私の4年前のツイートに次のようなコメントを頂きました。(ツイッターは休止中ですが、たまに通知だけ見ることがあるので気付きました)
すみません、質問なんですが、「リベラルな社会で解雇するのは年齢差別だ」というのが違うことは私はなんとなく分かったと思うのですが、高齢者だから解雇する、ということが差別にならない理由がもしわかったら教えていただけないでしょうか。
— ➕てん➕ (@tentisoz0) February 15, 2023
各種の思い込みを排除して真っ白な心で私のツイートを読んでほしいのですが、「○○するのは差別になる・ならない」みたいな主張はどこにも書いた覚えがありません。趣旨を読み違えています。
私が着目しているのは、それが「差別」か否かではなく、「強制」か否かです。橘氏の元ツイでは、そもそも強制でも何でもない定年制のことを「強制解雇」と表現しているので、その点を明確な誤りだと指摘したのが私のツイートの趣旨です。
元ツイの趣旨からは逸れるものの、「定年制は年齢差別か?」と問われれば私の回答はYesになります。ここで重要なのは、私企業や私人が何らかの契約を結ぶときにどんな差別をしようが自由である、という事です。
これを言うと「差別する自由など無い!」みたいな反応をされる事が多々あるのですが、そういう人は「差別=悪」と教える義務教育やマスメディアによる刷り込みに囚われて思考停止しています。真っ白な心でじっくり考えれば、むしろ差別する権利を公権力が侵害してはいけないことがわかってきます。
橘氏の主張に戻りますと、彼は要するに「定年制は年齢差別だから禁止。解雇規制を全年齢に適用」という共産党みたいな主張をしているくせに、自由主義を連想させる「リベラル」を自称しているからたちが悪いのです。もはや偽物の自由主義ですらなく、完全な社会主義思想の持ち主です。
本物の自由主義(リバタリアニズム)の立場からは、そもそも契約の当事者でない第三者(公権力)が何故、一定の条件を満たさない限り契約の解除ができないように強制してくるのか?と考えます。橘氏の主張とは正反対に「全年齢で解雇規制を廃止する」以外の主張はあり得ないでしょう。
参考ツイート:
差別は常に悪いものであるという思い込みが少し邪魔なのだと思います、
— ユキノシバリ (@yukinoshibari) October 17, 2022
私人には差別する自由がある、あるいは、差別は不当なのは公的な権力が差別する場合に限定される、という話にしちゃえば、「差別でない」という表現を無理して使わなくて済むようになります。
私人による差別の場合、それは各自の自由な権利だよね。それが非合理なら市場に参加する上で不利になるし、あるいはそうでない場合もある。
— ユキノシバリ (@yukinoshibari) August 25, 2022
愚行であるとしても、権利としては尊重されて当然なんだよ。
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