インターネットの山師を見分ける方法として、「自由は必ず生贄を必要とする」原則を覚えておくべきだと思う
— 脱税レイヤー風呂屋さん (@557dg4) September 25, 2018
当然だけど、誰もが自由気ままに生きれば「必要だが嫌なこと」をやる方はいなくなり、集団や社会は崩壊する
つまり山師が唱える「自由」の生贄が周りに見当たらない時、生贄は貴方なのである
「自由は必ず生贄を必要とする」原則これは初耳ですね。極めてユニークな「自由」の概念であり、私が今までに見聞きしてきたものとは全くの別物に見えます。
先日記事にしたブラック社員のようにずる賢く立ち回り、公権力による強制を利用して他人から財産を奪えば経済的自由が手に入る、みたいな話でしょうか。あるいは、自分がやりたくないことを他人にやってもらうときに、双方の合意のみに基づく取引をするのではなく、何らかの強制力を行使して無理やりやらせている、という意味でしょうか。
いずれにせよ、それらは確かに他人の犠牲の上に成り立つものであり、強制される他人が「生贄」ということになるのでしょう。
しかし生贄が「必ず」必要というのは間違いです。先日も書いたように、他人から奪うことが豊かになる唯一の方法であるわけがないのです。他人を欺いたり他人に何かを強制したりせず、相互に意思が一致した相手とだけ取引を重ねることによっても豊かになれます。むしろこちらの方が資本主義の「原則」であり、他人から奪ったり取引を強制することができる方が異常なことなのです。
そして社会が自由であればあるほど、意思に反する取引を強制されることがなくなり、無理に他人から奪おうとする人は誰にも相手にされず自然淘汰されます。このツイートとは正反対に、社会が不自由であればあるほど「生贄」が生まれやすくなる、という法則が成り立つと思います。
参考ツイート:
真っ当な商人は継続的な付き合いがお互いにとって利益になるので、お互いの繁栄を願える非常にいい関係が結べます
— えらてんチャンネル@一発屋で終わりたくない (@eraitencho) February 11, 2018
当然だけど、誰もが自由気ままに生きれば「必要だが嫌なこと」をやる方はいなくなり、集団や社会は崩壊するいえ、全く「当然」ではないと思います。
何がどの程度「必要」で何がどの程度「嫌」なのかは人によって違います。需要はあるのに供給がない仕事がどこかにあるのだったら、それは大儲けするチャンスですから、少しぐらい嫌でもやる人が現れたり、自動化する機械などが開発されたりします。
「自由気ままに生きる」ことを、「少しでも嫌なことはやらなくていい」とか「少しでも必要なものはすべて手に入る」状態であるかのように夢想するから、話がおかしくなるのだと思います。資源は有限なのでそんなユートピアはどこにも存在しません。
参考ツイート:
そもそもみんな違うし、違う生き方をすればよい。違いがあるからこそ互いにできることとできないことを交換してより豊かに生きることができる。差があることを恐れて何になるだろうか?
— ユキノシバリ (@yukinoshibari) April 23, 2018
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