面白いテーマですね。評価されるってのはどれだけ多くの人にとって都合のいい存在になれたか、ってことなんだよね。ただ生活する金がほしいだけなのにそれをしなければならないとしたら、そりゃあ生きる意味わかんなくなるよ。
— とれいC (@sakenomitracy) December 2, 2018
「多くの人にとって価値のあるモノやサービスを供給することが、金銭を獲得するための効率的な方法である」
これが資本主義経済の法則であることは確かです。
ただ、そこまで効率を求めないのなら、「それをしなければならない」とまでは言えない気がします。たとえば一人の会社員が供給している労働力なんて、多くの人ではなくごく一部の人間(雇用主や株主)にとって都合のいいものでしかないけど、それなりの金銭を獲得することはできます。
いやそれっぽっちの金では足りないと思うのなら、たとえば起業して多くの消費者に気に入られるものを供給し、短時間でもっと多くの金銭を獲得するという手もあります。
逆に他人にとって都合のいい存在になど絶対になりたくないと思うのなら、分業と交換によって成り立つ資本主義経済に参加することはできなくなりますが、完全自給自足で一人で生きていく手もあります。
何かにつけて誤解されがちな資本主義ですが、社会主義のように全員に参加を強制するシステムではありません。嫌な人は離脱してもいいよという懐の深さがあるのです。
少し話が逸れました。
ただ生活する金がほしいだけなのになぜ生活するのに金がほしいのかと言うと、その金を使って、消費者である自分にとって都合のいい供給者と取引したいからですよね。自給自足するのがいかに大変で、生活に必要なもののほとんどは他人から調達する方が遥かに効率がいいことを知っているからですよね。
結局、人はみな自分にとって都合のいい人々を利用しながら生きているわけで、そんなのはお互い様と言いますか、たとえばあなたが普段利用しているスーパーの店員さんも、金銭獲得の手段として雇用主を利用しています。その雇用主は客であるあなたを都合よく利用しています。誰かに無理強いされるわけでもなく自発的に取引している限り、自分が誰かにとって「都合のいい」存在であることを忌避する理由は何も無いように思います。
「都合のいい」という言葉をもう少しポジティブな意味に捉えてもいいのではないかと思います。そうすることで「生きる意味」がわかるようになるのかと問われても、そこは保証できませんけど…。
参考ツイート:
「テメエのケツはテメエで拭け」は、生存戦略として間違っていて、世の中探せば「金払うからケツ拭かせて!」というような狂人が必ずいるので、ケツはそいつに任せて、じぶんは何において狂人なのかを理解し、それを他人の分まで徹底してやることが求められてきている。ケツは外注、じぶんのケツを探せ
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) December 3, 2018
職場の機械化はそこだけ見ると“省人化”だが、全体で見ると“分業化”。分業のメリットがわからない人はテレビもスマホも自宅で原料から作ってみると良い。
— 故郷求めて (@furusatochan) February 18, 2018
「等価交換」という言葉を先ほど使いましたが、オーストリア経済学では等価交換など存在しません。モノの価値は諸個人が主観的に判断し、相手が持つモノを自分のモノよりも高く評価するから交換が生じ、両者が得をするのです。それが自由な市場経済です。もし等価だったら、交換する必要がありません。
— Mr.Kite (@iwakura1204) October 26, 2018
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ツイッターより。 インターネットの山師を見分ける方法として、「自由は必ず生贄を必要とする」原則を覚えておくべきだと思う 当然だけど、誰もが自由気ままに生きれば「必要だが嫌なこと」をやる方はいなくなり、集団や社会は崩壊する つまり山師が唱える「自由」の生贄が周りに見当たらない...
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