倒せるのも、時間リッチな若者の特権だったんだなあと、しみじみ思うのです。

2015年5月29日

早期リタイアすると太るか?

セミリタイアしたら絶対に太ると思う。より:
これでもしセミリタイアをして仕事を辞めたら?多分、ほとんど運動しない生活になると思います。と言うことは、何もしなければ確実に「太る」ということになると思います。
私も基本はインドア派(別名:ひきこもり系)のリタイア生活ですので、現役時代より運動量は減りました。
ところが、意外に太りません。むしろ少し痩せたかも。

その理由はおそらく、運動量の減少に合わせて自然に食べる量が減ったからだと思います。加齢のせいもあるでしょうが、明らかに食欲が減退しました。なかなかお腹が空かないんです。最近は1日2食の食事でさえ、たまに1食省くこともあります。

私の勝手なイメージでは、節約系早期リタイア達成者に肥満体型の人は少ないと思います。なぜなら、節約してリタイア資金を貯めることは、食欲をコントロールして食べ過ぎないようにすることと似ているからです。

セミリタイアをして時間が余った分、それなりに運動をしないと、体にも悪いし、健康にも悪いし、精神的にも悪いし、と思うんです。
その運動自体が楽しいからする分には良いのですが、運動しないと太るから運動しなければ、みたいな義務感に近いものになるのはよろしくないですね。そうなるぐらいなら、最初から摂取するカロリーを減らした方がいいでしょう。

BMI/標準体重計算
こちらのページに身長体重年齢を入力してみたところ、
40歳以上の男性のあなたは「やせ気味」です。7.3(kg)体重を増やしましょう。
こんなことを言われてしまいました。
そんなに太れない…。(苦笑)

2015年5月20日

定期預金はインフレ対策になるか?

Kotaroさんのブログより。
インフレになって、「預金金利<物価上昇率」となると預金の元本が目減りする。だから「貯蓄から投資へ」といのは早計だ。
soutai40.com
インフレ対策として「1年ものの定期預金」はアリだと思う。
私も7年前に書いた記事では、それに近い考えでした。(関連記事: 預金のインフレ抵抗力
しかし最近は、定期預金を含む銀行預金を持つことが「インフレ対策」になるとは思っていません。

2015年5月現在は、アベノミクスの金融緩和で金利が低く抑えられているが、
ここ、預金がインフレ対策になるかどうか考える上では見逃せないポイントです。

銀行預金がインフレ対策として機能するためには、インフレ率が上がるとそれに追従して預金の金利も上昇しなければなりません。インフレ率が上昇しているのに預金金利が一向に上がらない現在のような状況だと、定期預金の実質金利はマイナスになります。

参考記事: 
預金と物価の関係です。 何度も書いているので、飽きちゃった方がいたらゴメンナサイ。 ここ数年分の預金利息と消費者物価をグラフにしました。 出典は、  ●日本銀行の統計データ検索より、   預金金利、 1年定期(1000万円以上と300万円未満)        10年定期(  〃      〃    )         普通預金、 それぞれの平均利息  ●総務省 統計局の 消費者物価指数より ====== 利息は、6年前の10年定期であっても1%もありませんね。最近はもう限りな...
tak-tak-world.txt-nifty.com


現在の実質マイナス金利は一時的な状況で、まもなく名目金利がインフレ率に追い付いてくるのでしょうか?
もしアベノミクスに「金融抑圧」という意図があるのだとすれば、そうとも言えないと思います。

参考記事: 
「資産運用では株価だけではなく為替も考慮しよう」において、金融抑圧について言及しました。詳細について質問がありました。個人の資産運用においても重要な問題です。金
matsunosuke.jp


この記事にあるように、金融抑圧を伴うインフレはスローモーションの国債デフォルトを可能にします。天文学的な借金を抱える日本政府が歳出削減にも増税にも行き詰まったとき、表面的には波風が立たない金融抑圧政策でじわじわ借金を減らしていこうと目論むのは、ごく自然なシナリオだと思います。年金給付もマクロ経済スライドで削減できるし、まさに一石二鳥。

そうすると、定期預金で長期運用した結果、30年かけて購買力が半分になっちゃいました~、なんてことも普通にあり得る話ではないかと。30年でマイナス50%のリターンというのは、年率わずかマイナス2.3%で達成(と言うのも変ですが)可能な数字です。ゆでガエル作成のようなゆったりとした目減りなので、預金保有者が「大打撃」と認識するまでには長い時間がかかるはずです。

私はこのような思考経路を辿った結果、定期預金はインフレ対策としては「ナシ」という結論に至りました。

ただし、定期預金が毎月分配型投信のように何の役にも立たない金融商品だと言っているわけではありませんので念の為。わずかばかりのインフレリスクを負う覚悟さえできているなら、悪くはない選択だと思います。