2009年12月31日

2009年第4四半期の資産残高推移

資産グラフ200912.JPG

前回からプラス5.4%、この1年ではプラス14.1%の変動がありました。

グラフを見てわかる通り、2009年は波乱のない順調な1年でした。
円高円高と騒がれている割には、実は1年前とほぼ同じレート(USDの場合)なので、外貨建資産へのダメージもなかったようです。

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集計結果が微妙に間違っていたのでグラフを差し替えました。
正しくは、前回からプラス5.9%、この1年ではプラス16.6%です。
実は、前々回の集計時点で既に間違っていたのですが、遡って訂正するのも面倒なので過去の記事はそのままにしておきます。

2009年12月30日

自動車保険の料金比較ー2009年版

去年の年末に「自動車保険の料金比較」という記事を書きましたが、今年も各社の料金が出揃ったのでメモしておきます。

見積もりに使用した条件は概ね次の通りです。

運転者年齢条件: 35歳以上
使用目的: 日常・レジャー
年間走行距離: 3000km未満
対人賠償: 無制限
対物賠償: 1,000万円
搭乗者傷害: 500万円
適用ノンフリート等級: 20
特約: 本人・配偶者限定特約、ファミリーバイク特約
割引: インターネット割引、ABS割引

見積もり結果を安い順に並べると次のようになります。

三井ダイレクト: 13,900円
そんぽ24: 15,700円
SBI損保: 16,700円
チューリッヒ: 19,000円
アクサダイレクト: 20,500円
アメリカンホームダイレクト: 23,300円
ソニー損保: 25,500円

三井ダイレクトの価格優位性に変化なしですが、去年ほどの差はなくなってきました。良い傾向です。
対抗にそんぽ24がジャンプアップしてきたのも面白い変化だと思います。

2009年12月28日

iPhoneの総コスト

無職生活開始~ by ぬこ: 資産計算(1/3)改
携帯電話を買い換えることにしました。
iPhoneがいいかなぁ。。と思っています。
を読んで、高かったiPhoneも少しは安くなったのだろうかと思い、調べてみました。

iPhoneを購入、維持するための費用についての最新情報は、こちらの記事が秀逸です。
らばQ:iPhone 3GSの購入に悩む人のための、購入・維持費・解約時費用一覧表 ~ 2009年12月最新版

結局いくらかかるのかは、こちらの表を見れば一目瞭然。
http://image.blog.livedoor.jp/laba_q/images/review/200912iphone/img16.png

26ヶ月トータルで、パケットをケチりまくっても7.5万、普通に使えば15万近くかかる高コストぶりは相変わらずのようですね。これだけ高いと悩む必要もありません、私の場合。

携帯は電話とメールしか使わない私にはよくわかりませんが、普通の携帯でもパケ放題上限に張り付くような使い方だと、iPhoneと同じぐらいのコストが掛かっているのでしょうか? それならiPhoneに乗り換えるのは良い選択かもしれませんね。
あるいは、家でPCを使わない人なら、固定のインターネット回線を引かずにネットはiPhoneに一本化、という手もありますか。
それぐらいの条件でないと、コストパフォーマンスが悪すぎるような気がします。

2009年12月22日

『楽しく生きるのに努力はいらない―元気がわき出る50のヒント』



お金学 | 楽しく生きるのに努力はいらない(池田清彦著)で紹介されていた本です。

まえがきに
 人生で一番大事なのは楽しく生きることである。大金持ちになるよりも、大天才になるよりも、楽しく生きることのほうがずっとステキだ。そのためには、世間にはびこっているいかがわしい道徳や倫理やおためごかしの人生訓とおさらばして、ものごとを根源的に考える必要がある。といっても別に難しいことじゃない。頭をちょっとだけ切り替えればよいのだ。この本はそのためのヒント集みたいなものだ。
と書いてあるのですが、本当にその通りの内容です。楽しく生きることを目指す人にとっては本当にためになる本だ思います。

 あなたは楽しく生きる権利があるし、自分の欲望をとことん追求したって、悪いことは何もない。それはあなたの自由である。しかし、そのために、他人に何かをしてくれと無理に要求することはできないのである。
(中略)
人は他人を愛したり、やさしくしたり、バカにしたりする権利をもつが、他人から愛されたり、やさしくされたり、バカにされなかったりする権利はない。
他人にやさしくしてもらったり、ちやほやしてもらったりしないと、楽しく生きられない人は、だから楽しく生きるのが、なかなか大変なのだ。反対に、そういうことをしてもらわなくても、いつも楽しく生きられる人は人生の達人である。
人が自立するとは結局こういうことなのでしょう。
いかに経済的に自立した大人であっても、他人の振る舞い次第で自分の幸福が大きく揺らぐような人生である限り、精神的に自立しているとは言えないと思います。

なお、本書では一貫して「他人」は自分以外の人という意味ですから、親子や配偶者などの近しい人も含みます。「他者」と読み替えるほうがわかりやすいかと思います。
 遅刻した人を待つのは自由だが、その相手に対して怒るのはお門違いだ。遅刻した人も、相手が待っていると期待するのはいけない。
ここで修学旅行の集合時刻に10分遅刻した生徒を待つという例え話が出てきます。遅刻した生徒に怒るぐらいなら待たなければよいという結論なのですが、筋は通っていますし、何よりも自由の価値を重んじるリバタリアニズムの特徴がよくわかると思います。

逆の立場に立った場合。
ここであなたが、10分くらい待っていてくれてもよいのに、と思ったとしたら、あなたは自由の意味がわかっていない。というよりも、あなたは自由よりも不自由のほうが好きなのである。
ここ、非常に重要なポイントです。
不自由のほうが好きな人、案外多いのではないでしょうか?

自由と不自由、どちらを好むかによって、人生観や労働観にも大きな違いが出てきます。不自由のほうが好きな人なら、たとえば早期リタイアという生き方は向いていないかもしれません。自由のほうが好きな人なら、たとえば結婚は向いてないかもしれません。
自分は一体どちらなのか、ある程度若いうちに判定しておいて損はないと思います。
 自由より不自由のほうが好きな人たちにとって、迷惑をかけるとは、他人の能動的な権利を侵害することではなく、他人のやさしさ(と彼らが思っているもの)を踏みにじることである。ここでいうやさしさとはたぶん親切の押し売りのことなのだ。他人に親切にするのは、もちろんあなたの能動的な権利である。しかし、だからといって、親切にされた人があなたに感謝しなければならないいわれはない。親切にされるのはむしろ迷惑なことも多いのである。それは経験のある人にはよくおわかりであろう。
はい、よくわかります。
押し売り側にその自覚がないのがまた厄介だったりします。
 やさしさは自由であることを許さない装置である。こういったたぐいのやさしさが好きな人は、自由よりも不自由のほうが好きなのだ。真の自由とは、こういった種類の甘えが許されず、自分の行動の責任を全部自分で引き受けねばならないことだ。自由になりたい、と多くの人は言うけれど、自由であるとはそれほど楽なことではないのである。
たいへん共感しました。

 人の脳は妙なクセをいくつももっているが、何のためにと問いたがるのもその一つである。私はカミキリムシ集めという趣味をもっているが、最もよくされる質問は「何のために集めているんですか」である。答えは楽しいから集めているに決まっているが、虫集めの趣味のない人にとって、この答えはそもそも理解ができないのである。
ほんと、「何のために~」は愚問だと思いますね。
 人の一生ははかない。生きるため(と本人は思っている)にあくせく働いて、気がつけば初老にさしかかってしまった。いったい私は何のために生きているんだろう、と一度ぐらいは思った人は多いだろう。そこで、できる範囲で人生を楽しもう、と思える人は健全である。なかには悠久の大義のために生きなければ、と思ってしまうヘンな人たちがいる。
それで、国家のために、組織のために、あるいは思想のために、命を懸けようなんてことを本気で考える人たちが現れることになる。
(中略)
だいいちこの世の中に悠久の真理などはないし、永久の同一性を保つものも存在しない。読売巨人軍も陽子(女の名前ではない。中性子と陽子の陽子である)もいつかは必ず消滅するのである。無限に比べれば、悠久の大義も神も国家も、あなたの一生と同じくらいの一瞬の出来事にすぎない。人は刹那に生きて、刹那に死ぬべきである。
ここは100%共感しました。
関連記事: 『人生に生きる価値はない』
 そもそも、人間は中途半端な生き物だと、私は思う。たとえば、体調が完璧であることはめったにない。完璧になってから始めようと思っていると、そのうち人生は終わってしまう。
私は今のところ健康に問題はありませんが、歳を重ねるにつれて健康も少しずつ失われていくということを、肝に銘じておきたいと思います。
 特別な才能に限らず、普通の才能であっても、生まれつきの潜在能力の差というのは大きく、たとえば知能指数の50パーセントは遺伝的に決まるといわれており、残りの50パーセントのかなりの部分も、子宮内環境によって決まるらしい。要するに、本人の努力によっては、いかんともしがたいのである。
これは初見の数字ですが、意外に先天的な要素が大きいようですね。
努力主義に毒された人たちは、このような事実を無視または過小評価しているのでしょうか。
 よく、生きがいのない人生はつまらないから、生きがいのために趣味をもつべきだ、と言う人がいるが、そういうのは発想からしてそもそもダメである。人は何かのために趣味をもつわけではない。
(中略)
ただボーっとしているほうが楽しい人は、「人生は短い。忙しくしているヒマはない」とうそぶいて、ボーっとしていたほうがよいのである。人生に目的など本当はないのだ。学問も趣味もセックスも楽しいからするのであって、それ自体に目的があると思ったとたんに、恐ろしくいかがわしいものとなる。
同感です。
 病気を全部シャットアウトして、完全健康でいなければいけない、と考えるのは、近現代に特有のビョーキなのだ。これは健康シンドロームとでも名づけるべき病理である。
同意します。
以前読んだ『「健康」という病』にも同じようなことが書いてあったと思います。
 日本の小中学校は、努力するのが何より大事という偏向したイデオロギーに支配されているので、会社に入っても同じ考えが通用すると思っているアホがいる。この世界で評価されるのは結果であって努力量ではない、ということがわかっていないと、ただひたすら努力することだけが生きがいという人がまれに現れる。これは精神のマゾヒズムとでも呼ぶべき病理現象だと私は思う。
正論だと思いますが、現実に目を向けると、「アホ」の一言で済まされないほど日本全体が努力主義に毒されているような気がします。私の会社員時代も成果主義とは名ばかりで、結果よりも努力を重視するという日本的偏向は根強く残っていました。

2009年12月18日

『勝間和代のお金の学校―サブプライムに負けない金融リテラシー』 3時間目以降

先日書いた通り、3時間目の太田氏の話はパッシブ運用の長期投資家には役に立たないと思います。勝間氏も調子に乗って、
勝間 分散投資をして、決算短信を見て、分散投資も、銘柄だけではなくて、タイミングを分けて。しかも市況に応じてヘッジをつけ外ししながら、実際のトータルリターンを狙っていくという。
などというせわしない手法を、推奨まではしていませんが、やる気さえあれば個人でもできる!みたいに煽ってみたり。

私に言わせれば、市況に応じて先物やオプションでヘッジしないと耐えられないようなポートフォリオなら、最初からリスクを取り過ぎなわけで、小手先のテクニックで一時的にリスクを回避するのではなく、ポートフォリオ自体のリスクを下げるべきだと思います。

ただ、そんな話の中で、参考文献として
ウォール街のランダム・ウォーカー 株式投資の不滅の真理
敗者のゲーム(新版) なぜ資産運用に勝てないのか
さらには、当ブログでも詳細に取り上げた
株式投資 長期投資で成功するための完全ガイド
などの、いかにもアクティブ運用派が好みそうにない本が紹介されていたのは意外でした。

(時間目は読みませんでした。SRIやらCSRと聞くと、余計な手間ばかりかかってリターンの向上には寄与しないイメージがあるもので。これは先入観でしょうか?

最後のホームルームでの、勝間氏の次の発言は何気にポイント高いです。
勝間 私たち個人投資家が買うのは、証券会社や投資顧問会社がいちばん売りたくないものを買わないといけないんですよ。パンフレットも作ってくれないような。作るとコスト割れになるような商品でないといけないんですね。
人気ではなくて、実際にどういう運用ポリシーで行われていて、どういうコスト構造で、信託報酬は何%なのかということが、いちばん重要です。
ほんと、その通りだと思います。
関連記事:
『 金融広告を読め どれが当たりで、どれがハズレか (光文社新書) 』という本に書かれている通り、ほとんどの金融商品広告はカモを選別するフィルターの役割を果たしていて、派手に広告されている金融商品ほど、投資家にとってロクな商品ではないと思っておいて間違いありません。 逆に言えば、...
yumin4.blogspot.jp


最後のまとめに書かれた重要ポイントの一つ、
テクニカル分析には学術的根拠がなく、個人投資家が失敗するお定まりのパターン。チャートを信じて投資をしてはいけない
にも同意します。