2010年9月16日

自由人の生き方

最近見つけた面白いブログ。

世界の始まりとハードボイルド

少し遡って読んだ記事の中から、いくつかDeliciousにブックマークしました。

最近の記事で共感したのがこれです。
自由人の生き方・働き方|世界の始まりとハードボイルド
というより最近の僕は、自由人として生涯を全うする決意が固まっているので、必然的に考え方や生き方が、俗に言われる「生き方を定めている人」とは合わなくなって来ている。多くの場合、会社員が多い。

ということで最近の僕は思うこと。

「自由人」と「会社員・組織人」は似て非なる人種なのではないか。
まあ、会社員にもいろいろな人がいるので一概には言えませんけど、傾向としては合わないことが多いでしょうね。

自由を求め始めると、会社員はとてもじゃないけどなれない。
ほんと、そう思います。

なんで働かなければならないのか?
なんで頑張らなければいけないのか?
それらの絶対的な理由はそもそもない。

根源的な部分に立ち返ると、
そんな理由はまったく存在しないのです。

あるように思うのは、周囲の意向や、
世間の常識に刷り込まれているからなのです。
その通りだと思います。
恥ずかしながら、私がそれに気づいたのは人生の折り返し点が見えてきた頃でしたが。

そもそも、生産性の上がり過ぎた現代の社会では、
数%の人口だけで世界の生産活動が成り立つ。

そう考えると、僕が、いや、大半の新卒の学生が、
組織で何かをする必要はまったくない。

なぜなら働かなくても生きてはいける。
誰もなにも困らない。

だったら、やりたいことをやればいい。
やりたいことを仕事にすればいい。
そうですね。
働かなくても生きていけるなら、それに越したことはありません。
私が若い頃はそういう発想がなくて誰もが通るレールに乗ってしまいましたが、結果オーライだったこともあり、それほど後悔はしていません。

参照されているちきりんさんの記事がまた秀逸。
日本に起業家が少ない理由 - Chikirinの日記
縦は「自己抑制キャパシティ」、簡単に言えば「どの程度くだらんことに耐えられるか」ということ。

たとえば、23才から60才過ぎまで40年間、毎日1時間以上をラッシュの地下鉄でぎゅうぎゅうにもまれる人生に「耐えられるか」とか、

同じく雨の日も雪の日も二日酔いの日も子供が病気の日も気温が40度の日も「ネクタイにスーツジャケットに革靴」でそういう電車に乗るっていう生活に「耐えられるか」と。

超くだらんことをいう、いかにも能力も時代への適応力もない上司が自分の倍の給与を貰っていても「まあそんなもんだ」と納得し、自分がそういう立場になるまで「20年間待てるか?」とか、

「こんな資料、絶対誰も読み直さないよな」と確信できる会議の議事録を何時間もかけて作り、課長に“てにをは”を直されては素直に修正し、部長に印刷がずれてると言われてはインデントの設定をやり直す、みたいなことを「来る日も来る日もやり続けられるか」みたいなこと。

そういうのが余り苦にならず耐えられる人は「自己抑制キャパシティ」が大きいと思う。我慢強い。
会社員生活を長く経験した人にとって、本当に恐ろしいほどリアリティがある話ではないでしょうか。

仕事が好きとは言わないまでも、こういうのがあまり苦にならないタイプの人なら、お金があっても早期リタイアしないのは不思議ではないです。私にはそういう我慢強さが欠けているので、先日の記事で書いたことは明らかに想像力不足でした。すみません。

つくづく私は「自己抑制キャパシティ」が小さい人間だという自覚を新たにしました。それにもかかわらず十数年間の会社員生活を続けることができたのは、幸運にも比較的良い会社、良い上司、良い同僚などに恵まれたおかげで、強いられる我慢の程度がかなり低かったからでしょう。少なくとも、努力して我慢を続けたわけではないことだけは断言できます。

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