2013年11月21日

「熟年サバイバル~年金減額時代を生きる~」の感想 その3

先日の記事の続きです。

消費しないピノキオさんのブログより。
リタイア後の悠々自適の生活は与えられるものではない - 消費せず働きもしない未来を歩む遊民の独白
宇野常寛さんが良いことを言っていた

国が本来やるべき社会保障を企業に押し付けている
限られたパイの中で奪い合いをさせられている
ここは私も共感しました。
パイなら全員に行き渡るように分けることもできるので、椅子取りゲームにたとえる方が適切ですね。

宇野さんの発言の直前に小室淑恵さんからも
「年金政策の失敗を若者へのしわ寄せで解決しているように見える」
と、ピンポイントで問題の核心を突く発言が出ています。

彼らが指摘する通り、現行の年金制度には当初から致命的な欠陥があるにもかかわらず、政府は何ら根本的な制度改革を行わず、破綻を先延ばしにするためにチマチマと保険料負担を増やしたり支給開始年齢を引き上げるなどの愚策を繰り返すばかり。今回の65歳までの雇用義務化は、そのような愚策によって空白の5年間を発生させた責任を民間企業に転嫁する厚顔無恥な政策です。企業は払わなくて済むはずだった賃金だけでなく、社会保険料(厚生年金、健康保険、雇用保険)の会社負担分まで払わされることになり、まさに踏んだり蹴ったり。最大の被害者はコストが増える企業であり利益分配が減る株主でしょう。

また、労働者の視点に立てば、元々企業に課せられている強い解雇規制との合わせ技により、いったん正規雇用という椅子に座れた人は65歳まで立たなくていい、というアンフェアなルールで椅子取りゲームをやらされているようなものです。よって、労働市場に新規参入する若者や、何らかの理由で椅子からこぼれ落ちた人たちが第二の被害者となります。

明らかにおかしなルールなのでゲストの方からも「なぜ若者の雇用は義務付けないのか?」「なぜ女性の雇用は~?」という声が上がっていましたが、そもそもどのような属性の人間であれ、政府が民間企業に「雇用を義務付ける」など、社会主義国の政策です。資本主義、市場経済の国では、労働力の需給も市場メカニズムによって最適化されるべきでしょう。

ツイッターにこんな意見がありました。
ほんとにコントみたいな話ですが、真面目な企業ほど、悩んだ末に本来不要な仕事をわざわざ作ってしまうのでしょうね。こんなふうに企業に手枷足枷をはめて奴隷のように扱う国のトップが成長戦略を語るなんてちゃんちゃら可笑しいです。本当に経済成長を望んでいるのなら、まずは民間企業の足を引っ張る政策をやめることから始めないと。

一時は解決したかと思われた医薬品のネット販売規制再発の件もそうですけど、一向に良くなる気配が見えない日本国政府の傍若無人な振る舞いを見ていると、国内株式の割合を市場ポートフォリオよりも高めにする「ホームバイアス」は避けるべき、という思いがいっそう強くなるばかりです。

2013年11月11日

「熟年サバイバル~年金減額時代を生きる~」の感想 その2

先日の記事の続きです。

retire2kさんのブログから。
熟年サバイバル ~年金減額時代を生きる~ : 40代貯金2000万でセミリタイア
60歳以降どう働くかよりも、60歳で仕事を辞めてもいいようにするには、という視点がもっと欲しかったですねぇ。
そうですね。
「年金減額時代を生きる」という副題がついているわりには、収入が減るならどうやって支出を減らすかとか、足りない分をどう貯蓄で補うかといった最もシンプルな発想がほとんどなく、無理にでも働いて生活環境や生活レベルを現状のまま維持しようとする方向に著しく偏重していました。これが違和感の最大の原因じゃないでしょうかね。

唯一、番組の最後のほうに少しだけ田舎へのプチ移住のVTRが出てきましたが、実は移住ではなく単なるロングステイというオチでした。あんなのはお金に余裕がある人しかできないみたいな不毛な結論に落とし込まれそうなところを、宇野常寛さんが非常に良いコメントを残していたのがせめてもの救いです。

宇野さんは他の話題のときも「そもそもみんなそんなに働きたいのかな?」「僕だったら60過ぎて週5日とか絶対働きたくない」という趣旨の発言をされていて、出演者の中で最も光り輝いて見えました。その真っ当な発言に対してすかさず「いや、(60になっても)働いてるよ」と突っ込んで笑いをとったつもりの三宅アナ、頭が硬すぎますよ。全然笑えません。

もう一人、そんな異様な雰囲気の中で出てきたデーブ・スペクターさんの発言もオアシスのようで、ホッとしました。
すごくいいポイントを突いているのになぜか三宅アナがスルーしたのか、編集でカットされたのかわかりませんが、すぐ別のどうでもいい話題に移ってしまいました…。

「ええい、ホワイトベースはいい! ガンダムを映せ、 ガンダムの戦いぶりを!」by テム・レイ

やはりテレビというメディアは見たいところを自分で選べないので非常に歯がゆいですね。

年金減額で熟年サバイバル 老後のゆとり生活とは? NHKスペシャル | 中高年から輝くために|人生を前向にするシニア情報サイトfrom4050
資金面ばかりのゆとりではなく、「本当の意味のゆとりとは何か」
ということを、論議してくれることをNHKさんに期待しています。
同感です。

2013年11月9日

「熟年サバイバル~年金減額時代を生きる~」の感想 その1

11月2日にこのようなタイトルの番組が放送されたそうです。うちはテレビがないので生で見ることができませんでしたが、幸い動画サイトに番組丸ごとアップされていたので見てみました。

う~ん、何なんでしょうね、この違和感…。
とても一言では表現できないので、こういうときはまずネット上の反応を見てみましょう。

最初に目に入ったのがmushoku2006さんのブログです。リアルタイムで視聴しながらの率直な感想が書かれていました。
NHKスペシャル シリーズ日本新生「熟年サバイバル~年金減額時代を生きる~」 : 年間生活費100万円! 36歳からのドケチリタイア日記
しかし、60歳を超えているのに、
多額の住宅ローンを抱えていて、
働かないとやっていけないと言っている人たち、
「アホじゃね?」
いかにも人生設計してなさすぎでしょうに。
同感です。
80歳までの住宅ローンを背負っているという64歳のゲストの方が強烈すぎて忘れられません。
45歳から35年ローンを組んだってことですよね~、何と無謀な。
子供がまだ大学生だの何だのと、金が必要な理由を切々と語っていましたが、晩婚のため子供が生まれたのが40代なら、それまでの20年間に十分な貯蓄ができていないとおかしい。仮に45歳で家を買うとしてもキャッシュで買える範囲にしないと…。

他にも住宅ローンで身動きが取れなくなっている人が二人いましたが、彼らは次の記事を100回読むべきだと思います。
10年以上のローンはだめです - Chikirinの日記
分相応に暮らしましょう。
これができていないのにサバイバルもクソもないでしょう。

この場面の直前、元大手就職情報会社常務の人(66歳)が清掃業務の職業訓練を受けているVTRも不可解でした。会社役員が定年退職したらそれなりの退職金が出るはずなのに、なぜか駐輪場管理のアルバイトで食いつないでいるとか。さらに66歳なら年金も3階部分まで満額支給のはず…。潤沢な退職金や年金が一体どこに消えてるのか何の説明もなく、働かなければならない理由がさっぱりわかりませんでした。

長くなってきたので記事を分けます。

2013年11月4日

Skypeクレジットの有効期限

固定電話を契約していない私が電話をかける必要があるとき、Skypeを使っているという話をこちらの記事で紹介しました。

そのSkypeクレジットについての要注意情報が書かれたブログがありました。
Nexus 5が日本でも発売されたけど | 年間120万円生活 -働きたくねぇ.com-
Skypeクレジットには有効期限があって、最後に使った時から180日経つと無効になるので注意。
はい、ここまでは知っています。
つまり無効になる直前に一度でもSkypeOutを使えば、そこからさらに有効期限が180日間延長される仕組みです。私はアメリカのTOLL FREE番号に発信して、Skypeクレジットを消費することなく有効期限を延長しています。

ところが…
と思ったら、今はこんな条件になってるのか。これならWebから買わずに、ファミリーマートのFamiポートでSkypeクーポン買った方がいいな。500円から買えるし。

Skype利用規約

日本にいるお客様がSkype WebサイトからSkypeクレジットを購入した場合は、この段落は適用されず、Skypeクレジットは購入日から6ヶ月後に失効します。 Skypeクレジットを失効日以後に使用することは許可されていません。
Skypeさん、これは酷い! なぜに「日本にいるお客様」限定の改悪??
ウェブでSkypeクレジットをチャージする場合、確か最低1500円かかるので、それを6ヶ月以内に使い切らないと失効してしまうという恐ろしい仕様になっています。一体いつの間にこんなことに…。
コンビニで買ったクレジットとウェブで買ったクレジットが混在している場合はどうなるのか、よくわかりませんね。

とにかく、ごく稀にしか有料通話の発信をしないユーザーは、Skypeクレジットをウェブでチャージすべきでないことを、ぜひ覚えておきましょう。

2013年10月24日

『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣 (著) その5



『「やりがいのある仕事」という幻想』 森博嗣 (著) その4の続きです。

 僕は国立大学の教官だったから、指導していた学生はみんな超エリートだった。子供のときにはクラスで一番だった人ばかり、田舎では神童と呼ばれた人たちだ。(中略)それでも、ある年齢になったときに、相談に来る人がいる。
中には、人生に疲れたのか、自殺してしまった人もいる。仕事が上手くいかなかったというわけでもない。ローンはあるけれど、お金に困っていたわけでもない。ただ、会社、子供、ローン、両親、いろいろなものに少しずつ縛られて、身動きできなくなっていた。気づいたら、自分の自由なんてどこにもなかった。ただただ、働いて、毎日が過ぎて、酒を飲んで、疲れて眠るだけ、その連続に堪えられなくなるらしい。
いわゆる勝ち組の見本みたいな人生に疲れてしまう人…。分かる気がします。
自分の自由がどこにもない状況には私も耐えられないと想像します。不自由への耐性は人によってけっこうばらつきがありそうなので、同じ状況でまったく平気な人もいくらでもいるでしょうけど。

不自由への耐性が低いにもかかわらず、その自覚なしに上記のような人生を歩んでしまったら、それはもう「若さ故の過ち」で済まされないほど不幸なことだと思います。資産運用時のリスク許容度と同じように、人生における不自由許容度も早めに自覚しておくべきでしょう。

 これとはまったく反対に、僕の教え子で優秀な学生だったけれど、会社に就職をしなかった奴がいる。彼は今、北海道で一人で牧場を経営している。結婚もしていないし、子供もいない。一人暮らしだそうだ。学生のときからバイクが大好きで、今でもバイクを何台も持っている。毎日それを乗り回しているという。「どうして、牧場なんだ?」と尋ねると、「いや、たまたまですよ」と答える。べつにその仕事が面白いとか、やりがいがあるという話はしない。ただ、会ったときに「毎日、どんなことをしているの?」と無理に聞き出せば、とにかくバイクの話になる。それを語る彼を見ていると、「ああ、この人は人生の楽しさを知っているな」とわかるのだ。男も40代になると、だいたい顔を見てそれがわかる。話をしたら、たちまち判明する。
顔ですか…。私が見ても分かる気がしませんけど、逆に周りの人に「いい顔してるね」みたいなことを言われたことなら何度かあります。なんか楽しそうに見えるらしいです。でもそれは、私がリタイアしてることを知っているからこそ出てきた言葉かもしれないわけで。

話したら(この人は楽しそうだなと)分かるのはその通りだと思います。それの何が楽しいのかまでは理解できなくても。

 僕は、毎日もの凄く楽しいことをしていて、僕のことをよく知っている人は、少しだけその内容も知っていると思うけど、友達と会ったときには、まったくそんな話はしない。近所の人にはもちろん話したことはないし、家族にも、自分の趣味の話はしない。見せることだってほとんどない。
話をしないから、これが「生きがい」とか「やりがい」だという認識もない。そんな言葉を使う必要もないし、使う機会もない。
本当に楽しいものは、人に話す必要なんてないのだ。
確かに。
趣味の話は同じ趣味を共有する人としかしませんよね。もしそれが一人でも楽しめる趣味なら、わざわざ誰かに話そうとは思わないですし。

ちなみに著者の「もの凄く楽しいこと」とは、森博嗣 - Wikipediaによると庭園鉄道や車のようです。お金持ちだけあって趣味もなかなか高級ですね。

 やはり、現代人が最も取り憑かれているものは、他人の目だろう。これは言葉どおり、他人が実際に見ているわけではない。ただ自分で、自分がどう見られているかを気にしすぎているだけだ。
全然気にしないというのは、やや問題かもしれないが、現代人は、この「仮想他者」「仮想周囲」のようなものを自分の中に作ってしまっていて、それに対して神経質になっている。そのために金を使い、高いものを着たり、人に自慢できることを無理にしようとする。
同感です。
その仮想他者って結局自分の内面を映し出す鏡なんですよね。もし自分のような他人がもう一人いたら、自分はその人をそのような目で見る人間だということです。自分で自分の目を気にするというのはとても奇妙な振る舞いだと思います。

大学の教員時代は弁当を食べ忘れて帰宅するなど、
それくらい仕事に没頭していた僕だけれど、一度も「仕事にやりがいを見つけた」なんて思わなかったし、(中略)ただ、楽しいからしていただけで、子どもの遊びと同じレベルである。子供って、遊びに「人生のやりがい」を見つけているのだろうか? 大人だけが、そんな変な言葉を持ち出して、自分の経験を歪曲しようとするのである。
そうですね。
逆に言えば、多くの大人は「やりがい」があると思わなければやってられないほど仕事が楽しくないのだと思います。私の会社員時代もそんな感じでしたが、つまらない仕事にやりがいを見出そうとしなかったのが幸いして、早期リタイアという自分の道が見つかりました。

 なんとなく、意味もわからず、「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい」という言葉を、多くの人たちが、理想や精神だと勘違いしている。それは、ほとんどどこかの企業のコマーシャルの文句にすぎない。そんな下らないものに取り憑かれていることに気づき、もっと崇高な精神を、自分に対して掲げてほしい。それは、「人間の価値はそんなことで決まるのではない」という、とても単純で常識的な原則である。
これが本書の肝でしょうね。とても共感できる言葉です。
逆にここを読んで「え?」と思った人ほど、本書を読んでみる価値があると思います。

参考記事: 
「やりがいのある仕事」という幻想 - 脱社畜ブログ
【読書感想】「やりがいのある仕事」という幻想 - 琥珀色の戯言
「やりがいのある仕事」という幻想(上) - 読書記録