2015年3月30日

自己責任の否定は自由主義を駆逐する

テレビ番組でのホリエモンの発言が物議を醸しているようですね。

堀江貴文氏が高齢失業者を擁護するジャーナリストを論破「自己責任」 - ライブドアニュース
堀江氏は、格差に対して個人は余裕のあるうちに、賃金を資本収益に転換すべきと指摘したのだ。

堀江氏は「とにかく消費にね、バンバン金使っちゃって、何も投資をしてないわけじゃない。でも本当は投資できたわけでしょ? めちゃくちゃ稼いでたっておっしゃいましたよね?」と、荻原氏の発言に噛み付いた。

さらに、堀江氏は「そこで贅沢をして、夜の街とかで散財したりパチンコやったりとかして、めっちゃ金使ったんだと思いますよ。だけど、それは半分くらい何か、株式に投資をしとくとか、できたんですよ」と、まくしたてた。
この記事に書かれているホリエモンの発言を見る限りでは、特に過激ということもなく、極めて真っ当なことしか言ってないように見えます。何がそんなに引っ掛かるのか、正直理解に苦しみます。もしかして貧困とは無縁のホリエモンが言うから鼻につく? いや、そんな発言者の属性は発言内容の正しさとは関係ないはずですよね。

一つ注文をつけるとすれば、流行りのピケティに絡めて「賃金を資本収益に転換」とかいう小難しい話にしてしまったことでしょうか。彼らが貧困に喘いでいる原因は投資をしなかったことではなく、もっとシンプルなことなのに。つまり、収入があればあるだけ消費して全く貯蓄をしないという、将来よりも現在の楽しみを何よりも優先する支出配分を選択してきたこと、それに尽きます。

こうやってシンプルに考えると、すべては彼ら自身の選択の結果にすぎず、それが自己責任ではないと主張する方に無理があることは明らかだと思います。

「(散財を)国が『そんなのは駄目なんだ!』って言うことだってできないわけでしょ? じゃあ、これもう完全に自己責任じゃん」
ここ、すごく重要です。
貧困の責任を自分以外の他者(この文脈では国=政府)に求めようとすると、お金の使い方を決める自由をその他者へ売り渡すことになります。この法則は貧困に限らず、あらゆる行為について成り立ちます。行為の責任が少しでも他者に転嫁されるのなら、その分だけ個人の自由は制限されます。自由と責任は表裏一体の関係であり、切り離して考えることはできません。

私は一人の自由主義者として、個人の自由権ができるだけ守られる社会であってほしいと心から願っており、そのためには自己責任の原則を徹底することが必要不可欠だと思っています。

ところが、日本では自由を売り渡してでも自己責任を否定したい人の方が多いようなのです。
つい最近、外務省がフリージャーナリストのパスポートを強制返納させる事件がありましたが、その賛否を問うアンケート結果がこちら。
"パスポート返納"、賛成?反対?-BLOGOSアンケート:
邦人保護の観点から、外務省はISIL支配地域への渡航自粛の求めに応じない場合、旅券返納を行う方針。この措置に対し、憲法が保障する「移動の自由」の観点から批判の声も。
危険地域へ渡航しようとする人からパスポートを取り上げ、憲法で保障されている移動の自由を奪うことに賛成する人が、なんと79%を占めるとは…。驚きを通り越して、恐怖を覚えます。

こういう自由軽視の価値観をもつ人の方が多数派ということは、自由主義は民主政治の数の暴力で次第に駆逐されてしまうのではないかと。

え?自分は危険地域なんか絶対行かないから賛成しただけ?
そういう思考パターンは非常に危険ですよ。



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