2012年10月9日

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』 ちきりん (著)  その1



ちきりんさんが世界各地を旅行しながら感じたこと、考えたことが書いてある本です。
冒頭のエピソード、セブ島のレストランで「リプトンのティーバッグ」が出てくる理由さえ知らなかった私にとっては、なるほどと思えることがたくさんありました。

訪れた場所が多彩なのはもちろん、時間(時代)の幅も広く、今となっては誰も経験することの出来ない共産主義経済下のモスクワにも行っていたり、旅人としての経験値がかなり高い人だと再認識しました。「Chikirinの日記」の面白さは、このような貴重な経験の積み重ねから生まれてきたんだろうなと。

1986年と2007年にモスクワを訪れたちきりんさん曰く。
「資本主義国になるとはどういうことなのか」、共産主義陣営のトップにあった国の変化を実際に見ることができ、とても貴重な旅となりました。
第4章「共産主義国への旅」では、国民みんなで平等に貧しくなる共産主義経済の実態がよく伝わってきます。あんな時代にあんな国に生まれなくて本当に良かったと思えます。

第9章「変貌するアジア」では、ロシアと同様、共産主義経済から脱却した中国での労働者の変貌ぶりに納得。
「動機付けのシステムが変われば、人の行動は短期間にここまで大きく変わる」という非常に興味深い事例だと思います。
経済的なインセンティブをうまく与えることによって、強制しなくても人は自発的にやる気を出すということがよくわかります。それとは逆に、格差を否定して平等主義的なシステムを採用すれば、やる気を出すインセンティブが失われます。

第7章「古代遺跡の旅」
人間なんて、いずれ露と消え、後世まで残るのは石と砂でできた無機質な建造物だけです。
そう思うと、日々のあれこれに一喜一憂することがなんだかバカらしく感じられます。どんなにじたばたしても、一人の人間が生きられるのはたかだか百年です。反対に、数千年残るものは「生きていなかったもの」ばかりです。「命ある者」は、生きているその時をこそ、目一杯楽しんですごすべきということなのでしょう。
遺跡のような建造物ではありませんが、私も山歩きをしていて巨大な岩の上で休憩しているときなどにふと、同じようなことを感じます。この大きな岩は千年前からここにあり、千年後も変わらずここにあるんだろうなと。それなのに私は千年前にここに座った人を誰も知らないし、千年後の人たちは誰も私がここに座っていたことを知らないのだと。

時間軸をそういうスケールで眺めたとき、人の一生に与えられた時間の短さ、人の存在の小ささに愕然とします。

(つづく)

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