2011年6月18日

『お金とつきあう7つの原則』 山崎 元 (著) その2



昨日の記事の訂正から。
山崎氏の著書を読んだのはこれが初めてではありませんでした。2年前に『超簡単 お金の運用術』を読んだことをすっかり忘れていました。こんな時に役立つ備忘録、やっててよかったです。

確かにお金は大切なものだが、お金自体が永続的に価値を持った確かなものだという思い込みをせずに、その時々に合った方法で少しドライに扱うのがいいのではないか。
「お金との距離感」の前提として、筆者はそのように考えたい。
そうですね。
お金に無頓着でもダメですが執着しすぎるのも考えもの。程よい距離感を保とうと思います。

お金について思うのは、ツール(道具)としてのお金は感情的に扱うのではなく、むしろ機械的に、計算に基づいて合理的に扱うのがいいということだ。
この点に関しては、誰のお金であっても、金額の大小も関係ない。つまり、自分のお金もあたかも他人(顧客)のお金であるかのように扱うのがいいということなのだ。
そのためには、お金の性質を知ると同時に、自分の状況と感情を客観視することが大切だ。素人の直感と、素朴な感情のいくつかを修正しなければならないが、これはお金について正しい知識を持つことで十分可能だと思う。
お金の知識もそうですが、直感や感情が陥りやすい不合理のパターンを知っておくことも重要ですね。たとえば『予想どおりに不合理』に書いてあるような。

お金の世界では、「好み」だからとか、「気が済むから」といった感情に基づいて行動するのではなく、確率を考えるとこれが得で合理的だという方法、これ以上は少なくとも大きくは改善できないという方法を淡々と実行するほうがいい。しかし、合理的なお金の扱い方は、しばしば自然な感情と対立するし、金融ビジネスの側は、そこにできるギャップを儲けの種にしようと狙っている。
お金は原則に忠実に、感情を込めずに扱うべし。カモにならずに、爽やかにお金とつきあうためには、そうするのが一番いい。
「大らかな合理主義」ですね。賛成です。
自然な感情に反する行動をとるのは、しっかり意識して訓練しないとなかなか身につかないかもしれませんが、それだけの価値はあります。これができない人からお金を吸い取る仕掛けがそこらじゅうにある世の中ですから。

山崎氏個人の「お金の思想」=お金のために頭を下げることは平気だが、お金のために嘘をつくのは嫌だ。
この正直さが災いして、マネー誌の連載コラムの仕事は回ってこないそうです。広告主の商品を全否定することになりかねませんから。
業界寄りの嘘を言ったり書いたりする評論家やライター、ファイナンシャルプランナーについては、そのメッセージ自体が嘘であることは強く指摘したいが、彼ら彼女らのそうした商売の仕方自体は、それぞれに事情もあるのだろうし、プライドの持ち方が違うのだろうと理解している。こういう人たちを指して「人間のクズ」などと言うことがあるが、これは私がいけない。正しいけれども、言い過ぎである。
(斬殺音) 強烈です。
この業界の人たちの多くが、スポンサーからの広告収入や販売手数料のキックバックなどに依存しているため、嘘をつかざるを得ないという事情が見えてきます。人間のクズと言うより、そんな仕事してて苦痛ではないのだろうかと思いますね。

逆に、山崎氏のような正直者の業界人は貴重な存在なのです。マネー雑誌なんか買うお金があるなら彼の本を買いましょう。

お金の管理方法について。
お金の出入りを細かく把握することが重要な場合も時にはある。しかし、あえて言わせてもらうと、お金のことを気にせずに生活して結果的にはつじつまが合うような金銭感覚を持っていることが理想的ではないだろうか。
気にせずに生活してたらつじつまが合わなくて常に金欠状態の人も、いくらでもいそうですけどね。大雑把でも把握しているのと、まったく気にしないの間には大きな隔たりがあると思います。

自分のお金が余る方向に間違えるのはいいが、足りなくなる方向に間違えてはいけない。
これも程度問題な気がします。
絶対に足りなくなってはいけないと思い込んでいると、死ぬ寸前まで貯蓄を続けることになりかねません。実際、日本人の高齢者はそうなってますけど。
余る方向ならいくら間違えてもいいかというと、そんなことはないのです。

(つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿