2011年3月10日

『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘 玲 (著) その1



序章で、私も先月読んだばかりの『勝間さん、努力で幸せになれますか』などに見られる勝間vs香山のバトルについて、
勝間×香山論争は、それだけを読んでもじつはあまり面白くない。二人の議論がほとんど噛み合っていないからだ。しかしその背後には、能力主義やグローバル資本主義や市場経済における自由と平等といったきわめて現代的なテーマが隠されている。
と述べています。
噛み合っていないのはすぐにわかりましたが、背後にそんな重要なテーマが隠されていたとは気付きませんでした。
勝間の主張は、香山の批判を受けて自ら書いた本の題名に端的に表れている。

やればできる。

だが行動遺伝学は、次のようにいう。

やってもできない。

もうちょっと正確にいうと、適性に欠けた能力は学習や訓練では向上しない。「やればできる」ことはあるかもしれないけど、「やってもできない」ことのほうがずっと多いのだ。
こちらが正しければ、努力に意味はない。やってもできないのに努力することは、たんなる時間の無駄ではなく、ほとんどの場合は有害だ。
日本人は学校教育などで、結果が出るかどうかにかかわらず、とにかく努力すること自体に価値があるという「努力至上主義」を刷り込まれてしまった人が多いように思います。大人になってからも、「とりあえず精一杯やってみて、それでもダメなら仕方がない」みたいなことを言う人をたくさん見てきました。

だけど、努力のコストはタダじゃないんですよね。適性も見極めずに闇雲にチャレンジして、何も結果が残らないというのは、有限な時間やお金をドブに捨てているに等しいのではないでしょうか。

 一流企業に入社できれば、二十代の若者でも数億円の人的資本を持つことになる。こんな大金、ほかの手段ではとうてい手に入らないから、彼/彼女にとって経済合理的な選択肢はたったひとつしかない。なにがあっても会社にしがみつくことだ――実際、ほとんどのサラリーマンがこうした合理的行動をしている。
橘ファンにはおなじみの「サラリーマン債券」というやつです。
人的資本を債券と同等とみなす考え方に異議があることは、
昨日の記事 で紹介した『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』では、安定した給与収入を生み出す自分自身という人的資本を、1億円程度の現在価値をもつ「サラリーマン債券」とみなす考え方が出てきます。 確かに面白い考え方だとは思いますが、一晩考えた結果、私はこれは誤りであるとの結論に至りま...
yumin4.blogspot.jp
で述べた通りです。

定年まで会社にしがみつくことが唯一の合理的選択というのも、かなり無理のある結論に見えます。場合によっては、定年より早く時間の切り売りをやめるという選択が合理的なこともあるでしょう。

私たちの祖先は肉食獣の格好のエサだった。だからこそ不安は、ひとのこころの奥深くに宿痾のように巣食っている。核戦争や環境破壊や日本国破産などぼくたちはいつも未来の厄災に怯えているが、それは「現代社会の病理」などではなく、何億年もの進化の過程で最適化されたこころの必然なのだ。
楽天家の原始人も存在したのかもしれませんが、そういう性格だと肉食獣の餌食になりやすいため淘汰されたというわけです。

先天的に人類はみな心配性なんですね。
ところが肉食獣の脅威がなくなり、さまざまな危険の度合いを客観的に知ることができる現代においては、不安は逆に正しい判断を妨げてしまうことがあるので注意が必要です。
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長くなりそうなので記事を分けます。

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