2015年4月8日

自ら仕掛ける「貧困の罠」

自己責任というキーワードは何かと話題になりやすいようで、retire2kさんのブログにこんな意見がありました。

40代貯金2000万でセミリタイア : 今週の週刊東洋経済「あなたを待ち受ける貧困の罠」
「自己責任」というのは、自らリスクを取って行動を起こした時に、
そのリスクが実現した場合に使うべき言葉であって、
最低限の義務として国民年金納めてなかったとかなら別ですが
「善管注意義務を怠ったら自己責任」的に使われるべきではありません。
もしそんな注意義務があるならちゃんと言っておかないと。
前半部分は、「自らリスクを取って行動を起こした時」に含まれる範囲がかなり狭そうなのが引っ掛かります。「リスクを取る」ということ自体に、積極的に何かにチャレンジするようなイメージがあるのですが、結果が自己責任なのはそのような場合に限らないのでは?

たとえば、ただただ消極的に多数派に合わせるだけの選択を積み重ねることを、「自らリスクを取って行動を起こした」とは言いませんけど、その結果として貧困に陥ったとすれば、積極的に行動を起こした場合と同じく自己責任であることに変わりはないと思います。両者を区別すべき理由が見当たりません。

後半部分は「善管注意義務」の意味するところがよくわからなかったので調べてみました。
注意義務 - Wikipedia
善良な管理者の注意義務(善管注意義務)とは、債務者の属する職業や社会的・経済的地位において取引上で抽象的な平均人として一般的に要求される注意をいう[2][3]。これはローマ法の「善良な家父の注意」に由来し[3]、フランス法の「良家父の注意」[4]、ドイツ法の「取引に必要な注意」がこれにあたる[1]。この一般的・客観的標準に基づく程度の注意を欠く状態を抽象的軽過失[1]あるいは客観的軽過失という[3]。
む、むずかしい…。
しかしこれ、「取引上で~要求される注意」と書かれている通り民法上の用語であって、要するに何らかの民法上の契約(例:委任契約)をしている相手方に対して負う責任ってことですよね。
自己責任とは契約上の他者に対する責任を負うことではないので、全く関係ない気がするのですが…。
なので、そもそも「善管注意義務を怠ったら自己責任」という言い方は、用語の使い方が間違っている点でおかしいと思います。

この用語を使ってretire2kさんが表現したかったのは、「貧困に陥らないように自分で注意する義務」のことかなと想像します。そうだとすれば、そのような義務はどこにも存在しないとしか言えません。前回の記事で引用したホリエモンの発言
「(散財を)国が『そんなのは駄目なんだ!』って言うことだってできないわけでしょ? じゃあ、これもう完全に自己責任じゃん」
で指摘されている通り、日本国民は誰一人としてそんな義務を課されていないのです。なので、「義務を怠ったから自己責任」なんて言い方をしている人がいるとすれば(私は見たことがありませんが)、何か勘違いをしていると思われます。

もちろん、義務がないというのは素晴らしいことです。どのようなお金の使い方をしようが完全に本人の自由ですから。そして、その自由の裏側に自己責任がくっついているだけのことです。

日本では貧困問題との絡みでなぜか自己責任という言葉だけを殊更に取り上げ、ネガティブな意味を植え付けようとするバイアスが顕著で、その表側に確かに存在するはずの自由の価値がほとんど評価されていないのはとても残念なことだと思います。


ちなみに元記事
多くの日本人が貧困に沈むのは、なぜなのか | 最新の週刊東洋経済 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
は斜め読みしましたが、そこに登場する50代男性の事例は「またかよ」とつぶやくしかないようなものでした。こういう事例を反面教師にして、高収入でもきちんと支出をコントロールして無収入になるリスクに備えましょう、という話につなげていけばいいものを、
この男性のように普通に生活をしていても、貧困に陥る「罠」は少なくない。
などと、こんなハイリスクな生活を「普通」の一言で片付ける異常な感覚。そして、自己責任を省みることなく無理矢理にでもセーフティーネットを拡充する方向へ誘導するのですから、こんな記事は害悪としか言いようがありません。

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