自分がわかりやすい文章しか書けないことにコンプレックスを持ってしまうな。わかりやすい文章なんて誰でも書ける、わかりにくいことを書けるほうがすごい
— pha (@pha) June 18, 2020
いや、さすがにこれは無いと思いました。わかりにくい文章こそ誰でも書けるんじゃないかと。
実際、小一時間ツイッター眺めているだけで、意味がはっきり取れない日本語がいくらでも目に入ってきます。
よくある悪い例が、修飾語がどこにかかるのか確定できない文です。
テキストチャットで相手が致命的に国語出来ない人だと「頭が赤い魚を食べた猫は居ますか?」風な質問が平気で飛んできて、「確認ですが赤いのは魚の頭ですか?」と訊き返すと「赤いのは猫です、日本語勉強して下さい」と謎のマウントを取られる事がある。反論面倒なので流すけどストレスは溜まるよね。
— ERAL (@eral_r_l) February 20, 2020
少し語順をいじって「魚を食べた赤い頭の猫は居ますか?」と書くだけで意味が確定するのに、ただ思いつくままに語句を並べた曖昧な文を作ってしまいがちなのが凡人の特徴です。曖昧さを指摘されてもまだ気付かないレベルまで行くと、さすがに国語の偏差値低すぎ!と言うしかないです。こんな日本語を量産する行為が「すごい」なんてことは全くないと思います。
私のような凡人の場合は、わかりやすい文章を書くためには時間をかけて推敲しなければなりません。それなりの論理的思考力も使いますし、だからこそ文章を書くことが面白いと感じます。他人様の書いたものを読むときも、ここをこう書き換えるともっとわかりやすくなりそうだなとか考えながら読むのが好きです。
ゲーム感覚で受験した京大に受かってしまうほど地頭の良いphaさんの場合は、特にそれを意識せずとも最初からスラスラとわかりやすい文章が出力できてしまい、それ故につまらないと感じる部分があるのかもしれませんね。
私はphaさんの書くわかりやすい文章が好きなので、是非そのままのスタイルを続けてほしいと思っています。
参考記事:
もう20年くらい、ずっと文章を書いている。最初は趣味で、ウェブ上の日記に思ったことを書いたりしていただけで、読むのは知り合いくらいだったのだけど、いつの間にか顔も知らない人に読まれることが増えて、書くことでお金をもらうようにもなった。 だけど、…
0 件のコメント:
コメントを投稿