2011年5月21日

『自由に至る旅 ―オートバイの魅力・野宿の愉しみ』 花村 萬月 (著)  その3



昨日の記事の続きです。

この本は、一応はオートバイによる野宿旅について述べているのですが、どんな乗り物で旅立つかは、あなた自身の問題です。
べつに野宿をしなくてもかまわない。車で走り始めてもいいし、免許がなければ電車でも飛行機でもかまいません。
大切なのは、旅立つこと――。
自分の衝動を愛おしみ、自分で考え、自分で決定し、自分で行動するということです。
そうなんですよね。
どんな乗り物を使うか、どこに泊まるか、何を食べるかも含めて、すべて自分一人で決めることが大事なんです。一人旅とそれ以外の旅がまったくの別物に思える理由はこれだと思います。
だいたいあなたは旅行といいながら、結局はただの家族サービスに励んでいるだけではないですか。あるいは独りで旅立つあと一歩の勇気がもてずに、職場の仲間といったいつもの顔ぶれで、ゴールデンウィークに同じところに行って、同じようなものを食べて、同じようなものを見て――。
これは旅とはいいません。貧困、というのです。
これは手厳しいですが、同感です。
このようなスタイルを、私は「旅」ではなく「旅行」と呼んで区別することにしています。

この直後の2ページ半に書いてあることが実に秀逸でして、全文引用したいところですが、長くなるので要点だけ。
でも、みんなと同じことをしていても、死ぬときはバラバラだ。
あなたは、独りで、死んでいく。
(中略)
世の中のたいがいのことには、意味、があります。(中略)
でも、自分に問いかけてみてください。
生きる意味、を。
答えが見つかりますか。(中略)
探求し、追求しながらも、うっすらとそれに対する答えは永遠に得られないことを心のどこかで悟っている。
つまり、意味では生きるということを解決することはできない。
生には、どこか無意味さがつきまとう。
自分の一生でなくても、虫の一生だって、同じだ。
生まれて、死んでいく。
それだけなのです。
人は生きる意味をつねに問うからこそ人間であるのですが、生自体は意味とは無関係の地平にあるようです。
唯一自分の生に意味があるように感じられる瞬間は、どういうときでしょうか。
それは自分が主人公であると感じられるときではないですか。
オートバイにまたがって旅立つとき、あなたはヒーローなのです。そして目的も意味もない旅をするからこそ、あなたは主人公でいられるのです。旅に意味を持ち込んではなりません。意味を慎重に排除しましょう。
無目的。
あるいは無意味。
これが旅の真骨頂です。
結局長くなってしまいました。(苦笑)
難しい哲学の話も、旅の話から入るとこんなにわかりやすくなります。ということをメモしておきたいので、これ以上省略はできませんでした。

自分が主人公という話は、先日読んだ『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』 ちきりん (著)にも出てきたような気がします。
ブログならこの記事でしょうか。
人生の有限感 - Chikirinの日記
「人生の傍観者になるな。自分の人生の舞台を、観客席からぼーっと見ていてはいけない。舞台に上がれ、演じるのだ」という文章も記憶に残っている。


(つづく?)

1 件のコメント:

  1. ゆうみんさん、いつもブログ拝見しています。
    トラバありがとうございました。
    私の人生の書、旅の友とも呼べる愛読書だったので、書評書いて頂き嬉しく思います。
    本当にこの一説は名文で、私も衝撃を受けました。旅の本質、現代を生きる中での人生哲学の寸隋が書いてあるというような、いや、前文書きたくなるほど意味ありますね!
    続きもあれば、楽しみにしてますねー^^

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